|
卒業シーズンを迎えた3月。ニュース番組の小さなコーナーは卒業特集なのか、レポーターが街頭で学生服を身に付けた少年少女へマイクを向けて、何度も問い掛ける。
あなたの心に残る教師の言葉は?
もし俺がそう問われたなら、間違いなくあの言葉を選ぶ。
その言葉を言われてから数年の時が経っている今でも、情景をありありと蘇らせることが出来るくらいだ。
戸惑ったように眉尻を下げ、だけど彼女のそれは一瞬で、呆れた様にため息を吐いた。
口元には薄い微笑みを浮かべ、薄く口を開いて紡いだ言葉。
『生意気なこと言うね、君は』
何も知らない奴からすれば、特に‘心に残る’様な感動的でもなんでもない、ふざけた台詞。
だけど俺にとっては、たぶん一生忘れることが出来ない、‘心に残る教師の言葉’だ。
◆ ◆ ◆
「みょうじ、アイツは?」
「アイツって……坂田先生?坂田先生の行方はワタシも探してるんだよね」
今日中に校長に提出しなきゃいけない書類全部ワタシに押し付けてどっか行っちゃってさ。銀魂高校の職員室の窓際。机の上に大量の書類を広げたERRORなまえは、大きな溜め息を吐いてそう言った。
「それより良い所に来たね、土方」
「は?」
安っぽい回転椅子の背もたれに体重を預け、俺を見上げるみょうじの口元には不適な笑み。
嫌な予感を覚えた俺は、「いや、俺提出物届けに来ただけっすから」と、手に持っていたプリントをみょうじの隣の席――今は主が不在である担任の机に叩き着けた。
「まあまあ待ちなよさいよ多串くん」
踵を返した俺。だが学ランの裾を力強く引っ張られて身動きが取れない。
「多串じゃねぇよ、土方だ。それとその手を離せ」
「多串だろーが土方だろーがどっちだっていいけどさ、あんたどうせ暇でしょ?ちょっと書類整理手伝ってよ」
「どっちでもいいわけねぇだろうが。つーかその書類整理はお前らの仕事だろ。俺に押しつけんな。大体俺は暇じゃねェ。これから委員会があんだよ」
「つべこべ煩いなァ。いいから黙って手伝いなさいよ。委員会なんて一回や二回サボったって死にゃあしないんだから」
みょうじは女とは思えない力で、俺を無理矢理自分の隣の席に座らせると、書類を半分、大雑把に鷲掴みにしてこちらによこした。
「……テメェそれでも教師かよ」
「これでも立派に教師ですゥ。ほらほら、口動かす暇あったら手ェ動かせー」
俺の都合なんぞ無視して、自分の仕事を否応なしに押し付ける。
これはもう、どうやったって逃げることは不可能だと判断した俺は、諦めて書類整理に手を掛ける。
面倒臭いことこの上ない雑務を早く終わらせ様と黙々と作業する俺の横で、「ホント面倒臭い。坂田先生自分が面倒だからって全部ワタシに押し付けたんだよ。土方はあんな駄目な大人になるなよ」とかなんとか愚痴を溢しながらぐだぐだと書類整理をするみょうじ。
そんなみょうじに「お前も十分駄目な大人だろ」と返したら、勢い良く後頭部を叩かれた。
無理矢理仕事押し付けるわ、担任の愚痴を漏らすわ、頭叩くわ、俺からすりゃいい迷惑だ。
これで教師かよ、と呆れ、みょうじ本人に本気でそう問いただしたくもなるが、コイツの教師らしからぬ振る舞いは今に始まったことじゃない。
死んだ魚の目をしてるヤル気の無い担任に負けず劣らず、副担任であるみょうじなまえも、どう甘く見たってマトモな教師とは言い難い。
仕事を押し付けたり愚痴を溢したりなんてのはまだ可愛い方で、いつだったか、遅刻を三回繰り返した生徒を縄跳びのロープで縛り上げ、『私は遅刻をしました』と書いたデカいプラカードを持たせて廊下に立たせた事があった。
また、体育祭の恒例行事である教師対抗リレーでアンカーを任されたみょうじは、走る寸前まで散々「面倒臭い」と文句を言っていたくせに、いざ走りだしてみれば、前を走る日本史教諭服部を追い抜かせない事が余程悔しかったのか、持っていたバトンを服部のケツに食い込ませ、服部が倒れた隙に一気に突き放し、見事みょうじのチームは一位になった。
教師としてはあまり誇れない武勇伝を数多く持つみょうじなまえ。
担任といい副担任といい、どうして3年Z組にはろくな教師がいないんだ。
ハァと大きな溜め息を吐き出して、隣に座るみょうじに「終わった」と声を掛ける。
