「失礼します」
 
 何度か訪れたことのある部屋のドアをノックする。部屋の主――木ノ葉病院の院長は、大きな机の上へ広げた書類に目を通していたようだ。私を認めた院長は、眉間に寄せていた皺をほどいて愛想のよい笑顔を浮かべる。

「ああ、空野さん。よかったらそこへ掛けて」
「いえ、ご挨拶に伺っただけですから」
「そうか……今日が最後だったね。空野さんのように優秀な人が抜けてしまうのは残念だよ」

 院長は本当に残念そうな顔をして、そう言った。

「至らないところも多かったと思います。もう少しみなさんのお力になれればよかったのですが……」
「君は充分やってくれた。救われた患者も多いだろう。私はもちろん、皆も感謝しているよ」

 院長の言葉には多少の世辞があるだろう。それでも私は少しだけ誇らしかった。

「お家の片付けはもう済んだのかな?」
「はい、おかげさまで」

 辞意を伝えてから今日までの数か月は瞬く間に過ぎた。一緒に仕事をしてきた人たちの顔を浮かべながら、「お世話になりました」と、深々と頭を下げた。最後に院長は「身体に気をつけて」と声をかける。私はもう一度礼をして、院長室を後にした。





 ――故郷に行ってみようと思うの。
 私がそう言うと、カカシは特に驚く様子もなく「そうか」とだけ答えた。
 カカシが何を考えているのか、私にはわからない。でもこんなあっさりとした反応がカカシらしい気がした。


 故郷に行ってみよう。そんな風に考えたのは、カカシにもらった鳥を放そうとした日から、そう時間も経たない頃だった。
 籠を開け放てば故郷へ飛び立つだろうという私の予想とは裏腹に、鳥たちは籠の中で生きていくことを選んだ。そんな彼らの水を新しいものに変えながら、ふと故郷へ行ってみようという考えが浮かんだのだ。
 けれど私が故郷と呼ぶ場所には、もう何も残されていない。
 産み育ててくれた両親も、過ごした家も。そして国でさえ名前を変え、別のものになってしまった。そんな場所を故郷と呼ぶべきなのかどうかすらわからない。
 それでも、訪れてみようと思った。もしかしたら、訪れなければならないと、無意識のうちにそう思っていたのかもしれない。

 私は病院からの帰り道で、ちょうど任務が終わったカカシと偶然会っただけだった。
 改まって伝えるようなことでもない気がして、少し言葉を交わした後に「故郷へ行く」と、そう話したのだ。

「――いつ頃行くの?」

 私は家への道のりを進んで、カカシは隣を歩いていた。
 任務終了報告の義務があるだろうカカシに、「報告に行かなくていいの?」と問えば、「あとでいいよ」と返される。

「時期は決めてないけど、なるべく早めがいいと思ってる」
「木ノ葉病院の仕事はどうするの?」
「病院には近々辞意を伝えるつもり」
「そうか」
「うん」

 暫しの間、沈黙が続く。
 隣を歩くカカシの顔を見ると、彼はまっすぐ前を見ていて視線がぶつかることは無かった。

「……何も言わないのね」

 黙ったまま歩き続けていたけれど、私の家が視界に入ったところで沈黙を破った。
 カカシはちらとだけ私をみて、またすぐその視線を遠くにやる。

「いや……ヒバリが自分の過去に向き合おうとしてる時だから。オレが口出しするのもどうかと思ってね」

 カカシがふいに歩みを止め、つられた私もその場に留まる。
 私は彼の言葉にとても驚いていた。思わずカカシの顔をじっと見つめてしまう。

「私、向き合うつもりだったのかな」

 独り言のようにそう呟くと、カカシは眉を下げて笑った。

「自分じゃ気づいてなかった?」
「ええ。そんなつもりなかったから、驚いてる」

 私はいつだって、自分の心の中を見つめてきた。誰にも暴かれないように、触れられないように。
 そうやって、自分だけが理解して、自分が一番自分の心を知っていると、そう思っていたのに。

