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♦ 「それでは報告会を始める」 エルヴィンの声を合図に、会議室内がしんと静まる。エルヴィンの隣に席を据えたリヴァイは、会議室にいる兵士たちを見渡した。壁外調査から戻ったばかりの今、どの顔もみな疲労を浮かべ、表情は暗い。 この会議には班長以上が出席し、各々がとった行動や巨人に関する新たな発見がないかなど、遠征中には行えなかった詳細な報告・連絡を行う。指名された班長が遠征中におきた出来事とその対処・行動を仔細に報告し、団長であるエルヴィンや分隊長に届けられた報告内容とのすり合わせを行っていく。 「では次、アンナ班長」 名前を呼ばれ、立ちあがるアンナ。彼女の顔にはいつもと変わらぬ仏頂面が張り付いている。 「開門後、事前の作戦に則り第1設営地点まで馬にて移動」 静かな会議室において、アンナの声が朗々と響く。アンナにとって、班長として初めて臨んだ壁外調査。その後行われているこの会議も彼女にとっては初めての場である。 初めてにもかかわらず、緊張した面持ちも見せずに聞き慣れた抑揚のない声で報告を続けていく。 「第1設営地点で、巨人を確認。後方担当であったため、班員全員がその場に待機。他班の移動が整うまでの戦闘を担当――」 ふと途切れるアンナの声。少しの間をとって、言葉を続けた。 「――南方向より現れた3体は私自身が討伐。南東より現れた4体を他4名で討伐にあたった結果、4名とも死亡。当班は私を残し全滅。うち2名の遺体は回収不可と判断。4名の死亡を確認したのち、本隊に合流」 巨人について新たな行動は確認なし。淡々とした口調でそう締めくくったアンナ。彼女の報告を聞き、エルヴィンが頷いた。 次の班長の名が呼ばれ、アンナは静かに着席する。報告を始めた班長の声に耳を傾けながら、リヴァイの視線はアンナへと向けられていた。 アンナは背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を見据えている。 彼女の顔は冷静そのものだった。壁外調査を終えたばかりの疲労感も、仲間を失ったという喪失感も浮かんではいない。 リヴァイは調査に出る前、班長にという命令を受けた後のアンナの様子を思い浮かべる。 あの時、アンナはアンナなりに班を率いること、部下を持つということの責任を感じているようだった。 アンナは兵士の命を軽んじてはいない。初めての遠征で友人を失って以来、アンナはずっと命の重みを感じ続けてきた。 そんな彼女が、担った部下を目の前で失った。その心中は察するに余りある。 リヴァイは誰にも気づかれぬよう、小さくため息を漏らした。その視線は未だアンナへと向けられたまま。 全ての班長から報告が終わると、会議はそこで終了する。が、団長であるエルヴィンや兵士長であるリヴァイ、各分隊長は会議室に残り班長たちの報告を纏めに入る。 今回の結果を纏め、上層部への報告内容や次回遠征へ向けての大まかな段取りまでを話し合う。これらすべてを終えてリヴァイが会議室から解放された頃、辺りは暗くなり始めていた。 廊下に備え付けられた蝋燭へ火を入れて回る兵士がリヴァイに敬礼をする。兵士が去ったあとも、リヴァイはひとり廊下に佇み窓の外を見据えていた。 リヴァイの目に映るのは、調査兵団の訓練場だ。 薄暗いなかにそびえ立つ樹々。じっと目をこらしてみても、そこに人影はない。 いつもなら、危うさを感じる程に激しく飛び回る彼女の姿がないことに、リヴァイは安堵とわずかな不安を感じていた。 ♢ 会議を終えた後、アンナは真っ直ぐ自室へと向かった。 部屋に戻りベッドの上に腰を下ろすと、小さな窓から見える景色を見るともなしに見つめていた。 部屋に戻るまでの足取りはしっかりしていた。頭だってきちんと働いている。 訓練を行わなければ。そう思うのに、アンナの体は動かなかった。 立体機動装置はすぐそばにある。少し手を伸ばして、身につければいいだけだ。それでも身体は動かない。 頭と身体をつなぐ神経がどこかで途切れてしまったような感覚。壁外調査から戻ってずっとこの調子だ。 班長として初めて臨んだ壁外調査で、アンナは班員を失った。 目を閉じれば、アンナら調査兵団の設営場所に近付いてくる巨人たちの足音が聞こえてくるような気がする。 2方向から現れた巨人を排除すべきなのは自分の班だと、アンナは思った。その場にいる兵の移動準備が整うまで、巨人を近づかせない。 南方から来た3体をアンナ自らが削ぎ、残りの4人で南東より向かってきた4体の討伐に当たるよう指示をした。班員は指示に従い、南東へと馬を走らせた。同時に南へと向かったアンナは、後ろを振り返らなかった。 