私の生まれた国は、とても小さな国だった。
 地図で見ても、本当に目立たない。周辺を他国に囲まれ、ぎゅっと圧迫されているような印象があった。火の国から遠く離れた場所にあるその国は、今はもうこの世界から名前さえ消えてしまっている。


「……カカシは知ってた?私の生まれた国の名前」
「ああ、覚えてたよ。確かに小さい国だったけど、忘れちゃいけない国の名前だと思ってる」

 カカシの言葉に私は小さく頷いて、手にしたグラスを傾ける。



 ――お前がどう感じたのかが知りたいんだよ。
 カカシと食事をした帰り道。故郷の歌を口ずさみながら涙を流した私の手を引いて、カカシが言った。

 ――もう少しお酒がいるかもしれない。
 そう言った私の手を握ったまま、カカシが笑う。

『何処か店に入る?』
『……私、今すごく目が赤いと思う』

 こんな目で店に入るのは恥ずかしい。私が言うと、カカシは笑った。少し腹立たしくなったので、握った手に力を込めた。カカシは苦い笑い声と共にで「痛いな」と呟いたけれど、本当は痛くも痒くもないのだろう。その証拠に彼の声は少し弾んでいた。

『ちょっとここで待っててちょーだい』

 少し歩いたところで見えた公園を指差して、カカシが言う。私が頷くと、カカシは私をひとり残してその場を後にする。細長い鉄柱の先に付いた、ぼんやりとした人工の灯りの下、カカシが消えていった暗い路地をぼんやりと見つめていた。
 このまま私が消えたらカカシはどうするだろうとか、カカシが戻ってこなかったらどうしようだとか、ひとりきりでそんなことを考えていた。
 数分後、カカシが再び戻ってくる。その手にはアルコール類の詰まった紙袋があった。

『ここで飲む?』
『………』
『だよなぁ』

 私の沈黙を拒否と捉えたカカシが、苦笑いを漏らす。

『オレの家でいい?』

 カカシの後に続き、見慣れぬ通りを歩いてたどり着いた彼の部屋。そこは思いの外小さな造りで、必要最低限の家具しか置かれていない、生活感のない部屋だった。彼がここで過ごす時間は極僅かなのだろう。


『適当に座ってて』

 額宛てを外し、ベストを脱ぎながらカカシが言った。
 私が床に直接腰を下ろすと、カカシは笑みを浮かべながら隣に座った。口元のマスクは既に下げられている。

『なにか食べる?』
『……いらない』

 私は答えて、カカシが用意したアルコールをグラスに注ぎ、一気に煽った。
 望まれたこととは言え、話すと決めたのは私自身だ。にも関わらず、いざ話すとなると言葉をうまく見つけられない。
 早く酔ってしまおう。アルコールの力を借りるなんて情けないけれど、ある程度の勢いは必要なのだ。

 慌ただしく杯を重ねる私の横で、カカシは少し笑って言った。そんなに焦らなくていいよ、と。
 私はペースを落とし、ゆっくりとグラスの中の液体を減らしながら、頭の中で言葉と感情を整理した。暫くの間、黙ったままその作業を続けていたけれど、カカシは何を言うでもなく、彼のペースでグラスを口に運んでいた。



「……もうかなり昔のことなのに、あの時のことは今でもはっきりと覚えてる」

 私の生まれた国に隠れ里は存在しなかった。生国は外交が乏しく、他国の人間を見ることも希で。両隣に位置する隣国はそれぞれ隠れ里を有していたけれど、忍の姿を見たことは一度としてなかった。
 私が初めて忍の姿を見たのは、奇しくもあの時で。

 あれは私が子供だった頃のこと。
 両隣に位置する2つの隠れ里は、かつてないほどの緊張状態にあった。
 後に起こる忍同士の大きな戦争の寸前。互いに勢力拡大を目論む2つの里は、それぞれが一番近くにある隠れ里の吸収を企てていた。
 隣国はどちらもさほど大きな国ではない。隠れ里を有しているからといって、忍5大国のように国と里とが対等ではなかった。産業や農業など特性のない両国は、隠れ里という軍事力に大いに頼りきっていた。それゆえ国と里との力関係は圧倒的に隠れ里にあり、戦争の際にも国側を大きく揺さぶったという。
 とても似通った境遇にあった、両隣の国に存在する隠れ里。隠れ里同士に大きな力の差はなく、暫し膠着状態が続く。
そんな状況を打破すべく、それぞれの隠れ里は国に対し、相手国に攻め入ることを強要。国側は押しきられる形で承諾し、2つの隠れ里は戦争を開始した。

