太陽が沈んで辺りが暗くなっていく。私はカカシが臥せるベッドの横に腰をおろし、窓の外の変化を見つめていた。
 夕日に赤く照らされたかと思えば、もう夜の帳が下りている。家々で灯る明かりが病室の窓ガラス越しにちらちらと瞬いていた。


 同僚からカカシが怪我を負って病院へ来たのだと聞き、この病室を訪れた。
 カカシは未だ眠ったまま、目を覚ましていない。
 彼が目覚めたとき、私は一体なにを話せばいいのだろう。そんなことばかり考えていた。

 忍同士の戦争で家族と故郷を失ったこと。そして、どこにも居場所を見つけられずに独りでいること。カカシにそんな話をしてから、私は、彼となら分かり合えるかもしれないと、そう思っていた。

 どこにいても、誰といても、心を開いたことなんてなかった。そんな私を、カカシは見放さなかった。
 カカシは私を受け止め、向き合おうとしていた。だから私も彼となら向き合えると思ったし、分かり合えると、そう感じた。
 でも、カカシは忍なのだ。
 彼は戦う。仲間を守るために戦っている――。


「ヒバリ……?」

 不意に名前を呼ばれ、私の視線は横たわるカカシへと向かう。
 カカシはゆっくり辺りを見回してから、ふたたび視線を私へ戻した。
 薄く開いたカカシの唇。まだはっきりと意識が戻ってきていないのだろう。こんなカカシは珍しい。

「病院か……」

 自分の置かれている状況を理解したであろうカカシが呟いた。

「ひどい怪我をしてたけど医療忍者が処置してくれてる。……傷は痛む?」
「いや……傷の痛みは大したことないけど、体が思うように動かなくてね」
「チャクラ切れだそうよ」
「また長く入院してなきゃならなそうだ」

 困ったといわんばかりにため息を吐きながらカカシは言った。のんびりとした口調はいつものカカシと変わらないけれど、その声には張りがなく、弱々しい。大したことはないと言うものの、傷はまだ痛むのだろう。

 会話が途切れると、カカシは言葉を紡ぐことも、目を閉じることもせず窓の外を見ていた。
 しんと静まり返る病室。先に沈黙を破ったのは私の方だった。


「……同じ任務に就いていた忍を庇ったのね」
「そんな話誰に聞いたの?」
「あなたをここに連れてきた忍よ。食事してた時、あなたを迎えにきたくの一」
「ハハ……まいったね」

 カカシは深手を負い、治療間もなく目が覚めたばかりだ。こんな風に会話をするのは今の彼には負担になるだけだろう。頭ではそう思うのに、口からこぼれる言葉を抑えることができない。

 
「カカシ、あなたは本当に仲間のために戦って……そして、死ぬこともためらわない」

 私の言葉に、カカシは黙ったままだった。彼の黒い瞳が、まっすぐに私を見上げている。
 あなたのその瞳には、私が映っている?頭の中に浮かんだその言葉は音になること無く、私の身体に溶けて消えた。


「……そろそろ帰るね。カカシの意識が戻ったことは医療忍者に報告しておくから」

 カカシが何も言わなければいいのに。そう思いながら立ち上がったけれど、願いむなしく「ヒバリ」と、カカシの声が静かな病室に響いた。
 私はドアノブを握る自分の手を見つめながら「なに?」と返す。

「ずっとここにいてくれたの?」
「……いいえ。仕事が終わって、ちょっと寄っただけ」
「そうか。ありがとうね、わざわざ」

 カカシの声は穏やかで、柔らかい。
 私は何も答えず、そのまま病室を後にした。





 カカシが入院した日に病室を訪れて以降、私は一度も彼を訪ねなかった。
 入院患者の見回りも仕事のうちだけど、カカシの病室は私の持ち回りからは外れていた。幸運だったと思う。
 時々同僚から「カカシさんの様子はどう?」と尋ねられたけれど、曖昧に濁すだけだった。私とカカシが付き合っていると思っている同僚からすれば、一度として病室を訪れないなんて有り得ないことなのだろう。

 カカシの入院から暫く経った頃、私は彼の病室の前を通った。開いたままになっていたドアから中を覗くと、そこには空のベッドがあるだけ。後から担当の医療忍者に聞いたところ、カカシは既に退院したとのことだった。
 まだ本調子ではなさそうだったけれど、本人が退院を希望されてね。そう教えてくれた医療忍者の話を聞きながら、同じ病院内にいても声すら掛けないのかなどと、見当違いなことを考えた。
 退院するかどうかを私に教える必要も筋合いも、カカシにはないというのに。




