「……ねぇ……何がいいの?」

さっきまで隣で寝ていたカカシが、音もなくベッドを抜け出す。
その気配を背後で感じたわたしは寝返りを打って、床に散らばっていた服に袖を通したカカシの背中に向かって問い掛けた。

カカシはいつも音も経てずにわたしの部屋から出ていく。それは眠っているわたしへの気遣いなんかじゃじゃなくて、ただ余計な物音は経てないという忍の習性でしかない。
わたしはそれを知っているからこそ、カカシがベッドを抜け出すのに気付いても声を掛ける事はせず、彼が部屋から出ていく気配を感じても目を瞑ったまま、寝ている振りで彼を無言で見送っていた。
こうして、出て行こうとするカカシに声を掛けたのは、初めてのことかもしれない。

「……起きてたのね」

暗がりでも判る。カカシの目がわたしを捉える。
ふたりの視線はぶつかるけれど、カカシの目の中にある感情を読み取れない。
わたしが起きてることなんてわかってたくせに、何も言わずに出てくなんて最低よ。でもわたしだって、出ていくカカシに何も言わないんだからお互い様か。

「……ずっとカカシに聞いてみたかったんだよね」
「何を?」
「だから、何がいいの?って」
「……?」

わたしの問に、さっぱり訳がわからないと、そう言いたげなカカシの眉が少し下がっている。

「わたしなんかの……何がいいの?」

そう口にすれば、せっせと服を着込んでいたカカシの動きがピタリと止まった。

わたしとカカシの関係は、夫婦でもなければ恋人同士でもない。未来の約束をしたことはないし、過去を語り合ったこともない。わたしとカカシとの関係は、所謂身体だけの関係ってヤツだ。
それを悲しいとか虚しいとか、憂いたことは一度だってない。
カカシは恋愛感情がなくてもわたしを抱くし、わたしもカカシに恋愛感情があるわけじゃないけれど抱かれる。ただ、それだけ。
面倒臭くなくて、楽チンな関係。わたしにとってもカカシにとってもちょうどいい関係なのだ。

けれど、最近ふと思う様になった。どうしてわたしなんだろうって。

上忍として忙しく過ごす傍らで、任務を終えればカカシは必ずわたしを抱きにやってくる。
でもさ、なんでわざわざわたしなわけ?
わたしは特別美人でもなければ、可愛げもない。寧ろいつだって無愛想。
優しさなんて持ち合わせてないし、気だって利かない。
ベッドの中でだって・・・技巧もない。
カカシくらいの男なら言い寄る女も少なくないし、わざわざわたしみたいな女を選ぶ必要ないのに。

「んー……なんでだろう」

わたしからの問への答えを探しているのか、カカシは髪に手を突っ込んで、視線を宙に向ける。
ゆっくりとした動作でベッドの端に腰を下ろすのを、わたしは黙って見続ていた。

「――なまえはさ」

言葉を紡ぎ始めたカカシの声に、耳を傾ける。
さほど大きくもない声なのに、夜中だからかやたら室内に響いた。

「なまえは、一度も俺を呼び止めたことないでしょ」
「……まぁね」
「それがいいのかも」

カカシは少し首を捻って、横たわったままのわたしをチラリと見た。

あぁ、そっか、そういうことか。カカシは、出ていく時にも呼び止めない、わたしのこのカカシへの執着のなさがいいんだ。
出ていく時に『行かないで』だとか『寂しい』だとか、そんな台詞を吐かれるのが面倒臭くて、だからわたしの所にやってくる。
やることだけやってそれで終わり。面倒臭さ皆無の関係にはピッタリの相手って事だ、わたしは。

「……悪かったわね、呼び止めて」

さっさと行けば?わたしはそう呟いて、シーツを頭まで引っ張り上げた。
わざわざ聞かなくても初めから答なんて解っていた下らない問掛けだったと、そう思う。

シーツですっぽりと顔を隠し、これじゃあまるで拗ねた子供みたいだ、馬鹿みたいと、そう思うわたし。
一方で、カカシは呆れてるのか、ハー、と、ため息を吐く音が小さく聞こえた。
ため息なんか吐くな、バカヤロー。

「話、終わってないんだけど。話してってもいい?」
「……」
「なまえはいつも呼び止めないでしょ。……それが信頼されてるような気がするんだよ」
「……?」
「オレが必ず任務を終えて無事帰ってくるって、そう信頼されてる気がするの」

カカシの言葉に、わたしは思わずシーツから瞳を覗かせた。
目が合えば、カカシはそっと目を細める。

わたし、そんなこと思ってるんだろうか。カカシが必ず帰ってくるなんて、そんな風に信頼してるんだろうか。
わたしはいつだって、出ていくカカシに声を掛けたりしない。
信頼してるとかそんなんじゃなくて、ただ何とも思ってないだけ。
カカシが出て行こうが行くまいが、わたしにはどうだっていいことだから。

だけどわたし、一度だって‘カカシとはこれが最後かも’なんて思った事がない。
わたしたちふたりの曖昧であやふやな関係はいつ終わりを迎えてもおかしくはないし、何より、忍として常に命懸けなカカシは、いつその命を終えるとも限らないことをわたしは知ってる。
それでもカカシは、またわたしのところにやってくる。
音も経てずに出ていくカカシの存在をベッドの中で感じながら、「どうせまたいつか来るんだろう」と、わたしは黙ったままでいた。
またわたしのところに来るんだろうと、そう信じて疑わなかった。


「……なまえに会うとさ」
「……」
「生きて帰って来たって、そう実感出来るんだよ」
「……」
「……聞いてる?人の話」
「……」
「……もしかして……泣いてる?」

カカシがわたしの顔を覗き込むもんだから、わたしは慌ててシーツを被った。

「……泣いてなんかないし」

シーツに潜ったままそう返したら、アハハと笑いが返ってきた。何がおかしいのよ、バカ。

「ま!これでわかった?オレがなまえじゃなきゃ駄目な理由」
「わかんないわよ、バカ」
「え?……ハッキリ言わなきゃダメ?」
「……言わなくていい」

言わないで。言わなくていい。
だってそれを言われてしまったら、わたしとカカシの関係は、ガラリと一変してしまう。
今ままでのままで良かったのに。曖昧であやふやな関係の方が良かったのに。
それなのに、なんでこんなに涙が出るの。
これじゃあまるで恋する女みたいじゃない。

「もう行きなよ。任務、あるんでしょ」

シーツの中で吐いた言葉に、カカシは「あぁ、そうだった」と、なんとも呑気な声で呟いた。
ギシリとベッドのスプリングが軋んで、カカシが立ち上がったことを知らせる。
相変わらず足音もたてずに玄関に向かうカカシの背中に、わたしは独り言の様に呟いた。

「……いってらっしゃい」

泣いた所為で擦れた、自分で思っていたよりもずっと小さな声だった。
だけどカカシは振り向いて、にっこり笑って言った。「いってきます」、と。

やがて玄関からカカシが出て行って、ひとりになった部屋。
ゆっくり起き上がって窓の外に目を向ければ、夜が明けはじめ、そんな中カカシが駆けていく姿が小さく見えた。

これからわたしとカカシの関係は、今までの関係とは全く別のものになる気がする。
それがどんなものなのか、今のわたしには予想も出来ないけれど、次にカカシが来た時には、「おかえり」と、そう言ってみようかな。
明るくなった世界を駆けていく男の背中を見つめながら、そんなことを思った。