遠征前に行ってきた訓練で、互いの連携は十分に確認した。新兵もいるが、熟練兵がうまく補うバランスの良い班構成。そう簡単にやられる訳がないと、そう思ったから。 アンナが巨人3体のうなじを削ぎ、南東に向かわせた班員たちを確認すべく、視線を移す。 彼女の目に飛びこんできたのは、絶望の表情を浮かべたまま身体の一部を失った仲間の姿であった――。 ふと我にかえると、部屋はとっぷりと闇に浸っていた。 いつの間に時間が流れていたのだろう。そう思いはしたものの、アンナは灯りをつけることもなくベッドの上に腰を下ろしたままだ。 選択を違えたのだろうか。 3体が近付いていた南側は4人で討伐にあたり、私自身が4体を倒す選択をしていたら――。たったひとつの指示が過ちだったかもしれない。違う指示をしていれば、彼らは生きていたかもしれない……。 自分の思考が向かう先に気づいて、アンナはかぶりをふった。 考えてもしょうがないことだ。そう自分に言い聞かせても、身体の内側のにある痛みは消えない。 『強い人間は簡単に死んだりしないし、私が死なせない』 調査へ赴く前、不安がる新兵に掛けた自分の言葉。 偽りはなかった。心の底から思った言葉だった。けれど私は、自分の言葉を違えてしまった。 私には、班長になる資格などなかったのではないか。 この2年の間に生き抜いてきたのは、自分の強さだったのだろうか。本当は、守られてばかりだったのではないだろうか。 班長として部下を率いる。それだけの兵士だと成長を認められたと思った。けれどそれは、驕りだったのでは? 私は、あの頃と何も変わっていない。母を失い、マリウスを救えなかった無力な自分と、なにも――。 暗く垂れ込める闇のような心と向かい合うことは、アンナの精神力を大きく削っていく。その心がすっかり疲弊しきった頃、アンナはのろのろとした動作で立ち上がり、そのまま部屋を後にした。 重りを抱え込んだような身体。 静かな廊下をひとりで歩いていると、思い浮かぶのは懸命に訓練をつんでいた班員たちの姿で。 死ぬことを恐れず勇敢に戦った彼らがすでに亡くなっていることが悔しくてならない。そして、その命が失われる一端を担ったのが自分だと思うと、どうしようもなく胸が苦しくなった。 胸の苦しさを抱えたまま暫く歩いていたアンナの足が、ある部屋の前で止まる。 ――私はここへ来たかったのか。 自分の意思で歩いてきたはずなのに、目の前にあるドアを見つめて、そんな風に思った。 ノックをせずにドアを開ける。そこには灯りもなく、冷たいくらいの静けさを伴っていた。 整えられた卓上。人の姿は無い。部屋の主が不在であることに安堵と落胆の両方を覚え、不思議な気持ちになる。 ふと、床に一筋の細い灯りが差していることに気付く。 灯りを目で追うと、薄く開いたドアから弱い光が漏れていた。 執務を行うこの部屋の、更に奥。そこは寝室になっている。 アンナは足音も立てずに数歩進むと、そっとドアを開いた。 さほど広くもない室内に備え付けられたサイドテーブルにはランプが乗せられ、小さくなったろうそくがゆらゆら揺れている。そんなサイドテーブルの横にあるベッドの上に、リヴァイはいた。 仰向けになっている彼の目は閉じられたまま、ピクリとも動かない。 ジャケットを脱いではいるが、シャツとズボンは兵服のままだ。 少し仮眠するつもりだったのだろう。本来上に掛ける筈のシーツも、リヴァイの身体の下に収まっている。 暫しの間、アンナは黙ったまま眠るリヴァイを見下ろしていた。目覚める気配はない。 ベッドの端に腰を下ろす。加わった重みに、ベッドがギシと、小さな音を立てた。 ゆっくりとした動作で上半身を倒し、リヴァイの胸元に静かに身を寄せた。 筋肉質なリヴァイの胸。布越しとはいえ、その硬さは触れている頬でしっかり感じる。ぴたりと張り付いた耳にリヴァイの心臓の鼓動がダイレクトに届いて、アンナはそっと目を閉じた。 「……重てぇな」 静かに響いたリヴァイの声。それは、わずかに掠れていた。 リヴァイが目を覚ましても、アンナは黙ったまま動かない。 不満気な声を漏らしたリヴァイも、口を閉ざしたまま身動きひとつとらない。 強く響く鼓動と、互いの息遣いだけが聞こえる静かな部屋。 手のひらをリヴァイの腹の上に添える。筋肉がしっかりついているはずの腹部は、今は力が抜けているのか思いの外柔らかい。 「……リヴァイ……頼みがある」 室内にひっそりと響く声。アンナにはそれが、まるで他人の声のように聞こえてならなかった。 「……この状態で頼み事か……図々しいな」 「……」 「……」 「……お前は強いと言って」 そう言葉にすると、リヴァイの身体が僅かに揺れた。その振動を直接感じながらアンナは、今自分が口にした言葉を激しく後悔していた。 