出勤した直後に行うのは、現在入院している患者と部屋割りの確認だ。日々忙しないこの病院では、入院患者の入れ替わりが激しい。どんな症状の患者がどの部屋に入院しているのか、自分が担当する患者の確認。これが毎日行われる業務のひとつだ。
 制服である白衣に着替え、私たちの待機所に備えられた掲示板で入院患者の確認をしていた時だ。名前を呼ばれ視線を移すと、そこには上司の姿があった。

「空野さん、先程来院された患者さんが入院することになったの。担当をお願いします」

 手渡されたカルテ。そこに記入されている名前を見て、思わず上司に対して訝しげな視線を向けてしまった。けれど上司の顔は至極真面目で、新たな入院患者を割り当てる仕事をこなしている以外のなにものでもなかった。余計な意図は含まれていない。
 はたけカカシと書かれたカルテを手渡され、これも院長の差し金なのかとあからさまに疑ってしまった。

「チャクラ切れだそうだから、回復まで最低でも5日間くらいはかかるかもしれないわね」
「はい」

 カルテをざっと確認する。投与すべき薬や現在の状態などが、医療忍者によって細かく記入されていた。
 壁に掛けられた時計を確認する。そろそろ入院患者たちの食事を準備しはじめなければならない時間だ。

「食事の準備に行ってきます」
「ええ、宜しくね」

 待機所を後にした私は調理室へ向かう。それから薬品部にも回り、食事のとれない患者たちの栄養剤や薬を受け取り、入院病棟へ向かった。
 担当している病室をひとつひとつ訪れ、食事の配膳や薬の準備をして回る。最後の病室のドアは、ノックをしても中から返事は無かった。この病室にいる病人は、寝ているのかもしれない。

「はたけさん、失礼します」

 部屋にひとつしかないベッドの中に横たわるはたけカカシ。どうやら眠ってはいなかったようだ。私が近付くと、目だけが少し動いた。
 相変わらず顔の半分をマスクで隠している。銀色の髪の間から覗く目。珍しく露になっている左目は閉じられていて、傷痕が目の上を走っている。

「体調はどうですか?」
「いやー、全然動かないんだよねぇ」

 はたけカカシは、困ったように眉を下げて言う。

 彼ら忍の持つチャクラというエネルギーは、忍術を使用する際に用い、失われると命すら危ぶまれる。(この病院にやってきたばかりのころ、上司が教えてくれた)
 私は忍ではないから、チャクラを使用する時やそれが失われた感覚がよく解らない。せいぜい熱がでたときのような状態だろうかと想像するくらいだ。

「食欲はありますか?」
「うーん……あんまり」
「食事といってもドリンク式の栄養剤なんですけど」

 医療忍者に指示された栄養剤は使い捨ての容器に入っている。体が動かせなくても摂取できるように、ストローが付属されているものだ。
 はたけカカシの視界に映るよう、栄養剤入りの容器を彼の目の前に差し出した。余程食欲がないのか、彼は困った顔をするだけだ。

「マスク下げますね」

 断りをいれて、口元を覆うマスクに手を掛ける。
 顔を半分隠したこのひとの容貌は怪しげという言葉がぴったりだ。なのにマスクの下の素顔は、整った顔立ちをしている。同僚たちが騒ぐ理由がわかった。

「ゆっくりでいいですから、全部飲んでください」

 露になった口元にストローを差し出すと、はたけカカシはストローをくわえて弱々しく中身を吸い上げた。私は少しずつ減っていく中身を見つめている。

 立派な図体をした男が、エリート忍者だという男が、自分で飲み物を摂取することもできないほど弱っている。私なんかよりずっと強い存在であるはずなのに。
 まるで、ひとりでは生きていけない赤ん坊のようだ。そんな彼に食事を与える私。なんだか奇妙な感覚になる。



 はたけカカシの入院から数日後。入院当初指一本動かすこともできなかったはたけカカシは、日々少しずつ回復していき、今では体を起こせるまでになった。だが行動範囲はあくまでベッドの上。立ち上がるまでにはもう少し時間がかかるだろうというのが、医療忍者の見立てだ。