 カカシの退院を知ってから暫く経ったこの日、私は入院病棟の夜間見回りを担当していた。
 病室の見回りを終えた後は、使用した用具の洗浄と片付けを行う。全ての業務が終了したのは太陽が顔を出し、街全体が活気付いてくる時刻だった。
 帰り支度を済ませて病院の外に出る。夜間にずっと活動していた今の私には、太陽の光がいやにまぶしくて、思わず目を細めた。
 家に戻ったらひと眠りしよう。そんなことを考えていると、ふと、誰かが私を見ている気がした。
 細めていた目をゆっくり開くと、そこには見慣れた銀色の髪。彼は片手をあげて「や」と軽く声を掛けてきた。

「悪いね、いきなり」
「……何か用事?」
「この前の食事は途中になっちゃったからね。お詫びってわけじゃないけど、飯でもどうかと思って」

 カカシが真っ直ぐに私を見つめている。私は彼の目を見ずに、自分の足元へと視線を落とした。

「……今日は少し体調が悪いから、このまま帰るわ」

 それだけ言い残し、足早にカカシの前を通り過ぎた。カカシが何か言った気がしたけれど、自分の足音と心音で聞き取ることはできなかった。

 自分の家のドアを開けて、ひとりきりの空間になった瞬間、大きく息を吐きだした。張りつめていた何かがすこしだけほどけたような気がする。
 靴を脱ぎ、持っていた鞄も適当に放って力なくベッドに腰掛けた。何もする気になれずにぼんやりしていると、部屋の片隅に置いた鳥籠から小さな羽音が聞こえてくる。
 部屋の片隅に置かれた鳥籠。中にいる2羽の鳥たちは、カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びてきらきらと輝いていた。

 結局私はまた、同じようなことをしている。
 忍同士の戦で、すべてを失った。傷ついて、居場所がなかった。
 すべてを奪い去った元凶である忍への憎しみ、抱えた傷の痛み。それらをどこへ持っていけばいいのか分からないまま、ひとりきりで生きてきた。
 でも、そんな自分から少し変われる気がした。そう思ったのはカカシと出会ったからで。

 誰にも心を開かずにひとりで生きる。私がそういう人間であると知っても、カカシは私を遠ざけなかった。彼は、忍なのに。
 忍だからこそ、私に対して罪悪感を抱いていたかもしれない。あるいは、同情だったのかも。
 カカシの心のうちは、私には読み取れない。でも、彼が私と向き合おうとしていたのは伝わっていたから。だから私は、そんな彼と向き合ってみたいと、そう思ったのだ。

 いつかの夜、カカシの部屋で私は自分の生きてきた過去を彼に話した。誰にも打ち明けたことのない、私の過去と傷。
 カカシは友人を失ったという話を私にした。私たちは抱き合って、そしてあの時心に触れあったとそう思えたのに。
 
 結局、私とカカシはそれぞれ遠いところにいるのだ。根っこのところが違いすぎている。
 任務で仲間を庇い傷ついたカカシを見て、彼との間にある埋まることない大きな溝を感じた。
 カカシは里のため、仲間のために戦い、死ぬこともいとわない。忍とはそういうものだと、そう話していた。
 私はそんな彼ら忍を、理解できない。忍たちの戦いの裏で失われている多くのものを見てしまうから。

 カカシの目には常に仲間の姿が映っているのだろう。忍同士の戦で多くのものを失い、忍を理解できずにいる私なんかじゃないはずで。
 
 カカシとなら、向き合えると思っていた。繋がれると思った。
 でも私たちは深い溝を挟んだ対岸からお互いを見ていただけだ。
 
 どこへ行っても、変わらない。
 私は孤独で、心を閉ざしていればいいんだ。だから今までみたいにカカシを遠ざけしまいたいと、彼に声を掛けられた瞬間に、そう思ったのだ。


――ピチチ。
 静かな部屋に響く美しい声が、私を現実に引き戻す。声の主である青い鳥は、落ち着きなく止まり木の上を跳ねていた。籠の中をみれば、餌入れの中身がだいぶ少なくなっている。
 心と同じように重い身体。酷く緩慢な動作で立ち上がって、鳥籠に新たな餌を入れる。嬉しそうに飛び跳ねる2羽の身体は、美しく光っている。