「サンキュー土方。やっぱ2人でやると仕事が早いわ」
「2人って、お前殆ど何もしてねェじゃねぇか」
取り敢えず書類の半分を俺に寄越したみょうじだったが、バラバラだった書類が見る見るうちに少なくなっていく俺に対し、みょうじの机の上の書類はいつまで経っても整わなかった。
見兼ねた俺はみょうじの机の上から書類を奪って、結局殆どを1人で整えたのだ。
お陰で作業に時間が掛かり、職員室内を見渡せば俺らの他には誰もいない。
「校長に提出すんだろ?居ないのにどうやって提出すんだよ」
「まぁいいんじゃない?今日中には終わったことだしさ」
やっぱデスクワークは向かないやと言いながら、腕を伸ばすみょうじ。
だから、お前はデスクワークじゃなくてただ座ってただけだろう。
「もういいっすか?俺帰るんで」
これ以上みょうじの近くにいてはどんな災害が降りかかるかわからない。
長居は無用と、席を立つ俺をみょうじは呼びとめた。
「あー、ちょい待ち土方」
「なんだよ、俺はもう帰るんだよ」
「いいからちょっと待てってば」
みょうじはそう言って立ち上がると、職員室のドアを潜り、廊下に出た。
姿を消してから数分。みょうじが職員室に戻らないうちにさっさと帰ってしまおうかとも思ったが、『待ってろ』と言われたのに勝手に帰宅したことを知ったあいつが、明日どんな復讐を行うだろうかと考えた所で思いとどまる。
やがて「おまたせー」と呑気に言いながら、みょうじが職員室まで戻って来た。その手には缶ジュースが握られている。
「ハイ、これ手伝ってくれたご褒美」
みょうじは手にしていた缶ジュースを俺に向かって軽く投げる。
俺の手にぴたりと収まったそれは、ひんやりと冷たくて薄っすら汗をかいている。
「お前の仕事全部やってその礼が缶ジュース1本かよ」
「あ?文句あんの?黙って有難く受け取りなさいコノヤロー」
「……アリガトウゴザイマス」
「どういたしまして」
渋々礼を呟く俺に、みょうじは満足そうにニカっと笑った。
みょうじの笑顔を見て俺は、仕事を押し付けられた理不尽さも、ずっと机に向かっていたせいで背中が地味に痛んでいたことも忘れてしまいそうになった。
その代わり、心臓が大きな音を起てたことには気付かないふりをした。
屋内に居ても身を縮こませるくらいに冷たい空気。いよいよ卒業が迫ったこの時期には殆どの生徒は進路が決まっていて、皆妙に浮かれている。(このクラスはその浮かれっぷりが半端ではない)
誰もが何処となく浮き足立っていた時期に、銀魂高校ではある噂が流れていた。
「聞きましたかィ土方さん。銀八とみょうじセンセーの噂」
「あぁ?」
その日の授業が全て終わり、賑わう教室内。前の席に座る総悟がこちらを振り向き、何を口にするかと耳を傾ければ、聞き飽きた名前が2つ出てきた。
「なんだよ、噂って」
噂なんてのはいつだって一人歩きして、大抵が真実味もねぇし信憑性にも欠けている。
そう知っているくせに改めて聞いてしまうのは、出てきた名前の所為だという事を、この頃にはもうとっくに自覚していた。
「知りたいですかィ?知りたかったら土下座して『教えて下さい総悟様』って言え」
「ふざけんな誰が言うか」
「……冗談でさァ。ったく冗談の通じねぇつまんねー人だァ。死んじまったらどうですか?」
何処までが冗談で何処からが本気なのか一切掴めない総悟に溜め息を吐き、もうコイツからは噂について聞き出すことを諦めようと席を立つ。
「銀八とみょうじ、デキてるらしいでさァ」
教室のドアへ向かう俺の背中に、総悟が声を投げ掛ける。
「……は?」
総悟からもたらされた噂の内容に、間抜けたけた声を出す俺。そんな俺の顔が余程小気味良いのか、総悟の口がニヤリと笑う。
「隣のクラスのヤツが腕組んで仲睦まじく歩く2人を見たらしいですぜ」
しかもラブホテルから出できた所だったとか。言いながら、相も変わらずニヤニヤと笑いを浮かべながら俺の顔を覗き込む総悟に苛立ちを感じる。
胃の中でじわりと胃酸が広がる感覚がするのも、きっとコイツの所為だ。
「……下らなねェな」
総悟に言葉を投げつけ、俺は教室のドアをピシャリと閉めた。
付き合ってる?あのダメ担任と教師らしさも無きゃ女らしさの欠片も無ェみょうじが?
