わたしの手を握るトシの熱くて大きな手の感覚が、忘れられずにいる。そしてわたしが同時に思い出すのは、トシの背中で。
わたしの望む言葉をくれないトシの背中がひどく遠くて、もう永遠に手が届かないと、そう思った。


「それじゃあ、おじさん、おばさん、お世話になりました」

日が登って間もない時間。朝日に照らされたかぶき町の通りには、これから仕事へ向かう人と、仕事帰りの人が入り乱れ、それぞれの目的地へと足早に歩いている。
そんな中、まだ開店もしていない花屋の店先で、大荷物を抱えたわたしと叔父叔母夫妻が佇んでいた。

「またいつでも遊びにこいよ」

「元気でね、なまえちゃん。武州に着いたら連絡頂戴ね」

急遽武州へ帰ることを決めたわたしを見送ろうと、わざわざ店先まで出てきてくれた夫妻が代わる代わる声を掛けてくれた。

「本当にお世話になりました。特におばさんには見合いのお世話までしてもらったのに・・・」

叔母に用意してもらった見合いの結末を思い出せば、申し訳なさから自然と小さくなる言葉尻。
叔母さんはあっけらかんと「気にしなくていいわよ」と笑ってくれたけれど、あの後先方にお詫びの連絡をしていたのを目撃してしまったわたしとしては、何ともいたたまれない。

「・・・それじゃあ、また」

ふたりに手を振って、わたしはゆっくり歩き始めた。


ハッピーエンド探して


こんな結末を迎えてしまったのは、どうしてなんだろう。どこかで犯した間違いを正せたなら、わたしとトシはそれまでと変わらず、バカな話をしては笑い合える関係だっただろう。

ミツバを亡くしたトシと、その悲しみを分け合えればいいと、そう思っていた。だけど実際に彼の顔を見てしまえば、諦めたはずの気持ちに再び灯が燈って。
悲しみを分かち合おうなんて所詮は綺麗事で、自分を正しく見せる為の言い訳だった。わたしを、わたしだけを見て欲しいと、昔からひた隠しにしてきた想いが溢れだす。
そのうち、‘幸せにしてほしい’だなんて欲が出て。わたしは一体どこまで強欲なんだろうと、我ながら呆れかえってしまう。
そんなわたしなんかを、トシが想ってくれるはずもなくて。

本当は最初からわかってた。トシの心には未だにミツバがいる事を。
彼女が亡くなってしまった今でも、彼の中にはミツバがいる。
わたしの手を取ったトシが、わたしの望む言葉をくれなかったのは、彼の中にミツバがいるから。

ミツバにも・・・あれだけ強く想ったミツバにさえも、‘自分の手で幸せにする’と言えなかったトシが、わたしにその言葉を向ける。
それはきっと、ミツバに対しての裏切りだと、トシはそう思ってる。
わたしは、トシにそんな思いをしてほしいわけじゃない。
罪の意識を抱きながらわたしと一緒にいるくらいなら、もう二度と会うことはなくても、彼が笑って生きていってくれるなら、それでいいのだ。




かぶき町の駅構内は思いの外混み合っていて、武州行きの電車が出るホームまで向かうのにも一苦労だった。
時々他の人の肩とぶつかりながら辿り着いたホームに電車はまだ来ておらず、人も疎らでほっと息を吐き出した。
間もなく電車が到着するとアナウンスが流れ、いよいよこのかぶき町ともお別れだと思うと感慨深い。
きっと、もう二度とこの町に来ることはない。あんな形でさよならを告げることになってしまったトシとは別に、勲ちゃんや総悟にも、最後くらい挨拶をしておけばよかったと、今更ながらに後悔する。

レールの上を滑る電車がゆっくりと近付いてきて、ホームに入るとスピードを落とす。わたしの目の前を通った時の風に、うっすらと鉄と油の臭いが混じっていて、顔をしかめた。その臭いが、トシの吸ってた煙草の香りに似ている様な気がして、少し切なかった。
ゆっくりと電車の扉が開く。この電車に乗って数時間後には、もう武州だ。戻ったら、今度こそ幸せを掴むために、もう一度やり直そう。
心の中でそう強く思い、ドアを潜ろうと脚を踏み出した瞬間だった。