 ここでの不幸は、私の生国だった。
 隠れ里を持たない、非力な国。両隣に隠れ里を有した国があり、その2つが戦争を始めたことをきっかけに運命が大きく左右された。

 戦争を始めた2つの里は、あいだを挟む生国に目をつけた。相手国へ乗り込むため、小さな国を奪うことを優先させた。
 2つの隣国は生国を懐柔すべくあらゆる手を尽くしたけれど、最期までうんと言わない小さな国に対して、痺れを切らした。
 実力行使とばかりに2つの里から大勢の忍が流れ込んできて、私の育った小さな村も、あっという間に戦場と化した。


「……忍同士の戦いは現実の出来事とは思えなかった……。あっちで水が噴き上げたかと思ったら、こっちで大きな火柱が立つ。一方では砂嵐がおき、大きな雷が落ちる……」

 あの光景を思い出すと、私の耳に声が聞こえてくるような気がする。
 突然始まった忍たちの戦争に巻き込まれた罪のない人々が逃げ惑う。恐怖に慄いた叫び声や、忍術の巻き添えとなった人の、痛みを抱えた呻き声。どんなに忘れたいと願っても、決して消えてくれない声たち。

「暮らしていた村にも忍がやってきて、いつのまにか戦いが始まってた。みんな逃げるのがやっとで、混乱しきって……。私の父親は責任感の強い人で、同じ村に住む人たちの避難に協力するといって、村に残った。母親は私の手を引くことで精一杯だった」

 話しながら、私の視線は手の中にあるグラスに向けられている。じっとグラスを見つめていると、私の手を引く母親の横顔が浮かんでくる。
 蒼白な顔をして、まっすぐ前だけを見ていた。時折、「大丈夫だからね、大丈夫だからね」と、薄く開いた口許からこぼれていた言葉は、私に向けた励ましだったのか、母自身に言い聞かせていたのか。今となっては、もうわからない。

「母親が傷を受けたのは、一緒に逃げている途中だった。突然たくさんのクナイが降ってきて、母は咄嗟に私を庇った」

 隣にいるカカシはずっと黙ったまま、私の言葉に耳を傾けている。カカシの視線を顔に感じるけれど、私は彼の顔を見ることができない。
 他人にこの話をするのは初めてで、どんな顔をすればいいのかわからない。

「……母の体にはずいぶん多くのクナイが刺さっていた。深く刺さったクナイもあれば、かすり傷もあった。でも致命傷ではなかったと思う。傷を負った後も、母は暫く歩けていたから。……すぐに治療していれば、あるいは助かったのかもしれない。でも母は、私の命を救うことを優先した。村から遠く離れた避難所になんとかたどり着いた後、安心しきった顔をして、母は死んでいった」

 村人の避難所までの誘導を買って出た父親が私のもとに戻ってきたのは、母親の死から数日後のことだった。
 母と同様、忍の戦いに巻き込まれた父。望んでいなかった、無言の再会。
 私は、戦争孤児となった。


「……私の両親が戦争に巻き込まれて死んだことも調べたの?」
「……記録に残ってたからね」
「そう……よかった」
「よかった?」
「あの時は国全体がとても混乱した状況だったから、両親は記録にも残らず無縁仏として処理されているかもしれないって思っていたの」
「……ヒバリは両親が亡くなった後すぐに国を出たのか」
「ええ。混乱した状況は続いていたけど、子供だった私は優先的に国から脱出させてもらえたから」

 両親の遺体がどうなるかなんて、当時の私には考えも及ばなかった。ただ、周囲にいた大人たちの指図に従うことしかできなかったから。

「……生まれた国を出た後のことも、全部調べたんでしょう?」
「一応ね」
「じゃあ私がこの里に来るまで、何ヵ国にいたかわかる?」
「4ヵ国だろ?火の国で5ヵ国目」
「……本当に全部調べたのね」
「オレが知ってるのはあくまで記録上のことだけだよ。ヒバリがどう感じていたのかは書類からは読み取れないからな」
「うん……」

 カカシがグラスを傾ける。同じタイミングで、私もグラスに口を着けた。ちらりと隣を窺うと、カカシと視線がぶつかって、慌ててグラスに目を向けた。目を逸らしても、一瞬捉えたカカシの真剣な眼差しが、目の裏に焼き付いて離れない。


「……国を出た私は、難民の受け入れに積極的だった遠方の国へ行ったの。そこも小さな国だったけれど、隠れ里もなく、平穏な環境だったと思う」

 逃れた先の国で、私は孤児院に身を寄せることになった。そこで暮らし始めた当初は現実をうまく飲み込むことができず、ただ時間の流れに身を任せていたに過ぎなかった。
 時が経ち、ようやく事実を受け止められるようになった頃、私は深い悲しみの中に身を置いた。突然にして、両親とすみかを奪われた悲しみ。