確かに2人は、3年Z組の担任と副担任という、ある種特別な関係なのだろう。だがあの2人が恋愛関係だと、そう言われても全くリアリティが無い。
だいたいあいつら2人を見たっていう奴がどいつかもはっきりしてねェし、見間違いだってこともある。
馬鹿馬鹿しい。噂なんてのはやはり真実味も信憑性もない。
そう思いながらも、俺の足は昇降口ではなく、進路指導室へと向かっていた。
「あれ?土方じゃん」
進路指導室のドアを開ける。そこにはみょうじの姿があった。
向かい合わせに並べられた長机に、壁に沿って並んだ本棚があるだけの、俺たちの教室に比べればいくぶんか小さな部屋。
みょうじはドアに向かい合わせになるようにして長机の向こう側に腰を下ろし、あろうことか煎餅を貪っていた。
「何しに来たのよ、アンタ。土方はもう進路決まってるでしょー」
この進路指導室は、その名の通り進路に関する相談ごとを受ける事が前提の部屋だ。
殆どの生徒が進路を決めた今でも、放課後には当番制で教師が1人駐在し、未だ進路の決まらない生徒の今後を決めるための部屋として開放されている。・・・本来は。
「お前こそここで何してんだ。煎餅食ってていいのかよ」
「バレなきゃいいのよ、バレなきゃ。……チクんなよ土方」
「チクんねェよ」
ならよかった。煎餅をバリボリ噛み砕きながら、みょうじは言う。
「で?アンタほんと何しに来たわけ?暇つぶし?」
「こんなとこで潰すなら余所で潰す」
「じゃあ何?……ちょ、まさかアンタまで近藤みたいな相談じゃないでしょうね」
「近藤さんも来たのか?」
「そぉよ。近藤ってば『お妙さんと別々の進路なんて耐えられない!俺は24時間お妙さんと一緒じゃなきゃ死んでしまう病気なんです!どうしたらいいですか!?』なーんて泣きついてきてさぁ」
「……で?お前なんつったんだ」
「『ならいっぺん死んでもう一度人生やり直すっていう進路もあるよ』って」
「鬼かァァァァ!!!」
「しょうがないじゃん。まぁ土方はそんな話しには来ないから安心だよ」
言って、みょうじは机の上に置いてあった煎餅の袋に手を突っ込む。
俺は、みょうじの言うところの‘そんな話’をしに来たのだというのに。
「……みょうじ」
「んー?」
「お前、アイツと付き合ってるって……ホントか?」
「もしかして坂田先生とワタシがデキてるって噂の事言ってんの?」
どうやら件の噂は当の本人の耳にも届いていた様で、みょうじは落ち着き払っていた。
その落ち着きが、俺の心臓を慌ただしく動かさせる。
「なんでそんな噂になったかねー」
「知らねェよ。……隣のクラスの奴に見られてたらしいぞ。腕組んでラブホテルから出てきたトコ」
「はァ!?とんでもない尾ひれがくっついてるなぁ、その噂」
みょうじは噂になっている事は知っていた様だが、その内容までは詳しく知らなかったらしい。余程驚いたのか、眼を見開いて、口を閉じるのを忘れている。
やっぱり噂はあくまで噂だったらしい。俺は気付かれないようにほっと息を吐き出す。
――が、
「ワタシが坂田先生と行ったのはラブホじゃなくて居酒屋だし。ていうか腕組んでるとこ見られたのはちと参ったな」
アハハと笑いを漏らすみょうじ。
オイ、噂の内容とのズレが1か所しかねェじゃねぇか。
ぐらり、と、体が揺れる感覚。
「噂、ホントなのかよ」
「ホントっつーかなんつーか……」
「デキてんのかよ?アイツと」
気付けば俺は、身を乗り出してみょうじに迫っていた。
みょうじはそんな俺に驚いたのか、少しだけ目を見開いた。
「デキてるわけないじゃん。坂田先生と飲みに行ったのは大学入試も一通り終わったし、ちょっと息抜きしようって行っただけ。腕組んでたのはあの人が酔って1人じゃ歩けなかったからワタシが支えてやってたの」
「……」
真っすぐ俺を見るみょうじの瞳は揺るがない。
コイツは、ふざけた教師だが、嘘だけは吐いたことがない。
「……っていうかさ土方、あんたなんでそんな噂気にすんの?」
みょうじは俺の目をじっと見つめる。
馬鹿かコイツ。そんなの、決まってるだろうが。
「……みょうじ」
「何よ?」
「俺、お前の事が好きだ」
口から出た言葉に、俺自身が驚いた。