なまえ

不意に名前を呼ばれ心臓が跳ねる。
恐る恐る振り返った視線の先に佇んでいた彼の姿を見て、わたしは大きく目を見開いた。

「・・・・総悟・・・」

「そんな顔するとブスがもっとブスにみえるぜィ」

相も変わらぬ憎まれ口に小さく溜め息を吐いて、総悟の顔を見る。
彼の顔が心なしか青白く見えたのは、蛍光灯のせいだろうか。

「総悟・・・あんたなんで此処にいるのよ」

「さっきテメーの親戚ん家言ったら武州に帰るっつって出てったって聞いたんでィ」

「・・・そ。わざわざ見送りに来てくれなくてもよかったのに」

これが最後になるであろう会話さえも、こんなやり取りだなんて。そんなのちょっと悲しいじゃないか。

「でも最後に会えて良かったよ。勲ちゃんと・・・トシにも、よろしく伝えといて」

それじゃあね。そう言って、踵を返したわたしの背後で、総悟が小さな声で言葉を紡ぐ。

「・・・今、皆それどころじゃねぇんだよ」

「・・・それどころじゃないって・・・なに・・・?」

気にかかる物言いをする総悟を振り返ってみれば、彼は顔を臥せ、その表情を見ることは出来なかった。
その姿に、一抹の不安を感じた。

「・・・昨日の討ち入りで・・・土方さんが・・・」

総悟は俯いたまま、そこで言葉を切り、拳を強く握った。
拳を握ったその手が赤く染まっていることに、わたしはこの時ようやく気付いた。


総悟の後に続き、彼が駅まで乗って来たであろう真選組のパトカーに乗り込んだ。車内は始終無言で、聞こえるのはエンジン音だけだった。
窓の外を流れる景色も、時々入る無線の音も、どこか現実味がなくて。ハンドルを握る総悟の手の赤だけが、妙にリアルだと思った。
その赤が一体なんなのかなんて、教えて貰わずともわかる。独特の赤黒いそれは少しずつ水分を蒸発させて、鉄の臭いを醸し出している。
鼻につくその臭いが、わたしの心臓の鼓動を速めて、今にも止まってしまいそうだ。
隣に座る総悟に視線を向ける。彼は手だけでなく、白いスカーフも赤く染め、隊服も黒光りしていた。
それがわたしの不安をより一層高め、震える手足を押さえられない。

いつ死ぬとも知れない身。そうわたしに話したトシの顔が蘇る。

刀を手にして生きていくということが、どういうことなのか、理解してたはずだった。刀を手に生きる彼は、常にその命を危険に晒しているのだと。
だけど今、実際に目の前で起きたこの事態を自分の中でうまく飲み込むことが出来ないのは、理解していたつもりになっていただけなのだと認識せざるを得ない。

沈黙が続くばかりの車内。聞こえていたエンジン音が止んだ頃、ゆっくり顔を上げれば、真選組の屯所前で。
隣に座っていた総悟に習い、ドアを開けて外に出ると、わたしは大きく息を吐き出した。そうすることで少しは落ち着くと思っていた心臓は、わたしの期待に反して益々その鼓動を高めるばかりで。

しくしくと痛む胃を抱え、屯所内に足を踏み入れる。以前訪れた時はそこかしこで笑い声や怒鳴り声が聞こえた賑やかな場所だったのに、今日は何故かシンと静まり返っていた。
中庭に面した廊下を歩く途中、一人の隊士とすれ違う。
すれ違い様、「副長室へ行かれるんですか?」と、総悟にそう問い掛けた隊士の表情に影があることに気付かずにはいられなかった。



なまえ・・・ここが土方さんの部屋でィ」

目の前にある二枚の障子は、少し黄ばんでいた。その障子に手を掛けることに戸惑うわたしを、総悟は急かすことなく、ただ黙っている。
震える手で、障子に手を掛け、ゆっくり開く。
障子を開いたその先には、こざっぱりした和室があった。日焼けした畳みの上に、布団が敷かれ、横たわる人のおうとつが見てとれる。
顔の上に掛けられた白い布が、彼の黒髪と相まって酷く明るくみえた。


「・・・トシ・・・う・・嘘でしょ・・・?」

一歩一歩、横たわるトシに近付きながら漏らした言葉は、一体誰に向けていたのか、自分でももうわからない。

「・・・これが最後でィ・・・。ゆっくり別れな」

わたしの背後でそう言った総悟の声が、震えていた。
今来た廊下を戻って行く総悟の足音が段々と小さくなっていく。

トシとふたりきりになった室内で、わたしは崩れる様にその場に腰を下ろした。
白い布の端に手を伸ばし、恐る恐る捲れば、そこには眠ったように穏やかなトシの顔がある。


「・・・トシ・・・」

名前を呼べば今にも目を開けそうだった。いつもみたいに眉間に皺を寄せそうなのに、ピクリとも動かないそれは、まさに魂の脱け殻で。
どうしようもない悲しみと、悔やみきれない後悔とがいっしょくたになってわたしを襲うから、堪えきれずに涙を流した。

