「総司……てめぇ八木さんとこの息子泣かせたってのは本当か」

夕闇の迫った薄暗い部屋で、2人の男が向かい合わせに腰を下ろしていた。
上座に腰を据えた男は、自分の向かいにいる不機嫌そうな男に言った。

「だってあの子が悪いんですよ。近藤さんの悪口言うから」

下座に腰を下ろした沖田は、悪びれもなく言う。そんな沖田の様子に、土方は大きな溜め息を吐いた。

「溜め息ばかり吐いてると幸せがにげちゃいますよ?土方さん」
「誰の所為だと思ってやがる」

土方が渋い顔で再び深い息を吐いた。

「――副長、よろしいでしょうか」

障子の向こうから声が掛けられ、土方は障子に映った影を見ながら「山崎か、入れ」と、声の主に入室を促す。
障子を開き、山崎と呼ばれた忍装束の男は音も起てず室内へ入ると土方を、そして次に沖田を見やった。

「僕が土方さんの部屋に居ちゃ悪い?」

山崎に視線を向けられた沖田は、少し声を低めて言う。
売り言葉に買い言葉で、『俺は何も言ってません』と、そう返しそうになった山崎だったが、本来の自分の任務を思い出し、改めて土方に向き直った。

「奴等が動きました。5人揃って島原の吉野屋に集まっています」
「追われる身ながら島原で芸妓遊びとは、悠長な奴等だな」

土方は笑いを洩らしながら言った。
その言葉は‘奴等’を褒め称えたものではないことは一目瞭然だった。

「土方さん、奴等って誰ですか?」
「沖田組長、先日幹部会議で話していた会津藩士を斬殺した不逞浪士です」
「山崎くんには聞いてないんだけど」

幹部会議の内容を聞いていないのかと、言葉刺々しい山崎と、そんな山崎に負けず劣らずの刺々しさを放つ沖田に、土方は2人を叱責する。

「止めねぇか。くだらねぇことやってる場合じゃねえだろうが」

土方の言葉に、直ぐ様反省の色を見せる山崎。そんな山崎とは対象的に、沖田は飄々とした態度そのもので、立ち上がると障子の戸を引いた。

「総司、てめぇは何処にいくつもりだ?」

背中に掛けられた土方の声に、沖田は振り返って笑顔を見せた。

「何処って、決まってるじゃないですか。行くんでしょう?吉野屋に」

沖田は笑みを称えたままそう言って、土方の部屋を後にした。


***


唄月が吉野屋の座敷に着いた頃、其処には既に今宵の客が全て揃っているようで、唄月たちの他に呼ばれた2人の芸妓が男たちに酌をしていた。

「おぉ!待ち侘びたぞ唄月!」

唄月の姿を見るなり、座敷に居る5人の男のうちの1人がそう声を上げた。がっしりとした体格のこの男はどこぞの藩を脱藩した浪人で、ここ最近唄月に目をかけている。
唄月は微笑み、優雅な仕草で今宵逢い状を寄越した馴染みの客の隣に腰を下ろした。

「村田はん、もう酔うてはるんどすか?」

男の顔をじっと見つめながら、手にした徳利に酒を注ぐ。

「なぁに、いくら酒を浴びようとも、唄月が注がぬ酒では酔えまいよ」
「ほんまどすか?そないなこと言うて、お顔が赤うなってますえ」

クスクス笑う唄月の顔を見て上機嫌になったのか、村田は注がれた酒を一気に飲み干す。

「今夜はお連れはんもおいでやなんて、なんやめでたいことでもあったんどすか?」

あんさんも皆はんにお酌しとくれやす。唄月は菊乃屋から連れ立った鹿恋の少女にそう声を掛けた。
客が5人に芸妓が4人。座敷が少し手狭に感じるくらいの人数で、唄月は、この村田という男にしては派手な遊び方の様な気がした。

「めでたいこと……か。聞きたいか?」

ニヤリと口を曲げ、そう問う村田に、唄月は「勿論」と、返した。唄月の言葉に殊更上機嫌な笑いを洩らす男。

「村田殿、皆揃った故そろそろ本題を」

男の中の1人がそう声を掛け、村田は先程まで浮かべていた笑いを引っ込めた。その表情が真剣みを帯びる。

「我々は先日、会津藩士の暗殺に成功した」

村田は声を落とし、それでも堂々と言い放った。それがいかに誇り高いこであるのか誇示するように。

「しかし先日の行いは余興に過ぎぬ事は皆承知であろう。我らの真の狙いは、京都守護職、会津藩主松平容保」

村田の言葉に他の男たちは目を輝かせながら頷いた。男たちの周りに居る芸妓たちは、男の言葉には反応せず、顔色ひとつ変えない。
唄月も他の芸妓同様、村田の言葉を耳で聞きながらも、顔には微笑を称えたままでいた。
唄月は村田の言葉が何を意味しているのか把握している。
この座敷に居る5人の男たちは会津藩士を斬り殺し、さらには幕府側の重要人物である会津藩主松平容保を暗殺する計画を企てているのだ。
それは勿論大罪である。
解っていながらも唄月や他の芸妓たちが微動だにしないのは、ここが島原であるからだ。

島原には様々な客がやってくる。公家も武家も、そして今唄月の目の前にいるような浪士たちも。
単純に芸妓遊びをしに来る客もいれば、何やら物騒な企てを目論む客の会合の場所ともなる。
島原芸妓として生きていれば後者の様な座敷に上がることも少なくない。

島原芸妓の誰もがこの様な企てを口外せぬのは、島原という格式高い花街への信頼を害なわぬため。
この信頼こそが村田たちの様な男を島原へと引き寄せ、芸妓たちはそんな男たちの落とす金で生きていくのだ。

もちつもたれつとはよく言ったのもだと、唄月はこの様な物騒な会合の行われる座敷に揚がる度に思ったものだ。
しかし今宵、唄月の思いは別の所にあった。

以前ならば暗殺等という物騒な言葉を耳にしても、何処か他人事であった。
座敷では‘斬る’‘殺す’等という言葉を口にする男たちだったが、実際に人の命など奪っているのかどうか唄月は知らなかったから。
しかし、つい先日唄月は死を垣間見た。

『君もこのことを無用に他言するなら、僕は君を殺すよ』
唄月に向けそう言った沖田の目に躊躇はなかった。
もしあの場で‘他言する’等と答えていたら、間違いなく沖田に殺されていただろうと唄月は思う。

生きる為に芸妓となり、生きる事に執着してきた自分は、死とはかけ離れた場所にいると思っていた。
だが、生きることは常に死が隣り合わせにあるのかもしれないと、唄月は思うようになっていた。



男たちは変わらず松平容保暗殺について意見を交わしあっている。
そんな男たちの様子を見つめながら唄月は、暗殺を企てるこの男たちは、死を目論む彼らのそのすぐ側には常に死が隣り合わせにあることを知っているのだろうかと、そう思った。

と、その時、吉野屋の階下で何やら騒ぎが起こったのか、数人の荒い声が聞こえてきた。
そして間もなく階段を駆け上がってくる足音が響き、足音の主が声も掛けずに座敷の襖を勢いよく開け放った。
そこにいたのは吉野屋に奉公している女で、階段を駆け上がった所為で乱れる息を整える事さえ忘れ、矢継ぎ早に言い放った。

「――皆はん……逃げとくれやす!新選組が……!!」

女がそう叫んでから間髪入れず、浅葱色の羽織を纏った男たちが唄月たちの居るこの座敷に雪崩込んできた。