自分の気持ちに気付いてからというもの、教師と生徒という関係を考えれば、口にしたってどうなることもないと分かっていた言葉。
卒業するまで告げずに終わり、そして永遠に紡ぐ事は無いだろうと思っていた言葉だった。
自分の口から発せられた言葉が頭の中にガンガン響く。そしてみょうじはといえば、俺の顔を真顔で見つめている。
やがて何処か遠くに視線を向けてはまた戻し俺と視線をぶつけた。
戸惑ったように眉尻を下げ、だけどそれは一瞬で、呆れた様にため息を吐いた。
口元には薄い微笑みを浮かべ、口を開いく。
「生意気なこと言うね、君は」
教師を好きだなんて100年早い。みょうじはそう言って、いつか見せたような屈託ない笑顔をしてみせた。
◆ ◆ ◆
銀魂高校の校庭に、こんなに桜が植わっていた事を、俺は卒業してから数年経過した今になって初めて気付いた。
風が吹き、桜の花びらを散らしていく。
俺はコンクリートに散った花びらを踏みしめながら、校舎へと向かった。
校舎に入る為、職員用玄関を使う。そいえば在校中は一度もこの玄関を使ったことが無い。
玄関で靴を履き替え、すぐ左手に職員室がある。職員室の前で息を大きく吸い込み、吐き出してからドアを開ける。
「おはようございます」
室内に響き渡るよう、しっかりとした声量でそう告げた。教員にしろ会社員にしろ、新人は取りあえず挨拶からだろう。
俺の声に気付いた教員がこちらを見る。何人かは見知った顔もいるが、俺の目にすぐに飛び込んで来たのは、やはりというべきか、綿飴みたいな頭の、死んだ魚のような目の男。
「多串ィ、お前教師になっちゃうなんて物好きだなオイ。変態なの?お前変態だったの?俺は変態を育てちゃったの?」
相も変わらず俺を『多串』と呼ぶかつての担任教師。
「ホント物好きだな多串」
そう言ったのはかつての担任の隣の席に座る女教師、副担任だったみょうじなまえだ。
「俺は土方だっつってんだろ」
「てめーもう学生じゃねぇんだ、口の利き方気をつけろー」
みょうじはそう言って俺の頭をバシリと叩いた。
自分の口の悪さは棚に上げて俺の頭を叩くその根性。どうやらみょうじなまえも相変わらずのようだ。
「でー?久しぶりの学校はどうよ、土方先生」
ニヤリと笑いながら、‘先生’の所にやたら力を入れてみょうじは言う。
そう、俺は銀魂高校を卒業して数年経った今日から、銀魂高校の教師となる。
数年ぶりに訪れた校舎は当時より少し色褪せて見えたが、みょうじなまえは当時と変わらない。
変化といえば俺の知っている頃より少し髪が伸びたくらいで、教師らしからぬ横柄な態度も、その笑顔も、何も変わらない。
『生意気なこと言うね、君は』
自分の気持ちを告げた時に返されたみょうじの言葉が脳裏を過る。
卒業してからも忘れられず、苦しめられ、そして俺がここまでやって来るまでに糧となったその言葉。
「……みょうじ」
「‘先生’」
「ちっ……みょうじ先生」
「あ、お前今舌打ちしたろ。……で、何、土方センセ」
俺を見つめるみょうじの瞳に濁りは無い。
コイツは憶えているだろうか。
俺が告げた気持ちを。
俺に返した言葉を。
「お前、憶えてるか?」
「何をよ」
「俺に言った台詞」
「どの台詞よ」
みょうじはどうやら思い当たるものが無いらしく、首を傾げた。
「『生意気なこと言うね、君は』」
「……は?」
みょうじはさっぱり訳が分からないとでも言う様なアホ面で、それが俺を苛立たせる。
「……忘れたのかテメェ」
「だから、何のことよ」
やはりみょうじの記憶からは、俺が告げたみょうじへの気持ちなんぞ抜け落ちているらしい。
まぁそれはある程度予想していた事だった。とは言えやはり気落ちする。
俺は大袈裟に溜め息を吐いた。
「撤回させてやるからな、お前の言葉」
「だからなんだってのよ」
さっぱり訳がわからないと、そう言いたげな顔をしたみょうじを尻目に、俺は宣言する。
『生意気なこと言うね、君は』
お前のこの言葉が、当時の俺を奈落の底まで引きずり下ろし、そしてここまではい上がらせた。
教師と生徒という関係故に吐かれた言葉は、今はもう通用しない。
覚悟しろよ。
絶対に、撤回させてやるからな。
|