「退院を早めてもらうことはできないかな」

 薬を投与する為、私ははたけカカシの病室にいた。薬と飲料水の準備をしている私を見て、はたけカカシが言う。

「さあ……。私では判断しかねますけど、まだ無理だと思います。おそらく退院は、はたけさんが任務に出られる状態になってからでは……」
「そうか……まいったな」
「なにか予定でも?」
「いや、ただ病院に長居したくないだけなんだけどね」
「それはわかりますけど……」

 だからと言ってはたけカカシの退院を判断するのは私の仕事ではない。それは医療忍者たちに任されている。

「せめて歩けるようにならないと退院許可はおりないと思います」

 私が言うと、困ったと言わんばかりの表情を浮かべるはたけカカシ。
 私はひとつため息を吐き出して、はたけカカシを見た。

「……私から、はたけさんの退院許可を出してもらえるかどうか聞いてみます」
「いいの?」
「ええ。でも、結果には期待しないでください」

 それでもはたけカカシは目を細めて「ありがとう」と言った。許可はまだおりていないというのに。


「退院を早める?」
「本人がそう希望しています」

 各病室をすべて回り終えた後、私は院長室の扉を叩いた。
 医療忍者は、はたけカカシの早期退院にうんとは言わないだろう。(私の目から見ても、彼の症状は退院にはまだ早い)
 直接院長に掛け合ってみた方が、まだ可能性があるかもしれない。なにせ私は院長に対して、はたけカカシと見合いをしたという貸しがある。しかし院長は私の言葉を聞いて渋面を作った。

「担当の医療忍者はなんと?」
「まだ話していません。先に院長の許可を得てからにしようと思っていたので」
「うーん……」

 院長は低い唸り声をもらした。

「すまないが、医者として治療不十分な患者の退院を許可するわけにはいかなくてね」
「いえ、こちらこそすみませんでした。無理を言ってしまって」

 はたけカカシの退院許可はおりない。始めから予想していたことだ。簡単に詫びを述べて部屋を出ようとしたところで、院長が声を掛ける。

「はたけ上忍とはうまくいっているようだね」

 院長は満足そうな笑みを浮かべている。私のとった行動が、はたけカカシを想ってのことなのだと勘違いをしているようだ。

「君が私に直談判するくらいだ。君たちがうまくいっていて、私としてはとても嬉しいよ」
「いえ……」

 そういうことじゃないんです。出かかった言葉を飲み込んだ。
 なぜ私は、はたけカカシの願いを叶えるために動いているのだろう。そう自分に問い掛ける。
 院長が言うような好意からではない。寧ろ私は、彼を遠ざけたいと願っている。
 怯えている?嫌悪している?
 自分の心がよくわからない。





「お見合いの後、カカシさんとうまくやってるの?」

 夜間見回りの時刻が近い。待機所で必要な備品や薬の確認を行いながら、同僚が私に問い掛ける。その手の質問には正直うんざりだ。

「いいえ、とくになにも。……あ、その薬とってもらえます?」

 話しの流れを変えようと試みる私。同僚はお構い無しに話を続けた。

「でも空野さん、カカシさんの退院を院長に掛け合ってたじゃない」
「どうして知ってるんです?」
「立ち聞きするつもりはなかったのよ?院長室の前を通ったら、偶然聞こえたっていうか……」

 同僚は申し訳なさそうに両手を合わせる。私が「気にしません」というと、彼女はにこりと笑った。

 退院許可が下りなかったことをはたけカカシに伝えると、彼はとくに落胆した様子も見せず、「ありがとーね。手間かけさせちゃって悪かったよ」と、私に言った。
 私は「こちらこそ力になれずすみません」と返した。思ってもいない謝罪。うわべだけの、儀礼的な言葉。


「意外だったのよ。空野さんがああいう行動に出たのが」
「え?」
「空野さんて、あんまり感情を表に出さないじゃない?落ち着いてるっていうかクールな感じっていうか」
「……」
「そんな空野さんがわざわざ院長に無理なお願いをするって、よっぽどのことだろうなぁって」