 私がなにか悪いことをしたのだろうか。どうしてこんな目にあわなければならなかったのだろうか。どれだけ考えても答えはない。回りの大人たちは憐れんだ目で私を見るだけだった。

 答えの見つからない深い悲しみは、やがて憎しみに変わった。
 理由もなく、一方的に私から大事なものを奪っていった、忍という存在。彼らが戦争さえしなければ、彼ら忍といういきものが存在しなければ、私はひとりぼっちにならずにすんだのに。私は強く、そう思った。

「私みたいな境遇の子供なんて孤児院では珍しくなかった。でも、私は誰にも傷口を触れさせることができなかった。……慰めあうことは無意味だと思った。そんなことで傷が癒えることはないと、そう知っていたから」

 働ける年齢に達したら、孤児院を出なければならない。この決まりを不安に思う子も多かったけれど、私は一刻も早くこの場所から出たいと、常に思っていた。
 この場所にいると、私はひとりぼっちなのだと明確にさせられてしまう。多くの子供たちがいるこの場所は、私が本来いるべきところではないのだと、そんなことばかり考えていた。

「孤児院にいるあいだ、私は勉強に勤しんだ。早くここを出て行くんだって、そればかり考えて」

 孤児院で過ごすようになって暫く経った頃、私は自分の生まれた国が無くなったことを知った。戦争に勝利した隠れ里を有する隣国が、生国を領土として飲み込んだのだ。そしてその瞬間、地図の上から小さな国が消え、私の帰るべき場所も無くなってしまった。

「生まれた国が無くなったことを知ったのは新聞だったの。それも、笑っちゃうくらいとても小さな記事」

 私は笑いを作ろうとした。けれどそれは上手くできず、ただ顔が不自然に強ばっただけだった。カカシがこの表情を見ていなければいいのだけれど。

「……虚しかった。心のどこかで、またあの村で暮らすことを夢見ていたから。両親はもういないのに、そこに行けば私を待ってるんじゃないかって、馬鹿みたいなことを考えて。……国が無くなってしまって、私は現実を突き付けられた。帰る場所なんか何処にもないんだって、誰かにそう言われた気がした……」

 残り少なくなったグラスを一気に煽る。
私は口元に微笑を浮かべながら、カカシをみやる。

「孤児院を出た後は、カカシが調べた通りね、きっと。住みかを変え、4ヵ国を渡り歩いた」
「……忍の隠れ里のある国を避けて……か」
「そうね」

 忍のいる国には、どうしても行けなかった。怒りと憎しみ、悲しみと恐怖が私をがんじがらめにしていた。

 子供の頃の出来事が、私の心の傷になった。若かった頃はその事実を認めることができず、傷口を見てみぬふりをしていた。
 時間の流れと共に、過去の出来事はどうしようもできないことだったのだと認められるようになった頃。自分の内側ばかり見つめて、他人に心を開くことができない自分に気付いた。

「……どこにいても、誰といても、自分の居場所だと思えたことはなかった。同じ場所に長く留まるだけ、そこにいる自分に違和感を覚えた」
「……今も?」

 カカシの問いに、私は思考した後、小さく頷いた。カカシは「そうか」とだけ呟いて、グラスを口に運ぶ。

「以前いた国を出ることを決め、勤めていた病院に辞意を伝えたの。そこの院長は次の働き口として木ノ葉病院を紹介してくれたんだけど……私はとても驚いた。院長は私の過去なんか知らなかったし、完全なる善意だったんだろうけど」

 隠れ里のある国。かつてあれほど恨んだ忍たちが大勢いる国へと向かうことは、私にとってとても勇気のいることだった。けれど、恐怖を感じる一方で興味を抱いたのも確かだ。
 私の両親を、生まれた国を奪った、忍という残酷ないきもの。彼らがどんなふうに暮らし、生きているのか、知りたいという気持ちも心のどこかにあったのかもしれない。


「……全て仕方のないことだったんだってわかってる。戦争が起こったことも、国を失ったことも、両親が巻き添えになって死んだことも……。わかっているのに……それでも……」

 それでも、私の傷は癒えてくれない。
 いくあてのない悲しみと憎しみ。忍を恨んでいるのか、許しているのか。それを確かめてみたくて訪れたこの里で、私は自分の傷を再確認しただけだった。
 私は結局、どこへ行ってもひとりきりだという事実を確認したに過ぎなかったのだ。

 言葉を紡ぐことができない。目頭が熱くなってきて、私は膝を抱え、頭を埋めた。
 コン。グラスが床に置かれる音がする。
 俯いたままの私の頭に、カカシの手が乗せられる。大きく暖かな手が、ゆっくり優しく、私の頭を撫でている。

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