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口布を下ろす指の動き、近付いてくる顔。まるでスローモーションのようだった。 そっと触れて、離れる唇。 ゆっくり目を開けると、すぐ傍にあるカカシの瞳。その中に燻る熱が見える。 「……額宛て、取ってくれる?」 カカシに望まれたとおり、わたしは両腕で彼の頭を抱えるような格好になり、きつく結ばれた布をほどいた。 結び目がほどかれた額宛ては、重力に逆らわず、カカシの顔からベッドの上へ。ベッドから床へと転がり落ちて、鈍い金属音を起てた。 「……触らないの?」 「え?」 「傷痕」 「傷痕……」 「病院では触ってたじゃない」 「……ほんとは起きてたの?」 「まぁね。あんな触り方されたら気付かないわけないでしょ」 「あんな触り方って?」 怪訝な表情を作るわたしを前に、カカシはふっと笑いを漏らすと、もう一度唇を合わせた。今度は、味わうように、ゆっくりと。 カーテンの隙間から太陽の光が射し込んでくる。もうそろそろ、目覚めの時間だ。 未だ眠りの世界から完全に戻ってこれないまま、瞼を開ける。昨夜は夢を見ることもなく、深く眠っていた。こんな眠りは随分久しぶりだな、と思う。 理由なんて極単純で、そんな自分にちょっと呆れながらも、満たされる幸福感で、心がこそばゆい。 隣を見れば、カカシがいる。 カカシの匂いがするベッドの中で、わたしの身体に回された腕は、昨夜眠りにつく前となんら変わっていない。 銀色の髪の隙間から覗く両目は閉じられ、薄く開いた口許からは吐息が漏れている。彼のこんな姿を見れるのはわたしだけなのだと思うと、それだけで胸がいっぱいになる。 「……エリ?」 寝起きの掠れた声で、カカシが呟く。 開いた右目はとろんとしていて、未だ眠りの余韻が残っていた。 「シャワー借りるね」 カカシに声を掛け、床に散らばった服の中から自分の物を見付けると、軽く肩に掛けて立ち上がった。 シャワーの温度を少し低めにして、眠気を追い払う。気だるかった身体中に血液が巡り、脳も活発化するのを感じた。 脳の活動と同時に甦る昨夜の記憶に、思わず口許から吐息が漏れそうになる。 わたしの身体をなぞるカカシの指先や、全身に降ってきた唇。直に伝わる体温と、甘やかに響く低い声。 ひとしきり抱き合った後、わたしたちはぎゅっと寄り添って眠りについた。 開いてしまった距離を埋めるかのように、きつく抱き寄せられたカカシの腕の中は、心地好かった。 最初に目を覚ましたのはわたしの方で、まだ太陽も登っていない深夜だった。 暗い部屋の中、カカシの寝顔をじっと見詰めた。背中に回されたカカシの手の温もりを感じながら、永遠にこうしていられたらいいのにと、そう思った。 けれど現実はそう甘くはなくて、わたしには翌日任務があると、綱手様から告げられていたのだ。 カカシを起こしてしまわないように、ベッドから抜け出さなければ。回された腕をずらそうと身を動かした瞬間、背中にあるカカシの手に力が籠る。 『……どこ行くの?』 目線を上げると、右目を開けたカカシがわたしの顔を覗き込んでいた。 『明日任務があるから、一度家に帰ろうと思って』 『そんなの、明日の朝ここから直接行けばいいじゃない』 カカシは眉尻を下げて、そう言った。 その表情がなんだか可笑しくて、愛しくて、わたしは再び彼の胸に身体を預けて、深い眠りについたのだ。 シャワーを終えて部屋に戻ると、ちょうどカカシがベストを羽織っているところだった。 「カカシも任務だったの?」 「いや、任務はないんだけどね。途中まで送るよ」 カカシはそう言って、笑ってみせた。 どうしようもなく離れがたくて、このまま日常に戻ってしまうのが名残惜しいのはわたしだけではないのだと思うと、自然と口許が綻ぶ。 わたしはこの人と、この時間を過ごす為に任務に出るのだ。そう思うと名残惜しさよりも、これから向かう任務への責任感のほうが上回る。 大切な人を守るというのは、こういうことかもしれない。 「……カカシ」 「んー?」 カカシの部屋を出て、わたしたちは火影邸への道程を、並んで歩いた。まだ早朝の為か、いつも賑やかな大通りの人影は疎らだ。 「わたし、下忍の担当教官、やってみようと思う」 昨夜カカシの部屋を訪れた際、一番最初に目に留まったのは、窓際に置かれた2枚の写真立てだった。 ミナト先生と写る、幼いカカシたち。そして、三人の小さな忍と一緒に写ったカカシ。 2枚並んだ写真を見詰めると、時の流れと共に、脈々と受け継がれていくものの存在を感じた。 わたしも、伝えていきたいと思った。大切なものを失ったからこそ、伝えていけるものがあるんだと、カカシが教えてくれたから。 わたしのそんな思いを見抜いているのかいないのか、カカシは穏やかに笑って言った。 「エリはいい先生になれるよ」、と。 「そういえば、任務内容ってなに?」 火影邸まであと少しという距離になったところで、カカシが問う。 「さあ……昨日はただ『任務がある』って聞いただけだったから、詳細はこれからね」 「そうか」 「もしかしたら、また長期任務かもしれないわね」 冗談まじりに言ったつもりだったのに、わたしは上手く笑えなかったし、カカシの目は真剣そのものだった。 ‘再び長期任務へ赴く’ということは、あり得ないことではない。いつ命令が下ったとしてもなんらおかしくはないのだ。 十数年間離れていた挙げ句、ようやく互いの気持ちを確かめた後での別れは、どうしたって切なくならざるを得ないけれど。 「エリ」 「……ん」 「オレはお前が帰ってくるのを待ってるから」 カカシの、真っ直ぐわたしを見詰める瞳に、頷き返す。 「行ってくるね」 「ああ、行ってらっしゃい」 カカシは歩いて来た道を戻り、わたしは新たな任務を受けるため、火影邸の門を潜る。 離れることに切なさを伴うけれど、今、わたしたちは確かに繋がっているから寂しくはない。 例えどれだけ離れていようと、決して消えてなくなることのない想いが、ここにある。 何処にいても、誰といても、どれだけ時間が流れようとも、忘れることは出来なくて。 きっと、これからも変わることなく、わたしの中に存在し続ける。 この世界で唯ひとり、特別なあなたを想う気持ち。 |