「ヒバリの故郷で起きたことが、ヒバリを傷つけた。そんな場所に再び行くってことは、過去と……ヒバリの傷とも向き合おうとしてるってことでしょ」

 カカシは柔らかな笑みを浮かべてそう言った。

 故郷に行く。そこに特別な意味はない。ただ漠然と、訪れてみようと思っただけだった。
 けれど、本当はどこかで区切りをつけたいと思っていたのかもしれない。忍によって全てを奪われた悲しみと苦しみを抱えていることに、疲れてしまったから。
 忍を恨んでいても、何も変わりはしない。今の私を作り上げた場所へ戻ってみたら、新しい何かを見つけられる気がした。
 心の奥の方で灯る小さなあかりを、失くしてしまいたくはない。

 
「向き合ったからって、何も変わらないかもしれないけど」

 私がそう零すと、カカシは「いいんだよ」と言った。

「ヒバリが自分で向き合おうと思ったことが大事だからね」

 そう言って、カカシが微笑んだ。彼が嬉しそうに笑っていたのは、私の気のせいだっただろうか。





 院長への最後の挨拶を済ませ、仕事着を脱ぐと自分の荷物を全てまとめた。
 病院の出口へ向かう途中、以前同じ患者を担当したことのある医療忍者とすれ違う。「空野さん今日が最後の出勤なんだって?これからも頑張ってね」と声を掛けられ、会釈をしてその場を後にした。

 病院を出て、そのまま真っすぐ家へ向かった。
 家のドアを開け、部屋の片隅に置いておいた鳥籠を持って再び外へ出る。待ち合わせの公園までは歩いて10分ほどだけれど、病院を出るのが少し遅くなってしまった。約束の時間には間に合わないかもしれない。
 抱えた鳥籠の中で、2羽が鳴いている。本当なら走らなければならないのだけど、彼らを驚かせてしまうかもしれないと思うと歩調はゆっくりになってしまうのだ。

 公園へ到着したのは約束の時間を5分程過ぎた頃だった。約束の相手である同僚はもうすでに着いていて、彼女は私を認めて緩やかに手を振った。

「遅れてごめんなさい」
「あたしもさっき着いたばかりだから。空野さん今日が最後だったし、忙しかったでしょう」

 同僚はそう言ってにこりと笑った。

「あ、この2羽が?」

 私の腕の中にある鳥籠を同僚が覗き込む。

「はい。……すみません、こんなことお願いして」
「気にしないで。もともと動物は好きだから」

 鳥籠を同僚に差し出すと、彼女はそれをそっと受け取った。
 鳥たちを驚かせまいとする仕草や、2羽を見る弧を描いた目が彼女の言葉に嘘がないことを物語っている。

「カカシさんからもらった鳥なんでしょう?大事にするからね」

 同僚はそう言って、大きく笑う。

 故郷へ行くことを決めた時、先ずその道のりを思い描いた。
 木ノ葉の里からは遠く離れた土地だ。たどり着くまでにかなりの時間を要する。
 仕事は退職する。住んでいる家は解約する。荷物や家具はもともと少ないから、大した手間も掛からずに処分できるはず。けれど、2羽の青い鳥だけは手放すことが出来ない。
 連れていくには鳥籠はあまりに大きすぎるし、なにより長い旅は鳥たちの負担になってしまう。
 鳥をくれたカカシに預ける。それも頭をよぎったけれど、忍である彼は里を離れていることも多い。そんな人に頼むわけにはいかず悩んでいる時に、「なにか手伝えることがあったら言ってね」と同僚に声を掛けられた。
 些かずうずうしいと思いながらも鳥の件を話すと、「ならあたしが預かるわ」と、何の迷いもなく同僚は答えてくれた。

「それじゃあ空野さんも準備あるでしょうし、そろそろ帰るね」

 同僚の明るい声が、静かな公園に響いた。

「はい、ありがとうございます。――それと、お元気で」
「空野さんも気を付けてね」

 同僚は大きく手をふり、帰路に就く。私は彼女の背中が見えなくなるまで見送ってから、公園を後にした。
 抱えていた鳥籠がなくなっただけで、体が軽く感じる。それと同時にさみしさも感じるから不思議だ。

