「……その話、御断りさせて頂きたく存じます」

夕暮れが近付き、薄暗くなった新選組屯所、八木邸の客間。
唄月の朗々とした声が響くこの部屋だけが、体感温度をぐっと下げる様だった。


「……断る?」
「へえ」

唄月の正面に腰を下ろす土方は、彼女の返答を耳にし、眉間に深い皺を刻む。
部屋の隅に腰を据えた沖田は相も変わらず無言でこのやり取りを聞いているだけだった。

「さっきも言うた様に、わてら芸妓には新選組のみなはんにお伝えせなあかん義理も決まりもあらしまへん」
「確かにな」

唄月の言葉に、土方は小さく息を吐き出した。

「それに――」
「……」
「それに、あんさんらはあの晩、村田はんを殺しはりましたやろ。……村田はんはわてを贔屓にしとったお客はんどす」

唄月は頭を上げ、真っ直ぐな瞳で土方を見た。

「贔屓にしてくれはったお客はんを殺した相手に従順になれるほど、島原芸妓は安くあらしまへんのどす」

唄月は座敷で客に見せるのと同様の、極上の笑顔で言い放った。

「気に喰わへんのやったら、斬り殺すなりなんなり好きにしはったらよろしおす。せやけど芸妓としての誇りだけは、いくら土方はんといえどどうにもでけしまへんえ」

唄月は、死を覚悟していた。彼ら新選組に逆らって無事で済むとは思っていない。
それでも、土方からの提案を承ける訳にはいかなかった。
自分を贔屓にしていた客を奪われた悔しさ。そして、客を売る様な真似を強いられるなど、島原という格式高い花街への信頼を失うばかりか、島原芸妓としての誇りさえも奪われるなど、もっての他だった。

唄月にとって芸妓は生きるすべだ。だが誇りを失って生きるくらいなら、いっそ死を選ぶ。唄月は、そう覚悟していた。

まさか唄月がこの様な返答を寄越すとは露ほども思っていなかった土方は二の句を紡ぐのを忘れ、ただ食い入る様に唄月の顔を見詰めていた。
しんと静まる室内の沈黙を突然破ったのは、この空気に似つかわしくない笑い声だった。

「あははは……もういいじゃないですか土方さん。いくら口説いても無駄ですよ」

それまで沈黙を守っていた沖田の声が響き、室内の緊張感が幾らか緩む。

「総司……てめぇは――」
「お説教なら後で。唄月ちゃん、行こう」

沖田は立ち上がると、腰を下ろす唄月の手を取り、立ち上がらせる。

「沖田はん、行くって……何処へ?」
「何処って、そろそろ帰らないといけない時間なんじゃない?外も暗くなり始めたし、島原まで送るよ」

ニコリと笑う沖田に手を引かれるまま、唄月はその場を後にした。
背後から、客間に残された土方が何事か怒鳴るのが聞こえる。


「土方さんにあんな顔させられる女の子初めてだよ。最高!」

屯所の門を出た所で、沖田は後ろに続く唄月を振り向き、微笑みかける。外は日が暮れ始め、沖田の横顔が紅く染まっていた。
唄月は沖田の顔を見る事が出来ず、俯いたまま歩き続けた。

「……沖田はん」
「なに?」
「……手を……」
「手?」

彼らの屯所を出てから繋がれたままの手に、唄月は顔が熱くなるのを感じた。
子供じゃないのだから、手を引かれずとも歩ける。唄月のそんな言葉は虫の声の様にか細く、沖田はただ唄月の顔をみて笑う。

「僕と手を繋ぐのは嫌?」
「そないなこと言うとるんちがいます」

自分を小馬鹿にするような沖田の笑みが気に食わない。そう思いながらも大きな手が離れていき、それを心なしか寂しく感じた自分自身を、唄月は不思議に思った。

「――あの文……あれ書いたんも土方はんどすか?」

自分宛に届けられた文には沖田の名が記されていた。しかし、いざ新選組の屯所を訪れてみれば、島原芸妓という自分の立場を利用しようとする土方の提案を聞かされただけで、文を寄越した張本人であるはずの沖田はただ傍観しているだけであった。
初めから、仕向けられていたのだ。自分を利用する為に。彼ら新選組の都合のいい様にする為だけに。

「わてから浪士の情報を拐う為に、わざわざ沖田はんの名前使こてまで手紙寄越すやなんて……。そないなことせぇへんでも、土方はんが直接わてに言いにきはったらよろしおす」

自分を利用しようとした事も、わざわざ他人名義で手紙を寄越す様な回りくどいやり方も、唄月には理解が出来ず、沖田の前であるにも関わらず土方に対する不平を漏らした。
沖田は同じ新選組の土方への不平を溢されても気分を害する様子もなく、微笑したまま唄月に答える。

「土方さんはね、僕と君が恋仲だと思ってるんだ」
「……恋仲?」

沖田の口から語られる言葉に、唄月は訝しげに眉をひそめる。
沖田はそんな唄月の様子などさほど気にする素振りも見せず、にこにこと笑ったまま話続けた。

「吉野屋に討ち入り行ったあの晩、僕と唄月ちゃんが話してるのを見て勘違いしたみたいなんだよね、土方さん」
「……」
「君と僕は恋仲じゃないって言うのも面倒くさいし、なんだか面白そうだと思ったんだよね」

一歩後ろを歩く唄月を振り返り、上機嫌に沖田は言った。
沖田に言いたいことが数々頭の中に浮かぶ唄月だったが、そんな彼の笑顔を見て、自分が何を口にしようと無駄かもしれないと、諦めた様に小さく吐息を吐いた。

「思った通り、君のおかげで面白いものが見れたよ」

口端を持ち上げて笑う沖田の顔が、夕暮れの赤に染められていた。

本来なら、自分を利用しようと謀った彼ら新選組に対しての不平不満を漏らしたとておかしくないはずなのに、目の前で笑う沖田の顔を見た唄月にはそれが出来なかった。
沖田に対して脅えているのだろうか、と、唄月は自分自身に問い掛ける。
そうではない。目の前にいるこの男は、新選組という恐ろしい集団に身を置く人斬りというよりも、まるで子供のようだと、唄月はそう思った。


「やっぱり、不思議なお人や……」

唄月が小さく呟いた言葉は、夕暮れの京の町に静かに溶けて行った。