私はいったい、なにをしているんだろう。
 ちょうど夕食時を迎えて賑わう店内。一角にあるテーブルに腰を下ろし、空席になったままの向かい側を見詰めてそんなことを考えていた。

 そもそも、はじめから間違えたのだ。こんなこと、引き受けるべきではなかった。
 後悔したってどうにもならないとわかっていながら、自然と漏れるため息は重々しい。

 もう帰ってしまおうか。上司の顔を立てるためだとか職場での気まずさだとか、そういう面倒な重荷を脱ぎ捨ててしまえばいい。
 第一、相手だっていまだ姿を現していない。約束の時間から一時間近く経過しているというのに。
 意を決して立ち上がろうとした私の目の前に突如人が現れ、小さな悲鳴を漏らしてしまいそうになる。

「いやー、遅れてすみません」

 本当にすまないと思っているのだろうか。疑いたくなるくらい軽い謝罪に腹が立たないでもないけれど、私も無断で帰ろうとしていたのだ。何も言わずに黙っておくことにした。

「はたけカカシさん、ですよね」
「あれ?君は確か……」
「はい、木ノ葉病院で勤めています、空野ヒバリといいます」

 彼が私の顔を覚えていたことには驚いた。私はこのひとと、一度も言葉を交わしたことがなかったから。

「火影様と院長は?」
「先程帰られました。お二人ともお忙しいみたいですね」

 向かい側の席に腰を下ろし、はたけカカシは困った、と言わんばかりに眉を下げる。

「はたけさん、なにか召し上がりますか?」
「オレはいいよ。君は?」
「私も結構です」
「そう?」
「はい」
「……」
「……」

 今まで一度も言葉を交わしたことのない者同士が盛り上がれる訳もなく、当然の様にやってくる沈黙が息苦しい。
 オーダーを取るウェイターの活気ある声や、食器がぶつかり合う音。他の客たちの話し声で賑やかな店内で、私たちのいるテーブルだけはまるで別世界みたいだ。

「……迷惑かけたね」

 気まずさに堪えきれず、私の視線はテーブルの木目を追っていた。
 不意に聞こえた声が私に向けられたものだと気付き慌てて顔を上げると、はたけカカシは相変わらずの困り顔で笑っていた。

「見合いだなんて、君も困ったでしょ」

 はたけカカシの言葉を否定するべきだろうか。迷ったけれど、結局私は何を言うでもなく、苦い笑いを返した。





「空野さん、院長先生がお呼びよ」

 同僚にそう声を掛けられた時、私はその場で動きを停止してしまった。

 私は木ノ葉の里にある病院で勤めている。この病院の主力は医療忍者たちで、私の仕事は彼らのサポート役だ。
 医療忍者の処置を受け入院した患者の様子を確認したり、軽傷患者の手当てやカルテ整理。どちらかと言えば裏方的な役割だと、私は思っている。
 裏方的役割をこなす目立たぬ存在の私が、院長から直々に呼び出されるなんて一体何事だろうか。
 不安を抱えながら院長室のドアを潜った。呼び出されるのが初めてなら、院長室を訪れるのも初めてだ。そこは清潔感のある白い壁紙に、木製の事務机と接待用のテーブルが置かれた、落ち着いた印象の部屋だった。
 院長は事務机の前に腰を下ろし、私の姿を認めると愛想の良い笑顔を見せた。

「すまないね、仕事中に」
「いえ、大丈夫です。あの……私にご用というのは……?」
「いや、用といっても大したことじゃないんだよ。立ち話もなんだから、掛けて掛けて」

 院長は接待用のソファを勧めてくれたけれど、丁重に辞退させてもらった。あまり長居はしたくない。

「空野さんは、お付き合いしてる人とかいるのかな?」
「……は?」

 予想外の問い掛けに、私は間抜けた声を出してしまった。

「……いませんが……」
「そうか、それはよかった!……いや、実はね、火影様から依頼があったんだ」
「依頼……ですか?」
「ああ――」

 火影様は常々、この里の忍たちに家族を持つように勧めているらしい。
 次世代の忍が絶えぬよう、里の戦力存続の為。危険な任務をこなす忍たちの憩いとする為。様々な意図が込められた推進事項は、単身者同士の見合いという形で進められていると、院長は語った。

「いま火影様はある忍の相手を探してらっしゃってね。病院に勤める者で誰かいないかと、私相談されたんだ」
「それで私に……ということですか?」
「そうなんだよ。君は気立ても良いし、年頃もピッタリなんじゃないかと思ってね」
「忍のお相手なら、同じ忍の方がいいんじゃないでしょうか?私のような一般人ではなく」
「それがねぇ……くの一とも話があったらしいんだが、結局全て断ってる人なんだよ」

 ならそのひとも結婚する気なんてないんじゃないだろうか。私が相手になっても無駄なのでは?
 すぐそこまで出かかった言葉を飲み込んで、この話をやり過ごす返答を頭の中でかき集める。

