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『手、貸してあげようか?』 そう言って差し出した手は、血に染まっていた。 手を差し伸べた唄月の前には、村田の死体が転がっている。 彼女の目の前で村田を斬り、斬ったその手を差し伸べた。 この、どこか強気な芸者は自分の手などには頼らず、自らの力で立ち上がるだろうと、沖田はそう思っていた。 だが唄月は沖田の予想に反し、躊躇いなくその手を取った。 差し出した手に、女特有の細くしなやかな手が重ねられ、驚いたのは沖田の方であった。けれども彼はそれを面には出さない。 重ねられた手を握り、腕に力を込めて彼女の身体を引き寄せる。思いの外力を込めてしまい、彼女の身体は己の身体と触れ合う程の距離にあった。 顔を俯かせながら赤く染まっていく唄月の頬を目にしたら、もっと違う表情を見てみたくなった。 それと同時に、唄月に手を重ねられたことに動揺した自分の心内を、いつもと同じ、平常な状態に戻したかった。 『芹沢さんのこと、誰かに話した?』 唄月の耳元で囁く様に問い掛けると、彼女が身を固くするのが肩に回した手を伝って感じる。 意地悪な問い掛けだと沖田自身も思ったが、気の強い唄月の怯えた顔を見たいと思った。 『……言うてまへん。誰にも』 怯えて目を泳がせて、縋り付くような表情をすると思っていた。 だが沖田の思惑とは裏腹に、唄月は真摯な眼差しで真っ直ぐ沖田を見上げたのだった。 「……おい、総司。聞いているのか?」 頭上から降る声にそっと目を開けば、自分を見下ろす斎藤の姿があった。 「――あれ?一君……おはよう」 「……その挨拶は間違っている。今はもう昼時だ」 「じゃあこんにちは」 暢気に挨拶をする沖田に、斎藤は呆れた様に溜息を吐いた。沖田の目には太陽の光が眩しく映る。 朝稽古を終えた後、天気がいいからと八木邸の縁側に腰を下ろしているうちついつい微睡んでいたらしい。 「総司、土方さんが呼んでいる」 「土方さんからの呼び出しなんて何だと思う?まぁ面倒臭い話なんだろうけど」 「さあな。……先日の吉野屋の件ではないのか?」 「吉野屋かぁ。そう言えばさっき夢を見てたんだ」 沖田の夢の内容になど興味がないのか、斎藤は土方からの言い付けを伝えると、踵を返しその場を立ち去る。 斎藤の背を見ながら、先程まで見ていた夢を頭に蘇らせ様とした沖田だったが、暖かな太陽の光は彼の脳内からその記憶を薄めてしまう。 ただ思い出されるのは、唄月の自分を見る瞳が、真っ直ぐだったこと。 *** 唄月は島原大門を潜ると、顔を俯き気味に菊乃屋への道を急いだ。座敷に揚がるまでには随分時間も有していたし、罪人でもないのだから俯むきながら歩く必要もない。 それでも下を見ながら歩かねばならなかったのは、唄月の顔を見るやいなや、先日の吉野屋での一件を聞き出そうとする輩がいるからだ。 つい先日起こった吉野屋での新選組による捕物騒動はあっという間に島原中に広まった。 吉野屋の座敷に唄月が居合わせた事も同様に広がり、そんな彼女から騒動の詳細を聞こうと唄月が外を出歩く度声をかける人間が後を断たない。それ故唄月は出歩く度に足止めされては適わないと、吉野屋騒動後こうして顔を伏せて歩いているのだ。 だが人の噂話など長くは持たぬ。何よりここ島原はそういった話題に事欠かない場所で、人々もいずれは新たな話題で持ちきりになるのだろうと唄月は思っている。 「唄月天神、天神宛てに文が届いとります」 唄月が菊乃屋の戸を開きほっと肩の力を抜いたのも束の間、そう言って出迎えたのは禿であった。 「わてに文?」 「へえ。女将はんにも天神宛てに文が来とります言うたら、天神が戻られはったら女将はんに声掛ける様にて言うてはりました」 女将からの言伝を唄月に伝えると、禿は文を手渡した。 逢状なれば唄月宛てではなく菊乃屋宛てに届けられるはずである。だが手渡された文には唄月殿と、美しい字で綴られていた。 縁者をたらい回しにされ孤立無援となった唄月には、逢状以外で自分に文が届くなどこれまでに一度としてなかった。 一体誰が自分に文など寄越したのだろう。そう思いながら手にした文を開こうとした時だった。 「唄月、帰ったら声掛けて言うたはずやけど」 襖を開き、部屋から姿を現した女将の言葉に、唄月は思わず手を止めた。 女将に声を掛けるよりも文を開くことを優先させた事をきつく咎めるような厳しい表情に戸惑ったのだ。 「……すんまへん、おかあさん」 「ええから部屋に入りなはれ」 女将はそう言って唄月を自らの部屋へ招き入れた。後ろに続き入室した唄月に、座るよう促す。 唄月が真正面に腰を据えたと同時、女将は開口した。 「文、読みはった?」 「いいえ、まだ開いとりまへん」 「ほな読みなはれ」 女将にそう促され、手にしていた文を開く唄月。 文にはこう記されていた。 『先日の礼がしたい。本日屯所へ参られよ。 沖田総司』 「……先日の礼ゆうんは、吉野屋の件やろか」 文に目を通し終えた唄月に、そう声を掛けたのは女将だった。その口ぶりに、自分が戻るよりも先に女将が自分宛ての文を読んでいたことを悟る。 唄月は女将に目をやり、そして再び文へと視線を戻した。表同様の美しい字体で綴られた手紙。 沖田は一体なにを考えて文など寄越したのだろう。礼をしたいというならば、そちらから出向くのが道理であろうと、唄月は些か気分を害した。 が、 「ほな……わてこれから新選組の屯所に行ってきます」 唄月がそう口にすると、女将は目を見開いた。 「唄月、あんた何言うてはりますの」 「ええやないですかおかあさん。今日はもうお稽古はあらしまへんし、座敷に揚がるまでには時間もありますえ」 「そないなこと言うとるんちゃいます。新選組やなんて……吉野屋でも何人か殺してるんやで?あの日吉野屋にいたあんたを呼ぶ言うんは――」 女将はそこで言葉を切った。 唄月には女将が何を言いたいのかわかっている。女将は自分の身を案じているのだ。 新選組などという人斬り集団の屯所へ自ら足を進める等というのは、自殺行為に等しいと、そう女将は思っているのだろう。 しかし、唄月には自分は殺されはしないという自信があった。 「おかあさん、そないに心配せぇへんでも平気どす。わての事を殺したいのやったらあの晩吉野屋で殺すことも出来ましたやろ。それに殺す相手をわざわざ文を寄越して呼びつけるやなんて……。道すがら斬り殺すほうがよっぽど利口や」 殺そうと思えば沖田はあの晩、あの座敷で唄月を殺すことだって出来た。 わざわざ文を寄越して自分を殺すなど、沖田らしいやり方ではないような気がしたのだ。 「唄月……」 「ほな、わてはまいります。座敷に上がらなあかん刻までには戻りますよって」 まだ何処か不安げな顔をした女将にそう告げて、唄月は立ち上がった。 唄月自身、本当に自分の身が安全なのかどうか確証はない。 それでも唄月の身体を動かすのは、予想だにしなかった沖田からの文が一体どの様な結末をもたらすのか、その先が知りたいという、恐怖を裏側に潜めた好奇心からだった。 |