 それだけカカシさんのこと好きなのかなって思ったの。同僚の言葉に、私は首を横に振る。

「そんなんじゃないんです」
「ふーん?」

 私の言葉をそのまま受け取ったわけではないのだろう。同僚の量るような視線が、私に向けられている。

「カカシさんと結婚しちゃえばいいのに」
「でも、結婚ってそんなに簡単に決められるものじゃないですし」
「そう?あたしだったら即決だなぁ。カカシさん、忍としてとても優秀だし、優しいし」

 同僚の言葉になんと返したらいいのかわからない。私は黙ったままでいる。そんな時、待機所の扉が勢いよく開いた。姿を見せたのは上司だった。

「あら、あなたたちまだここにいたの?」

 私と同僚の顔を交互に見て、「もう見回りの時間ですよ」と、急き立てる。
 同僚との会話が途切れ、私はほっと息を吐いた。追い出されるかっこうで、私と同僚は待機所を出て、それぞれが担当する病室へ向かった。

 夜間見回り中の病棟は、しんと静まり返っている。非常灯のみが頼りの薄暗い廊下。聞こえるのは私自身の足音だけ。
 入院患者の集まる病棟へたどり着くと手前から順番にドアを開け、病室内の様子を伺う。
 患者たちは、皆静かに眠っていた。ドアひとつ開ける度に、少なからず安堵する。

 廊下に面した窓の向こうに、月が浮かんでいることに気付いた。銀色に光る月は、触れたら傷付いてしまいそうなくらい鋭く尖っている。
 私は先程の同僚の言葉を思い出していた。

『忍としてとても優秀だし、優しいし』

 はたけカカシという忍を同僚はそう表現したけれど、私の目にはとてもそんな風には見えなかった。
 頼りないくらいに弱りきったいきもの。それは、はたけカカシにとどまらない。
 はたけカカシを含めた、今この病院にいる忍たちは弱りきった頼りない存在だ。彼らは任務という名の残酷さを振り回し、そして傷付いたのだ。傷が癒えればまた同じように残酷さを振り回すため、外へと駆け出していく。


 はたけカカシの病室の前で、小さく息を吐きだした。私は意識を切り替えなければならない。
 音をたてないように注意しながらドアを開ける。当然のように真っ暗な室内。ひとが存在しているのかどうかもあやふやだ。

 静けさの中で突然呻き声が聞こえて、私の心臓が大きく跳ねた。
 容体が急変したのかもしれない。私は急いではたけカカシが横たわるベッドへ向かう。
 はたけカカシの顔を覗き込むと、彼は目を瞑ったまま苦しげに眉を寄せていた。

「はたけさん?」
「……う……」

 吐息と共に漏れる苦しげな声。額にうっすらと汗が浮かんでいる。

「はたけさん、聞こえますか?」
「……」

 返答はない。焦ってしまいそうになる自分に向って落ち着けと言い聞かせる。
 どう対処すればいいのか私には判断できない。頼るべき相手はここにいないのだ。

「医療忍者に報告……」

 自分がとるべき行動を思わず口にしていた。踵をかえすべく振り返ったと同時、手首に圧迫感が加わる。
 私の視線は病室のドアから自分の手首へ。そして、私の手首を捉えているはたけカカシへと移動する。


「……だいじょーぶ。なんでもないから」

 はたけカカシの目は開いていた。片方だけの瞳が私を見つめているのは、暗い部屋の中でもわかった。

「でも、とても苦しそうでした」
「ちょっと変な夢を見てたから」

 はたけカカシはそう言って笑ってみせた。彼の大きな手が、私の手首を解放する。

「本当に大丈夫なんですね?」
「平気だよ」
「……じゃあ私は行きますけど、なにかあったら呼んでください」
「ああ。ありがとう」

 暗い部屋に響く、私とはたけカカシの声。彼の低い声をとても近くに感じる。
 握られた手首を擦りながら部屋をあとにしようとした私の背中に、はたけカカシの声が掛かる。

「悪かったね、驚かせて」

 彼に背を向けていたから、手首を擦ったのは見えていないはずだ。

「いいえ。大丈夫です」

 ドアの前で振り返り、ベッドに横たわるはたけカカシに向けて言った。
 彼はたしかにそこにいるはずなのに、暗い部屋の中ではその姿が闇に溶けてしまってうまく見つけることはできなかった。

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