 『この辺にはいない鳥だ。かなり遠い国にいる鳥なんじゃないかな』この鳥をくれた時、カカシが言っていた。
 本来なら木ノ葉の里ではない、どこか遠い国で生きている鳥たち。
 ここは、この鳥たちの居場所ではない。それでもここで生きるこの2羽は、幸せなのだろうか。
 そんなことを考えていた時だった。コンコン、と物をたたく音がする。
 予想していなかった音に、思わず身体がビクリとはねた。すぐには落ち着かない心臓を伴って、私は音のした方――窓際へ向かう。
 恐る恐るカーテンを開くと、太陽の日差しが部屋の中へ降り注ぐ。だけど、私の部屋へ降り注ぐであろう太陽の光は、半分ほどが遮られていた。
 太陽を背にして佇むカカシの影が、私の部屋の中に伸びている。

「どうしてここにいるの?」

 思いもよらないところから現れたカカシに驚き、私は自然とそう声を掛けていた。閉められた窓を開けると、カカシは「突然悪かったね」と言う。
 どうやって2階にある部屋の外に立っているのかと彼の足元を見てみれば、カカシの足は下の階の庇の上にあった。

「……よくそんなところに立てるわね」

 半ば呆れたような私の物言いに、「忍だからね」と、いつもの軽い調子で返してくるカカシ。
 私はひとつため息を吐いた。ついさっきまで深く暗いところに気持ちを置いていた名残か、それは思いの外重々しいものだった。
 

「具合は大丈夫?」

 私のため息に気づいているはずのカカシは、何も見なかったように話し続けた。

「……平気」
「そうか。なら良かったよ。やっぱりちょっとヒバリと話したくてね」

 カカシはそう言って、少し目を細めた。
 体調が悪いだなんて言い訳だったと、彼にはわかっているだろう。
 私が遠ざけたいと願っても、カカシは私の手を放そうとはしない。カカシは、そういう人だ。

「鳥は元気そうだね」

 カカシの視線は鳥籠へと向けられていた。鳥たちは籠の中を飛びながら、美しい声を響かせる。

「――カカシは、幸せだと思う?」
「え?」
「あの鳥たち、遠い国で生まれて、随分遠いところまで来た。……あの小さな鳥籠の中にいることが、幸せだと思ってるのかな」
「……ヒバリはどう思うの?」
「わからない……」

 そこで私の言葉は途切れた。自分の思いを言葉にするのは、やはり慣れない。
 カカシは先を促すこともせず、ただじっと私の次の言葉を待っているようだった。

「鳥たちがどう思ってるか、私にはわからない」
 
 私はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……でも鳥たちを見てると、少し悲しくなるの」

 木ノ葉の里ではない、どこか遠い国で生まれた鳥たち。
 私はどうしても、彼らに自分を重ねてしまう。本当の居場所ではないところで生きる私は、あの鳥たちととても似ている。


「――ごめんなさい、カカシ」
「ん?」
「私……あの2羽を自由にしたい」

 もし彼らが故郷に帰りたいと願っているとしたら。それなら、彼らの本当の居場所にいてほしい。自分の居場所だと思える場所で、生きてほしい。
 自分の居場所ではないと思いながら生きていくことは、虚しくて、孤独だから。

 自由にしたいと願うものの、当の2羽はカカシからもらった鳥だ。その鳥を放すなんて、彼の気分を害す可能性はある。それでも、私にとっては大事なことだと思った。
 
「――ヒバリがそうしたいなら、いいよ」

 そう言って、カカシは微笑んだ。私にはその笑みが少しだけ寂しそうに見えたのだけれど、気のせいだっただろうか。



 私は鳥籠を抱えて、カカシとともに公園へ足を運んだ。
 道中、通りすがる人々がちらりと私の抱えた鳥へ視線を送る。小さな子供などは遠慮せず鳥籠を覗き込んで、「綺麗な鳥!」と楽しそうに笑っていた。私はどう言葉を返せばいいのかわからず、曖昧に微笑む。そんな私をみて、カカシは小さく笑っていた。

 鳥を驚かせないようにゆっくり歩いていたせいで、いつもより時間がかかってしまった。
 たどり着いたのは家に程近い公園。遊具は無くベンチだけが置かれているけれど、そこに人の姿はない。私とカカシと、籠の中の鳥たちだけだ。

