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玄関先で、『寂しい?』と華梨に聞いた。 聞いてはみたものの、彼女からの解答は1回目と変わらず、『清々する』だと思ってた。 だけど華梨は『寂しいかもね』と、そう答えた。 その言葉を聞いて、離れがたくなって、近づきたくて、俺は華梨にキスをした。 俺にしてみれば、華梨にキスしたいと思うのも、それを行動に移したのも当たり前で、自然なことだった。 だけど華梨にしてみれば突然で、不自然なものだったんだろう。唇を離すと、彼女は目を白黒させて俺を見つめていた。 その表情が可愛くて、愛おしくすらあって、俺は笑った。 「コラ!仙道!」 頭の上からダミ声が降ってきて、次に何かで頭を叩かれた。 目を開けて声のした方を見ると、丸めた修学旅行の冊子を手に、腕を組む担任が俺を見下ろしていた。 「到着したぞ。全く、いつでもどこでも寝やがって」 ぶつぶつ呟きながら、担任はバスを降りて行った。 さっき叩かれた頭を掻きながら、バス車内を見渡すと、一緒に乗っていたクラスメイト達は皆車外へ出ていた。 「……いい夢見てたのになぁ」 一人きりのバス車内でポツリと呟き、席を立った。 「仙道、お客さんだぞ」 修学旅行1日目。観光名所を回り、宿泊する旅館で夕食を済ませ、部屋でぼんやりテレビを見ていた時だった。 同じ部屋に泊まる班の1人が俺を呼ぶ。 部屋の入り口に目を遣ると、Tシャツにデニムのミニスカートを履いたサエコが立っていた。 「どうしたの?」 「うん……暇だったらさ、ちょっと散歩とかしない?」 外にね、夜景が綺麗に見える場所があるんだって。サエコはそう言った。 「いいよ。俺、ちょうどサエコに話しがあるんだ」 俺がそう言うと、サエコは「うん」と答えて、微笑んだ。笑い方が少し寂しそうに見えたのは、俺の気のせいなんだろうか。 そう思っているうちにサエコは歩き出す。夜景が綺麗に見える場所が何処にあるのかはサエコしか知らないから、俺は彼女の後ろをゆっくり歩いた。 旅館を出て、裏手に回り、少し歩いた所でサエコは止まった。 「ね?綺麗でしょ?」 「うん」 俺がそう答えると、サエコは笑った。 俺たちが泊まる旅館は小高い丘の上にあって、旅館の裏手から遠くの街が広く見渡せる。真っ暗になった空の下に、光を敷き詰めたみたいだ。 華梨にこの夜景を見せたら、どんな顔をするんだろう。 きっと、光を映した瞳を大きく見開いて、嬉しそうに笑うんだ。 「今違う女の事考えてるでしょー」 突然沈黙を破ったサエコの言葉に、思わず心臓が跳ね上がる。 サエコはそんな俺を尻目に、何も言わず広がる夜景に目を落とした。 「俺、好きな人が出来たんだ」 お互い顔を合わせずに、夜景を見下ろしたまま俺は言った。 「……その好きな人って」 サエコがゆっくり口を開く。 「この前花火大会で彰と一緒にいた人……?」 サエコの言葉に驚いて、彼女の顔をじっと見つめる。 「花火大会、あたしも行ったの」 女の子とだけどね。クスリと笑って、彼女は言った。 「否定しないってことは、あの人なんだ……。年上っぽい人だったけど、大学生?」 「ううん。働いてるよ」 「……そう」 まだ9月と言っても、夜の風は冷たかった。今いるのは神奈川よりもずっと北だから、当たり前なのかもしれないけど。 「ねぇ、その人、彰の気持ち知ってるの?」 「どうだろう。俺的にはアピールしたつもりなんだけど」 この旅行に出る前に取った俺の行動を、華梨がどう捉えたかは判らない。華梨って、なんとなく鈍感そうだし。 「俺の気持ちが伝わってたとしてもどうしようもないんだけどな」 「なんで?」 「彼氏いるんだ。望み薄だよ」 「え?なにそれ」 それまで不思議と穏やかな口調だったサエコが、急に声を荒げた。 「彼氏がいるのに手つないだりとかするんだ、その人。ずいぶん思わせぶりだね。彰、いいように遊ばれてるんじゃないの?」 手を繋いでいたところまでサエコに見られていた事よりも、明らかに華梨への嫌味が篭ったセリフの方が気になった。 華梨と俺のことなんて何も知らないサエコに、華梨のことをそんな風に言われて苛立ったけれど、それは顔に出さないように、俺は口を開いた。 「華梨はそんな女じゃないって。それにあの時は俺が無理やり彼女の手を握ってたんだよ」 俺がそう言うとサエコはしばらく黙った。 「そんなに好きなの?年上で、彼氏がいても……」 最後の方は、消え入りそうな声だった。 確かにサエコの言うとおりなんだと思う。 華梨から見れば俺なんか子供で、おまけに彼氏の言動で一喜一憂するくらいに彼女の中では彼氏の存在が大きいんだろう。 わざわざそんなややこしい相手を好きになるなんて、俺自身もビックリだ。 だけど、もうどうしようもない。俺は華梨のことがどうしようもなく好きだから。 「しょうがないよな。好きになったんだから」 自嘲気味な笑いを漏らしてそう言うと、サエコは静かに「そう」、と言った。 「……なんか、彰変わったよね」 「そう?」 「うん。なんか、優しくなった気がする」 それも好きな人のおかげ?冗談めかしてそう言うサエコの笑顔が、痛々しかった。 「やだなー、そんな悲しそうな顔しないでよー。なんか……惨めになるじゃん」 「……ごめん」 「……今までありがとう、彰」 微笑んでそう言ったサエコは、俺に背を向けて一人歩き出した。 小さくなる彼女の背中を見つめながら、最後まで俺の前で涙を見せなかったサエコの優しさと、彼女の受けた傷を感じた。 サエコだけじゃない。俺が振った女の子は、一体どんな気持ちだったんだろう。 こんなこと、今まで一度だって考えたことなかったのになぁ。 俺は下に広がる夜景よりもっと上――夜空に広がる星へ目をやる。 華梨の笑った顔が見たい。そんな風に思いながら。 *** 世の中には理解できない事なんて沢山ある。それは重々承知してる。だけど今わたしが抱えてる謎は、理解できないことの中でも特級クラスだ。 なんで彰は、わたしにキスなんかするわけ? 普段から彰は何考えてるかさっぱり解らない。そんな彼がわたしにキスした理由なんて、もっともっと解らない。 彰がいないこの部屋での数日間、何度も自問自答を繰り返し、結局わたしは『あのキスは挨拶がわりのキス』と結論付けた。外人じゃあるまいし……と、自分で見出だした結論にツッコミを入れてみたりもしたけれど。 実はほんの少しだけ、‘わたしの事好きなのか?’と頭の中を過ぎったけれど、それはすぐに却下となった。 だってわたしに彼氏がいることを彰は知っているし、彰にだって彼女がいる。だいたい、わたしは大人で、彰はたかが高校生――まだ子供なんだ。 そんなこと彰だって理解してるはずで、恋愛感情を抱く対象になるはずがない。 彰が修学旅行に出て5日目。今日の夕方には、彰は帰宅してくる。 大丈夫。わたしは大人なんだから。17歳かそこらの男の子とのキスなんて、キスのうちに入らない。 なんの意味もないキスだった。 だから彰は、いつもどおりに「ただいま」って言うだろう。 そしたらわたしもいつもと変わらずに「おかえり」って言って、笑顔で出迎えてあげるんだから。 |