今宵の宴がこの様な結末を迎えるとは、この座敷にいる誰もが予想だにしなかっただろう。

唄月の馴染み客、脱藩浪士村田に呼ばれ揚がった吉野屋の座敷。
その座敷に雪崩込んできた浅葱色の羽織を身に纏った男たちの先陣を切って飛び込んできた男の顔を、唄月はよく知っていた。


「我ら新選組、詮議の為参上つかまつった。抵抗すれば容赦なく斬る」

一番最初に飛び込んだ沖田に続き、座敷に駆け込んだ男が低い声で朗々と述べる。
この男の顔も知っている。新選組副長である土方だ。

刀を手にした新選組の隊士たちと向き合う形で、村田たち5人は立ち上がった。
彼らもまた腰の獲物を抜き、座敷は一気に緊張した空気に包まれる。


「おのれ幕府の犬め!我々が成敗してくれる!!」

村田がそう叫び、座敷内は直ぐ様戦場となった。
数では圧倒的に不利な立場であろう村田らは、この座敷内に置かれた蝋燭全てを倒し、灯りを消した。せめて暗がりにでもなれば、あるいは目眩ましとなり勝機があるやもしれぬと思ったのだろう。
月灯りのみが差し込む暗い部屋の中、男たちが手にした刀だけがギラリと光る。部屋中に男たちの掛け声が響き、刀同士がぶつかり合う金属音が其処此処で鳴っていた。

この状況に一番戸惑ったのは芸妓たちで、刀の交錯する座敷から逃げようと慌てて立ち上がる。暗い部屋の中でも芸妓たちの纏った煌びやかな着物は映えていた。
鮮やかな柄の着物が動こうとするのを視界の端で捉えた唄月は、芸妓に向かって声を上げた。

「動いたらあきまへん!じっとしとるんや!」

男たちの怒号の様な声と刀同士のぶつかる音がこだまする室内においてもよく通る唄月の高い声に、立ち上がろうとした芸妓は力を失った様に再びその場に腰を下ろした。

「動いたらあきまへんえ。こないな暗がりで下手に動いたかて、あの刃に当たってまうだけや」

自分も含め、ただここに居合わせただけの他の芸妓たちを何とか無傷で済ませたい唄月は、彼女らを必死で説得する。
そんな唄月の目の前に広がる光景は、正に戦場そのものであった。

狭い座敷内、所狭しと刃を交える男たち。
刀同士がぶつかり火花が散り、また、刀の先が肉体に当たれば鮮血が散った。

混沌と化した戦場で、唄月は彼を見逃さなかった。
月明かりだけが頼りの心許ない灯りでも、敵を追い詰める沖田の顔には微笑が浮かんでいるのがはっきりと見える。
刀を交えているというのに。人の命を奪うというのに。ともすれば自らの命さえ奪われてしまうかもしれないというのに、 それでも笑いを称える沖田から、唄月は目が離せなかった。

沖田は1人の男と合い対し、刀を振るう。
唄月からは背中しか見えなかったが、沖田と対峙している男は押されていた。
沖田の刀を何とか受けながら、一歩、また一歩と後退する男は、徐々に唄月に近づいていた。
やがて男が唄月の目の前まで迫った、その瞬間。
沖田が袈裟懸けに男を斬り付け、鮮血が辺りに飛び散った。
斬り付けられた男はその場でぐらりと揺らぎ、どさりと鈍い音を起てて唄月の目の前に倒れる。

仰向けに横たわった男。唄月がそれを村田だと理解するのにそう時間は掛からなかった。
目を見開いたまま、ピクリとも動かぬ村田。沖田の与えた一撃が致命傷であったことは明らかで。


「また会ったね」

頭上から降る声に顔を上げれば、沖田が笑みを作って唄月を見ていた。
こんな戦場と化した場所で、まるで世間話でもするかの様な沖田に、唄月は背筋がゾクリとした。
だが唄月は、沖田を真っ直ぐに見上げる。

「・・・・わても・・・殺すんどすか?」

目の前で絶命した村田と同様に、この男は自分も殺すのではないか。そう思った唄月は、強い眼差しを沖田に向ける。
そんな唄月の視線を受け、沖田はふっと笑いを洩らした。

「殺されたいなら遠慮なく殺してあげるよ?」

「・・・・嫌や。殺されたくありまへん」

「君はそう言うと思った」

何故か満足げに笑う沖田の背景に目をやる。先程まで激しい戦場と化していた座敷は静まり返っていた。
壁や襖には血が飛び散り、床には横たわる男たちの身体と、血溜まり。横たわる男たちは皆絶命しているのだろう。
座敷にいた5人の客のうち、村田を含む3人が倒れ、2人は新選組隊士の手により捕縛されていた。
自分の目の前で起こった惨劇とも言える出来事が現実のものとは思えず、戦が終わりを迎えても唄月は腰を下ろしたまま、ただぼんやりと座敷を見渡すことしか出来なかった。


「ねぇ、もしかしてずっとここにいるつもり?」

頭上から降る沖田の声に、唄月は我に返る。

「そろそろ会津の人たちも来るだろうし、見分しなきゃいけないんだ。・・・・まぁ、その死体の側にずっといたいっていうなら、何も言わないけど?」

「・・・・・」

随分意地の悪い口振りをするものだと、唄月は思う。今自分のすぐ側にある村田を死体にしたのは、他でもない沖田自身であるというのに。
ともあれ唄月とて血の匂いが充満したこの座敷に長居なぞ望んではいない。


「手、貸してあげようか?」

唄月が立ち上がろうとしたその瞬間、沖田は手を差し伸べた。差し出されたその手は赤く染まっていて、それが斬った相手の血であることは暗がりの部屋でも解った。
沖田の手を借りずとも、1人で立ち上がる事だって出来た。だが唄月は、差し出された沖田の手に自分のそれを重ねる。

血に染まった手を拒む事だって出来た。
それでもその手を取ったのは、人を斬ったその手を拒むことが沖田自身を拒むことの様な気がしたから。
沖田を傷付ける様な気がしたからだ。

唄月の手が重ねられると同時、彼女を立ち上がらせようと沖田は腕に力を入れる。
力加減が強すぎたのか、唄月は立ち上がるとそのまま沖田の胸に顔を埋める形になった。

すぐ傍にいる沖田の温もりが伝わり、顔が熱くなる。
慌てて身体を離そうと、身を退こうとした唄月だったが、沖田が彼女の肩に手を回し、それを制した。


「芹沢さんのこと、誰かに話した?」

彼女だけに聞えるよう、唄月の耳元に口を寄せ、声を落として沖田がそう問い掛ける。
沖田からの問い掛けに身を固くさせながらも、唄月は思わず沖田の顔を見やった。
唄月を見る沖田の顔は笑っている。
けれども目だけはあの時と同様に、返答次第では殺すと、そう言わんばかりだった。

「・・・言うてまへん。誰にも」

沖田と同様、彼にだけ聞える様に声を落として答える唄月
彼女の返答を聞き、沖田は目を細めた。

「約束を守る子、好きだよ」

悪戯っぽく笑って、沖田は唄月を解放した。
約束なんかではない。沖田が‘喋れば殺す’と一方的に脅しただけではないか。
口にはせず、唄月はそんな思いを込めた目で彼を見た。
沖田は彼女の思いを知ってか知らずか、ただ笑みを称えるばかりだった。

こうして終わりを迎えた今宵の唄月の座敷。
沖田とのこのやり取りを見ている者が居ようとは、この時唄月は露程も思わなかった。


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