「ここで放したい」

 鳥籠を慎重に地面へ置く。鳥籠のドアをそっと開けながら、「どうしてわざわざ私の家まで来たの?」と、カカシに問いかける。

「ヒバリが寂しそうだったからだよ」
「そう……」

 私はカカシの顔を見ることが出来ずに、鳥たちを見つめたままでいた。
 開け放たれたドア。いつもと違う環境に戸惑っているのか、2羽は鳥籠の中で忙しないほどに右往左往している。

 鳥たちを驚かせないようにゆっくり立ち上がり、数歩後ろへ下がる。暫くの間、私もカカシも黙ったまま、鳥たちを見つめていた。
 私たちの沈黙の間に、鳥の美しい声が響く。すっかり落ち着いた様子の2羽は、止まり木に佇んで不思議そうに首を小さく傾げるだけだ。

「……出て行かないの……?」

 再び鳥籠のそばへ歩み寄ると、しゃがみながら小さく呟いた。2羽は変わらずに美しい声で鳴いている。
 鳥籠を開け放てば、鳥たちはすぐにでも飛び立って行くと思っていた。彼らの生まれた、本当の居場所へ向かって。

 どうすればいいのか分からなくなった私は、鳥籠を見つめたまま動けなくなってしまった。そんな私を黙ったまま見ていたカカシが、「――木ノ葉は居心地がいいのかもしれないね」と、穏やかな口調で呟く。
 そんなカカシの言葉で、私は何故か、初めて木ノ葉の里へ足を踏み入れた時のことを思い出していた。

 私の家族と故郷を奪った忍。そんな忍と同じ里で暮らすことになった、あの日。里の門をくぐった時の緊張と、胸の奥に渦巻く嫌悪感。
 働き始めた病院で見た、傷ついた忍たち。そして彼らの傷を癒す手助けをする自分。何度も繰り返される日々の中で、私はずっと癒えない傷を抱えていた。
 だけど私は、忍に対して復讐も許しも望んでいなかった。だから心に平穏は訪れなかったし、誰かと共有することもできなかった。
 けれど、「お世話になりました」と私に声を掛けて退院していく忍や、「困ったら声をかけてね」と言ってくれた木ノ葉病院で働く人々。そして、私の傷を知りながらも見放すことなく向き合おうとした、カカシの微笑む姿。そんな些細な出来事も、確かに存在していた。


「――カカシ……」
「ん?」
「私、もう疲れちゃった……」

 どこにも居場所はないと思っていた。自分の心を他人に開くことなんて、出来ない。
 誰にも私の傷を知られたくなくて、理解されたくなくて。
 でも、もう疲れてしまったのだ。ずっと張り詰めたままでいるのは、疲れてしまった。

 口にしてしまうと情けなくて、虚しくて、私の頬に涙が伝う。
 ぽたぽたと滴り落ちるそれを見ていると、後ろに立っていたカカシが隣にやってきて、私と視線を合わせるように腰を落とした。

「――ヒバリ」
 
 私の名前を呼ぶカカシの声は、いつもと何も変わらない。それなのに、どうしてこんなにも優しく響くのだろう。

「ヒバリの里は忍同士の戦いの末無くなった。そんなお前が、オレたち忍を恨むのは仕方のないことだと思ってる。――でも、オレはヒバリを守りたいと思ってるよ。ヒバリも大切な木ノ葉の仲間だから」

 伏せていた顔を上げて、カカシを見た。カカシは、真っ直ぐに私の目を見つめている。
 忍として戦うカカシの目には、忍によって全てを失った私は映っていないと、そう思っていた。でも、私を守りたいと話すカカシの言葉に嘘は無い。

 
「ヒバリ……お前がこの里に居心地の良さを覚えるのなら、ここがお前の居場所だよ」

 そう言って、カカシは目を細める。柔らかく吹いた風が、カカシの銀色の髪を揺らした。
 私は、次々溢れてくる涙を止める術をなくしてしまって、自分の膝に顔を埋めることしかできない。
 カカシはそんな私の頭にそっと手を乗せた。そして、優しい手つきで撫でる。その大きくて温かい手が心地よい。

 私はそっと手を伸ばし、開いたままになっていた鳥籠の扉を、そっと閉じる。籠の中の鳥たちは小さく羽ばたき、そして美しい鳴き声で鳴いた。

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