 ゆっくりとした足取りで家への道を歩く。家が見えてきたところで、佇む人影に気付いた。
 相手は初めから私に気付いていたのだろう。目が合うと片手を軽く挙げてみせた。
「よ」と、いつもの軽い調子でカカシは言う。私は「ひさしぶりね」と返した。カカシと顔を合わせるのは、故郷へ行くと伝えて以来だ。

「ずっと待ってたの?」
「いや、さっき来たばかりだよ。部屋にいないし病院まで行こうと思ったら、ちょうどヒバリが見えたから」

 そう言ったカカシが、一呼吸おいて続けた。

「ヒバリが旅立つのも、もうすぐだからね。顔を見ておこうと思って」
「うん」

 それだけ返して、私はカカシの次の言葉を待つ。

「道中気を付けてね」
「ええ、大丈夫」

 ゆっくりと交わされる言葉たち。いつの間にか日が落ちて、あたりはもう暗くなっていた。
 人の姿もなく、しんと静まり返っている。今ここに存在しているのは私とカカシだけみたいだなんて、くだらないことを考えた。

「ねえ、カカシ」
「ん?」
「私がこの里からいなくなったら、あなたは悲しむ?」

 無意味な問い。口にした瞬間、私はそう思った。
 過去と向き合うために木ノ葉の里を出ていく。その結論に至るまでカカシは私を見捨てず、ずっと手を引いてくれていた。
 故郷へ行くと、そう告げた日に見せた彼の微笑みには、失う悲しみなんて微塵もなかったのだから。

「……ヒバリが木ノ葉からいなくなったら寂しいよ」

 静かな声音だった。あまりにも真剣なカカシの声とその言葉に驚いて、思わず彼の顔を見上げる。
 下がった眉毛に、やや伏せられた目元。その表情が本当に寂しそうで、胸の奥が締め付けられるような気がした。

「寂しくて、どうしたらヒバリがこの里に留まってくれるか、ずっと考えてた」
「例えば?」
「例えば、ヒバリにキスをして、抱きしめたり……とか」

 そう言ったカカシの腕が伸びて、暖かな指先が私の頬に触れた。
 彼の親指が、そっと唇をなぞる。カカシの瞳はまっすぐ私に向けられていた。
 片方しか見えないその瞳に見つめられると、心まで見透かされているような気持になるのは変わらないみたいだ。

「……試してみたら?」

 私はカカシの瞳をまっすぐ見つめ返したまま、そう答えた。
 今度はカカシが驚いたのだろう。少し目を見開く。そしてすぐに困ったと言わんばかりに眉尻を下げ、いつものように柔らかく笑った。





 今朝は部屋に降り注ぐ太陽の光で目を覚ました。窓から外を覗くと驚くほど青い空が広がっていて、太陽のまぶしさに少しだけ目を細めた。
 ベッドから出て、顔を洗い軽く朝食を済ませる。美しくさえずる鳥たちがいないと、おそろしく静かだった。

 身支度を済ませ玄関に立つ。荷物は昨夜のうちにまとめていたから、忘れ物もないだろう。
 この部屋に戻ることは、もうない。そう思いながら私は部屋を後にした。
 
 家から木ノ葉の里の正門まではそう遠くない。歩きなれた道は多くの人が行き交い、朝の活気に満ちていて、人々の声があちこちから聞こえてきた。
 時折、今やすっかり見慣れた忍服を着た人たちとすれ違う。
 
 誰かの大切なものを傷つけながら、それでも戦う忍。そんな彼らを恨み、憎んでいた。その気持ちが無くなったのかと問われれば、頷くことは出来ないだろう。
 けれど、忍がなんのために戦うのかは知っている。
 私を同じ里の仲間だと、守りたいと言ってくれた忍も、木ノ葉の里にはいるのだ。

 この里で一番大きな門が見えてくる。そして、その門の前に佇む一人の男の姿があった。
 よく私を待ち伏せる人。私を守りたいと、そう言ってくれた人だ。

「私を待ち伏せるのが本当に好きね」

 声をかけると、カカシは柱に預けていた背中を起こし、「まあね」と答えた。

「これから任務なんでしょう?」
「ああ。ヒバリも今朝出立だって言ってたから、会えるかと思って待ってたんだ」
「……最後に会えて良かった」

 そう言ってはみたものの、これ以上なんと言葉を交わせばいいのかわからずに、正面に佇むカカシの顔をじっと見つめた。
 カカシも言葉を紡ぐことなく、黙ったまま私と視線を合わせる。その表情は以前私に見せた、胸を締め付けさせる顔だった。

