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3日間での帰還を予定していた今回の任務。完了までの日程は予定より幾分かずれ、わたしが里へ戻ったのは出発してから1週間後だった。 任務が予定通りに進まないなんてよくあることで、何かの所為にするつもりも誰かの所為にするつもりはないけれど、しいて原因を上げるとしたなら、大名の命を狙う敵対国の人間が雇った忍の来襲、それを恐れた大名が当初の予定とは異なる行動を取った為だった。 木ノ葉に戻ったわたしは、火影邸へ向かった。この任務の経緯を全て綱手様へと報告し終え、その後、同じ建物内にある待機所を覗く。 いつ何時発生するかわからない任務に備え忍が詰めているその場所で、今は数名が書類に目を通したり、雑談したりと、各々の時間を過ごしている。 「エリ」 待機所内に備え付けられた椅子に腰を下ろしていた紅が、わたしの存在に気付くなり声を上げた。 室内に入ろうとせず、入口の手前で中の様子を窺うだけのわたしへ、訝しげな視線を向ける。 「今戻って来たの?」 「ええ……」 もう一度待機所内をぐるりと見渡して、小さく息を吐き出した。 そんなわたしの様子を黙って見ていた紅が、何かに気付いた様に、少しだけ目を見開く。 「カカシなら病院よ」 「えっ……」 探していた人を当てられたことよりも、「病院」という単語に驚いて、紅の顔をじっと見詰める。 「昨日任務から戻ってきたんだけど、チャクラ切れでね。身体が全然動かないらしくて、即入院」 紅の、物語の粗筋を話す時みたいなあっさりとした口調から察するに、命に別状があるような状況ではないのだろう。 それでもわたしは、紅に礼を告げると足早に外へと飛び出し、脇目もふらずに病院へと向かっていた。 木ノ葉病院の正面口を入ってすぐの所に、受付カウンターがある。カウンターには女性が1人立っていて、わたしが近付くと淡い頬笑みを浮かべながら「外傷ですか?」と尋ねてきた。 白衣を着た女性の言葉に、任務帰りであちこちに汚れや擦り傷のある自分の状態に気付いたのだけれど、今はわたしの治療が目的ではない。 「いえ、あの、はたけカカシの病室って――」 「ああ、面会ですね」 女性は続けてカカシのいる病室の部屋番号を告げる。「ありがとうございます」と礼を述べて、教えられた病室へ向かった。 わたしは病院という場所が苦手だ。忍なんてやってると、どうしたって訪れることも多い。傷ついた身体を癒してくれる、そんな場所であるにも関わらず、だ。 人々が気を遣って創り出した静けさと、危うい空気が混じった独特の雰囲気。外界と隔離された場所のような気がして、不安になる。 いつまで経っても慣れないものだなと思いながら、白い壁が続く廊下を歩く。 やがてカカシの病室の前まで辿り着き、そこでわたしは静止した。 この病室は、あの時と同じ部屋だ。十数年前、神無毘橋の任務から戻ったカカシが入院した部屋。 オビトが亡くなったこと、カカシとリンだけが里へ戻ってきたという事実を前に、カカシにどんな言葉を掛けたらいいのか解からなくて、逃げ出してしまった。開くことのできなかったドア。 目の前にあるドアはあの頃と変わらず、高く、白く、隔たりをつくっている。 ドアノブに手を掛けながらも、勢い任せにここまで来てしまったことを後悔し始める。 このドアの先にはカカシがいて、わたしは彼と一体どんな言葉を交わしたらいいのだろう。 一度考え始めると、このドアの先に待っているであろう空間が怖くなる。 だけどここで逃げ出してしまったら、十数年前のあの日と何も変わらない。 あの日のわたしが取るべき行動は、引き返すことなんかじゃなくて、カカシに「おかえり」と、そう言うべきだった。そう悔やんだのだから。 「……カカシ、入るよ」 声を掛けて、ドアをゆっくりと開いた。大きな窓が取り付けられた部屋の中は、太陽の光を取りこんで、明るい。 窓の側に置かれたベッドの上に、カカシは横たわっていた。 「カカシ、寝てるの……?」 名前を呼んでも、何も返ってこない。静けさに、鼓動が僅かに早くなる。 ベッド脇でカカシを見下ろすと、彼は眼を閉じたまま胸を緩やかに上下させていた。 カカシほどの忍が、声を掛けても、こんなに近付いても目を覚まさないなんて、よほど疲弊しているのだろう。 