「私は――」
「頼むよ、私の顔を立てると思って」

 私の言葉を最後まで聞くことなく、院長は手を合わせた。
 見合いといっても堅く考える必要はないよ。ただ一度、相手と食事をしてくれるだけでいいから。院長はこちらが驚いてしまうくらいの必死さで、私を口説く。
 上司(それも院長だ)にここまでされてしまっては断ることなどできる筈もなく、私は頷いてしまったのだ。


「院長の話、なんだったの?」

 院長室から戻るなり、同僚が私に問い掛けた。同僚の目に浮かぶ好奇の色には気付かないふりをして、私は院長とのやり取りを彼女に語った。

「お見合いって……大変ねぇ、空野さん」
「ええ。代わってほしいくらいですよ」
「あたしはダメよぉ。この前彼ができたばっかりだし。ほら、でもこれってチャンスかもよ!」
「チャンス……ですか」
「いい人だったら真剣に結婚を考えてみてもいいんじゃない?」
「はあ……」
「それで相手は誰なの?」
「……はたけカカシ上忍です」
「えっ!?カカシさんなの!?」

 お見合い、あたしが行くことできないかなと、はたけカカシの名前が出た途端自らの言葉を覆す同僚。思わず苦笑いが漏れた。

 はたけカカシの名前は私も知っていた。病院で何度か見掛けたこともある。私にとってはそれだけに過ぎないけれど、同僚やほかの人たちにとってはそうではないらしい。

 はたけカカシ。忍としてとても優秀な、木ノ葉隠れの里きってのエリート忍者。
 写輪眼のカカシ。千の術をコピーした、天才コピー忍者。
 彼に付いた異名もその武勇伝も同僚からもたらされたものばかりで、私にはなんだか現実味のないお伽噺のように聞こえた。
 そんな相手と見合いをすることになったという事実もどこか現実味がなくて、他人事のように考えていたのだ。





「……やっぱり間違ってますよね、こんなの」
「ん?」
「その気もないのにお見合いだなんて、時間の無駄としか……」

 私が言うと、はたけカカシは苦い笑いを漏らした。といっても彼の顔は額宛とマスクで半分以上が隠れているから、表情はよく見えないのだけれど。

「……すみません。余計なこと言いました」
「いや。オレもそう思ってたから」

 はたけカカシの台詞に、今までの見合いが全てうまくいっていないのだという院長の言葉を思い出す。

「……今までの見合い、全て断られてるそうですね」
「ハハ……そんなことも聞いてたの?」
「はたけさんも大変ですね。結婚されるつもり、ないんでしょう?」
「ま、火影様の命令だしねぇ」
「忍も色々大変なんですね」

 私は忍について深い理解があるわけではない。危険な任務をこなし特殊な術を用いる彼らは、私からすれば同じ人間とは思えない、別の生き物のように見えていた。
 未知の生き物である忍となにかを共感をしあうのは、とても不思議な感じがした。それが『望まぬ見合いをさせられる面倒臭さ』だったりするから、なおのこと可笑しい。

「恋人がいるって、嘘をついてしまえばいいのに」
「たぶん見破られるだろうね」
「なら、お見合いしたひとと上手くいきそうって報告してしまうとか」
「相手に迷惑が掛かるじゃない」
「そうですか?私は別にかまいませんけど」

 仮にはたけカカシと結婚を前提に付き合うことになったと報告されたとしても、私にはなんの問題もない。
 院長に「その後どうなってるの?」なんて問い質されたり、同僚たちに好奇心旺盛な目で見られることになるかもしれないけれど、そんなもの適当にはぐらかしてしまえばいい。
 義理立てすべき恋人だって私にはいないし、これから先も恋人をつくる予定はないのだ。時間が経つうちに話は曖昧になって、いつの間にかなかったことになってくれる。

「そろそろ出ましょうか。何も頼まないとお店にも迷惑ですし」
「そうだね」

 里の大通りから少し奥まったところにある店を出ると、辺りは夕方の薄闇の中に浸っていた。あちらこちらで光る電灯が、私とはたけカカシをぼんやり照らしている。

「今日はお疲れ様でした」
「ああ。君も」
「私こっちなので」
「送って行こうか?」
「いいえ、大丈夫です。まだ明るいですし」

 挨拶を済ませると私たちは店の前で別れ、それぞれ別の方向に向かって歩き出す。
 ある程度距離が開いたところでちらと後ろをうかがったけれど、はたけカカシの姿はもうどこにもなかった。
 はたけカカシが視界から消えたことに安堵して、私は深いため息を吐く。

 ――私は余所者ですから。
 院長から見合いの話を聞いた際、断りの理由として浮かんだ言葉を思い出す。
 院長だって知らない筈はない。それでも私にこの里の忍と見合いをさせるだなんて、相手探しに手を焼いていたんだろう。
 それにしても、だ。私が忍と見合いだなんて。結婚して、家族になるだなんて。

 未だ現実感を得られない不可思議な出来事も、今日で終わりだ。明日からはまた、現実的な日常が戻ってくる。
 ひとつ小さく息を吐き出して、私は再び歩き始めた。

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