「カカシでもそんな顔もするのね」
「どんな顔?」
「少し寂しそうな顔」
「そりゃあね、ヒバリが木ノ葉から旅立つから」

 カカシはそう言って、少しだけ笑った。
 
「いつになるか分からないけど、私は木ノ葉に戻ってくるわ」

 故郷までの道のりは遠い。たどり着いても、目当てのものが見つかるかも分からない。それでも、どんな結果だったとしても、私は木ノ葉の里へ戻ってくる。それが私にとって自然なことだと、そんな風に思えた。
 こんなふうに思える場所を居場所と、そう呼ぶのかもしれない。

 
「カカシとは付き合ってることになったままだし、戻ってこなくちゃ」

 カカシと関わるきっかけになった見合い話。木ノ葉病院の院長や同僚は、私が病院を辞めてもなおカカシとの恋人関係が継続していくと思っていた。私はどうしていいかわからず、特に否定するでもなく今日この日まできてしまっていたのだ。我ながら少しあきれてしまって、苦い笑いを漏らす。

「ヒバリ、そのことなんだけど、お前が木ノ葉に戻ったら――」

 カカシが途中で言葉を切ったので、私は「なに?」と問う。

「いや、ヒバリが帰ってきてから話すよ」
「……」
「だから、早く帰ってきてね」

 そう言ったカカシは、見慣れた柔らかな笑顔だった。

「ありがとう、カカシ。……いってきます」
「あぁ、いってらっしゃい」

 私とカカシは互いに手を振りあう。そして私は木ノ葉の門をくぐり、里の外へと足を踏み出した。


♦♦♦


 太陽の光を遮る木陰の下でも、むわっとした重い空気が肌にまとわりついている。
 ここが木ノ葉の里であったなら、今の時期に肌を出せば身震いしていただろう。そんなことを考えながら、額に流れる汗をぬぐった。


 木ノ葉の里を出て向かったのは、生まれた村がかつてあった場所だった。そこは私がいたころとは別物で、その景色も当時の面影はひとつも残していなかった。
 忍同士の戦で荒れた土地はならされ、新しい町になっていた。住まう人々に声をかけて回ると、長く住んでいる老人に会うことができた。老人に私の事情を話すと、ここから少し歩いた隣町に公園があり、そこに目的のものがあると教えてくれた。

 教えられたその公園は、比較的大きな町の中でとても小さな存在だった。
 木が生い茂った、ひっそりとした静かな公園。私の探していたものは一番奥にあり、立派な木がそこに影を落としていた。
 太陽の光が降り注ぐ公園で、木陰にぽつんと佇む大きな石。一番上には『慰霊碑』と刻まれている。
 
『幼い頃に起きた戦争をきっかけに両親と別れました。両親は亡くなったのですが、お墓がわからないんです』
 私がそう伝えると、老人が教えてくれたのがこの慰霊碑だった。
『あの頃亡くなった人は、混乱の最中きちんと墓を用意することもできなかった。国の名前が変わったあとで、慰霊碑が建てられたよ』と。

 慰霊碑に刻まれていたのは、亡くなった人ひとりひとりの名前だった。驚くほど多くの名前があるなかで、ひとつひとつ、それらを辿っていく。
 やがて2つならんだ両親の名前を見つけて、私はそこをそっと手でなぞる。そして、心の中でつぶやいた。ただいま、と。

 どのくらいの時間そうしていたかわからない。ふと我に返ったのは、風が吹き、木の葉がざあざあと音をたてて揺らめいた時だった。

「……私、そろそろ帰るね」

 そっと呟き、ゆっくりと慰霊碑から手を放す。

 私には帰る場所があって、そこで待っている人がいる。
 また遠い旅になるけれど、迷ったりはしないだろう。

 一歩踏み出すと同時、聞きなれない鳥の鳴き声が辺りに響く。見上げると、2羽の小さな鳥が羽を広げ、空を飛んでいた。
 私は彼らの後に続きながら、故郷の歌を口ずさんだ。



END

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