ふっと息を吐き出して、見舞客の為と思われるパイプ椅子に腰を下ろした。 眠り続けるカカシの顔を見る。チャクラ切れの所為か、青白い肌の色。いつもは額宛てで隠されている左目が露わになっている。 何を考える訳でもなく、カカシの左目の傷痕を、上から下へ、ゆっくりと指でなぞった。 眉の上から、瞼まで。瞼から、さらに下へ。 触れてみると、カカシの肌は少し冷たい。わたしの指先の方が熱を持っているくらいだ。 この左目の瞼の下に、写輪眼がある。 オビトから譲り受けた、特別な眼。 カカシはこの眼で多くの仲間を救い、今日まで生き延びてきた。時には、チャクラ切れしてしまう程の状態になるまで戦って。 震える指を傷痕から離す。 目から、涙がこぼれた。 何故涙が出るのか、自分でもよくわからない。喜びと切なさとが混ざる複雑な感情は、どう呼んだらいいのだろう。 ただ、今目の前で眠り続けるカカシが生きているという事実が、わたしの胸を震わせる。 突然の涙に困惑して、ベッドの端に頭を乗せた。うつ伏せになってぎゅっと瞳を閉じても、溢れる涙は止まらない。 涙を流すことが恥だと思ったことはないけれど、忍として生きていれば、堪えなければならない時の方が多い。歳を重ねるごとに堪える術に長けてきて、そう簡単に涙することなんてなかった。 それなのに、カカシを目の前にすると、どうしたって制御不能になる。カカシだけが、わたしの感情を大きく揺さぶる。 やっぱりわたしにとってカカシという存在は、特別なものなのだと思い知る。 どのくらいそうしていたかわからない。数分のような、数十分経ったような気もする。 室内の空気が僅かに動く気配がした。 カカシが目を覚ましたのかもしれない。 顔を上げて確かめればいいのだけれど、泣いたせいで腫れぼったくなった目を見られたくなくて、狸寝入りを決め込んだ。 カカシには、そんなことお見通しかも知れないけれど。 また、空気が動いた。今度はさっきよりも大きく。そう感じた次の瞬間、後頭部に添えられる、大きな手。 カカシの、体温の低い大きな手が、優しい手付きで頭を撫でる。 わたしの髪をすくように、穏やかに、ゆっくりと。 「……カカシ」 「……ん」 「生きててよかった」 そう言って、頭をもたげる。 カカシの手が離れるのを、少し口惜しく思いながら、枕に頭を預けたままの彼を見下ろす。 「カカシが……生きててよかった」 言葉にしてみたら、また涙が一滴流れ落ちた。 オビトに命を救われてよかった。 今日この日まで、命を落とすことなく過ごしてきてくれてよかった。 「本当はあの時も、こう言いたかったのに」 「あの時?」 カカシがゆっくりと上体を起こす。 無理しないでと声を掛けようと思ったけれど、彼はもうベッドの上で座る容を取っていた。 「そう、あの時」 言って、カカシの閉じられた左目に視線を向ける。 その仕草だけで、カカシには伝わったのだろう。「あぁ」と、小さく言葉を漏らした。 「神無毘橋の任務から戻ってきた時ね、リンと一緒にお見舞いにいこうって約束してた」 「……」 「だけどわたし、怖くなってカカシに会えなかった。会いたかったのに、どんな顔をすればいいのかわからなくて、逃げ出した」 そうだ、わたしはいつも逃げてばっかりだった。 傷つくことが怖くて、逃げ出してばかり。 あの頃のわたしにもう少しだけ勇気があれば、カカシの苦しみを和らげることができたのかもしれない。 「リンが死んだ時、カカシ言ったよね。『ごめん』って……」 「……」 「オビトやリンは大事な仲間だったけど、わたしはカカシを責めてたわけじゃないの……」 「……」 「本当は、カカシが何より大切だから……」 「エリ……」 「ごめん……。もう、十年以上も経ってるのにね」 この十数年の間に、わたしとカカシとの距離は大きく開いてしまった。 物心付いた頃から一緒に過ごしてきたはずだったのに、ふと振り返ってみれば、互いの姿が見えない。そんな距離にいた。 それぞれが過ごした時間もバラバラで、共有できるものもない。 確実に時間は流れていく。きっと遅すぎた。 それでも伝えずにいられないのは、わたしにとってカカシという存在は、特別だから。 今ここで逃げ出したとしても、わたしは後悔するだろう。 たとえどれだけの時間が流れようとも、わたしの中にあるカカシの存在は、消えてなくなりはしないから。 |