もう会わないほうがいいかもね。そう口にしたのはわたしだった。
もう二度と会わない。それがお互いの幸せだと思った。どんなに辛くても、そうすることが一番だと。
たとえ二度と一緒に笑い合うことが出来なくても、何処かで笑っていてくれると、そう信じて疑わなかった。
だからこんな結末は考えも及ばなくて、今、この現実を受け止めることが出来ない。

もう二度と会わないほうがいいかもね。こんな馬鹿な別れ方あっただろうか?
どうせ最期なら、『じゃあまたね』って、笑顔で別れるほうが何倍マシだっただろう。

どうしてあんな別れ方にしてしまったのだろう。
刀を握る彼は常に死と隣り合わせだったのに。
あんな別れ方、絶対に間違っていたのに・・・。


「・・・くっ・・うう・・・トシ・・・」

溢れる涙と嗚咽が止まらない。
頭の中が真っ白で、もう何も考えられない。
突っ伏して泣きじゃくれば、畳みの上に落ちた涙がポタポタと音をたてる。


「・・・もう会わねェんじゃなかったのか・・・?」

耳に届いたその低い声は、幻聴だと思った。
突っ伏していた顔を勢い良く上げれば、うっすらと目を開けたトシがこちらを見ていた。

「・・・え・・・トシ・・・生きて・・る・・・?」

「生きてちゃわりぃか」

何が起こったのかさっぱり理解出来ないわたしは、トシが布団の上でゆっくりと上体を起こすのをぼんやり見つめていた。
トシは肩から下げた包帯で片腕を吊るしていて、起き上がる際、苦痛に顔を歪めた。

「・・・ったく総悟の野郎下らねぇことしやがって」

トシはそう呟いて、さっきまで彼の顔の上に掛けられていた白い布を掴み何処かへ放ると、懐から煙草の箱を取り出した。


「・・・ちょ・・わたし・・・事態がいまいち呑み込めないんだけど・・・」

くわえた煙草に火を点けて煙を吐き出すトシにそう問い掛ければ、背後から声が響く。

「なぁんだ。もう死体ごっこは終わっちまったんですかィ」

振り向けば、そこには総悟の姿があって。彼は意地悪く口端を持ち上げている。

「え・・・総悟・・・あんた・・トシが討ち入りで死んだって・・・」

武州へ向かう電車に乗り込もうとしたわたしを、総悟は引き留めた。
あの時の彼は、明らかにただ事じゃないと、そんな雰囲気を醸し出していたじゃないか。

「俺ぁ土方さんが死んだなんて一言も言ってやせんぜ。なまえが勝手に勘違いしただけでさァ。ま、おかげで面白いモンが見れました」

言って立ち去さろうとする総悟の背中に向かって、「総悟ォォォ!!」と怒鳴る声がトシと重なった。


「・・・総悟・・・わたしまで騙してたんだ・・・」

「そりゃ総悟だからな」

「・・・酷い・・・」

「・・・あぁ」

「・・・・」

「・・・・」

再び沈黙に支配される部屋で、トシが煙草の煙を勢い良く吐き出す音だけが聞こえる。
この部屋に訪れる前までに抱いていた緊張感とはまた別の緊張に襲われて、身動きすらうまく取れない。


「・・・怪我は・・・本物・・・?」

沈黙に堪えきれず、トシの腕の包帯に目をやりながら問う。

「ああ、討ち入りん時にヘマした」

「そう・・・」

「・・・・」

「・・・・」

言葉を続けることが出来ず、わたしはただ俯いて、畳を見ていた。
違うのに。言いたいことはこんな事じゃなくて。もっと大事な、伝えたい気持ちがあるのに。


「・・・トシが、死んじゃったって思った時・・・」

「・・・・」

「わたし、凄く後悔した・・・」

自分の気持ちを確かめるように、ゆっくりと紡ぐわたしの言葉を、トシは黙って聞いている。

「・・・もう会わないほうがいいって、そんな別れ方したまんま、トシが死んじゃったって思ったら、凄く怖かった」

もう二度と会わない。わたしは、そんな覚悟ちっとも出来てなかった。

「刀を握るってことがどういうことなのか、やっと本当に理解出来た気がする」

刀を握るトシの傍にいるということは、常に彼の死が背中合わせで。
突如としてやってくる死は、待っている人間をこれ以上無いってくらいの悲しみで、暗い場所に落としてしまう。