部下を失い、自分の力に確信が持てなくなった。班を率いることのできる兵士だと認められたことも、誤ちだと思えた。 こんな風に迷うことも、自分が弱い人間である証拠だ。 リヴァイだけには弱い人間だとみなされたくない。そう思うのに、縋ってしまう自分が情けない。 けれど、自分の力を信じることができなくなった今、アンナにとってリヴァイの言葉だけが頼りだった。 確信の持てない自分の力を、リヴァイが信じているのなら。それなら、再び強く戦うことができる。 「……アンナ」 暫く続いた沈黙を破って、リヴァイがアンナの名を呼ぶ。 アンナは応えることができない。リヴァイの顔を見ることもままならず、耳を澄ますだけだ。 「兵士を辞めるか?」 今度はアンナの身体がピクリと揺れた。 リヴァイの言葉は彼女にとって予想外で、話の続きを聞くのが恐ろしく思えた。 弱いお前などいらないのだと、そう告げられてしまったらいったいどうしたらいいのだろう。 不安を抱えるアンナをよそに、リヴァイの言葉は続く。 「これから先も、選択を迫られる……兵士を続けている限り、何度でもな」 「……」 「結果は誰にもわからない……だからこそ、迷い、悔いる」 「……」 「お前はそこから逃げ出すのか?今までの戦いも全て投げ捨てて逃げ出したいなら逃げればいい。俺は止めない」 リヴァイは、知っている。選択を迫られた時の迷いも、仲間を失う度に抱える後悔も。それらを抱える苦しみも十分過ぎるほど知り尽くしている。だからこそ、そこから抜け出すことを止めはしないのだろう。 そんなリヴァイの考えに気づいてしまえば、アンナは「逃げたい」などと言える訳もない。そしてリヴァイは、アンナが『逃げ』を選択しないことを知っている。 「……生き残れ……俺がそう言ったのを覚えているか」 リヴァイの問いに、アンナは小さな声で「覚えてる」と答えた。 班長になることを告げられた日、与えられた新たな責任に臆したアンナへ、リヴァイが言った台詞。 「……どれだけ信じても、結果は誰にもわからない。それでも、お前は生き残った。それが、お前の強さだろうが」 「……」 「アンナ……お前は強い」 そう言ったリヴァイの声は、力強く響いた。アンナは添えていた手で、リヴァイのシャツをぎゅっと握りしめる。 これから先、仲間を失う度に自分の弱さを呪い、恨み、迷い、そして悔いるだろう。きっと、何度も。 それでも、自分の力を信じる存在があるかぎり強く戦っていく。 失った者を全て力に変えることのできる兵士になりたいと、そう願ったのは他でもない自分自身なのだから。 アンナは大きく息を吐き出すと、勢い良く起き上がった。身体の自由を取り戻したリヴァイも、ゆっくりと上体を起こす。 振り返ると、自分の顔をじっと見つめるリヴァイと視線がぶつかった。 「変なことを頼んだ。もう2度と言わない」 強くなりたいと思ったから。リヴァイの信頼を絶対に裏切りたくはないから。 そんな思いを込めたアンナの言葉を受けてなお、リヴァイはじっと彼女を見つめている。小さなベッドの上で、リヴァイの顔がすぐそばにある。 「アンナ」 「なに」 「泣きたきゃ泣け」 リヴァイから向けられた言葉は予想外のもので、アンナは驚きから目を大きく見開いた。そんな彼女に構うことなく、リヴァイは続ける。 「ただし、俺の前だけにしろ。部下の前では泣くな」 そう続けたリヴァイの顔を、アンナは口を半開きにしたまま、食い入るように見つめていた。 「なんだてめぇ……アホみてぇなツラしやがって」 「……だって……リヴァイが気持ち悪いこと言うから……」 アンナがそう言うと、リヴァイは忌々しそうに舌打ちをした。そんな彼の様子を見て、アンナの口元からは思わず笑みがこぼれる。 「わかってる。でも、私は泣かない」 リヴァイが部下の前で涙を流すことを禁じたのは、それが士気に関わるからだ。それほど今のアンナという存在は、兵団に影響している。 強くあらねばならない。けれど、胸のうちに巣食う悲しみや後悔を、リヴァイは知っている。それらに苛まれる弱さを責めたりはしない。 リヴァイはアンナの弱さを受け入れ、それを許すのだろう。けれど、私は決して涙を流さないと、アンナはそう強く思った。 「リヴァイが泣かないのなら、私も泣かない」 仲間を失った悲しみも後悔も、リヴァイは涙を流すことなく、全て受け止めて強さに変えていく。ならば私も同じように、全てを戦う力へと注ぐ。 そんな思いの籠ったアンナの言葉。彼女の口元には穏やかな笑みが浮かび、瞳には強い意識を宿している。 リヴァイは目を見開き、そんなアンナを見つめていた。 アンナは颯爽と立ち上がると、振り向くことなく部屋を後にする。 背中にリヴァイの視線を感じて、アンナは背筋が殊更に伸びる思いがした。 |