「・・・だから、トシはミツバを連れて行かなかったんだよね」

ミツバにそんな思いをさせまいと、強く願ったトシの気持ちが、今本当に解ったの。
ねえ、だけどね、トシ。

「・・・それでも・・・わたしはやっぱりトシの傍にいたい」

真っ直ぐにトシの目を見て語る言葉。
この気持ちが、トシまで届いてと、切なる願いを込めながら。


「・・・わたしの知らないところで・・・何処か遠いところで、永遠に別れるなんて・・・そんなの嫌だよ」

そんな別れ方をする位なら、最期の瞬間まで傍にいさせて。


「・・・刀振り回してる俺なんかの傍にいて、幸せになんかなれるわけねぇだろうが」

「・・・わかってる。・・・だけど、どんな結末になったとしても・・・それでもトシの傍にいたい」

例え突然に永遠の別れが訪れたとしても、それまでの時間をトシと笑い合えたなら、わたしは後悔なんてしないから。


「幸せになんて・・・してくれなくていい・・・。トシの傍で笑え合えたら・・・それで、幸せだから・・・」

溢れる涙が止まらない。でも、この涙は悲しみの涙なんかじゃないんだ。
わたしの幸せは、トシの傍にしかない。そう気付けた、嬉し涙だから。

涙を流しすぎてぼんやりする脳と、伴って何処か気だるくなるわたしの体を、トシはすっぽりとその腕に納めた。





ミツバのお墓へ行こう。そう口にすることなく二人揃って足を向けたのは、極自然な事だと思った。
トシの腕の怪我が癒えた頃、少し外を歩こうと誘ったのはわたしの方だ。
行き先なんて口にはしていないのに、並んで歩くわたしとトシの向かう場所が同じであることに気付くのに、そう時間は掛からなくて。


「・・・オイ、なまえ

「・・・なによ」

「お前それ供えんのか」

「当たり前でしょ。ミツバだもん」

ミツバの墓石前で手を合わせ、懐から取り出した激辛せんべいを見るなり、トシが文句をつける。

「トシこそ手ぶらで来るなんて・・・ほんっと礼儀作法がなってないんだから」

「んだとテメー。墓参りに来るなんて一言も言わなかったじゃねぇか」

「馬鹿ねー。そこは空気読みなさいよ。読んでみせてよ。お前なら読める!」

「何様だてめえは」

下らないやり取りに、やれやれと言いたげに、トシがタバコの煙を大きく吐き出す。風に乗って流れてきた煙が目に染みて、隣に立つトシを睨んだら視線を逸らされた。

墓前でくらい、煙草我慢すればいいのにね。
墓石の前でしゃがみ、手を合わせ、ミツバにそっと語り掛ける。


・・・ごめんね、ミツバ。わたしは、やっぱりトシが諦めきれなくて、傍にいさせてと望んでしまった。
ミツバに・・・親友に対するこれ以上ない裏切りなのだと、そう解っていながら、トシの傍にいたいと願ってしまった。
わたしのこと呆れる?嫌いになる?それとも、憎くなる?
わたしは、大事な親友を裏切った自分が、大嫌いになったよ。


なまえ、お前いつまでそうしてんだ」

いつまでも手を合わせたままでいるわたしにしびれを切らしたのか、トシの声が降りてきて、ゆっくり目を開く。
一番高い位置に昇った太陽の光が眩しくて、少し目を細めた。


「行くぞ」

「えっ・・・ちょっと待ってよ」

先にスタスタと歩き出してしまったトシの背中を慌てて追いかける。足の長さの差なのか、すんなりトシに追い付くことは出来なくて、大きな背中しか見えない。
待ってってば。そう声を上げても、歩くスピードを落とさないトシに苛立ちが募ったけれど、無言で差し出された手を見れば、そんな感情も吹き飛んでしまう。

トシだって、こうしてわたしに手を差し出すということに、罪悪感を抱いてる。
もういなくなってしまったミツバへの罪の意識は、罰を受けることも出来ないだけに、大きく膨れ上がるばかりだ。
それでも、こうして二人でなら、その罪の意識さえも抱えて一緒に歩いて行けると、そう思えるから。

差し出された手に自分のそれを重ねれば、触れ合う温もりが全身に伝わって、心までもが温かい。
前を歩くトシの耳が少し赤くなってることに気が付いて、自然と笑みが溢れてしまう。


この先に、どんな結末が待っていようとも、あなたの隣でなら見つけられるから。
だから、どんな時も隣を歩かせて。
あなたとなら見つけられる。
一緒に探そう。

わたしたちの、ハッピーエンド。



end


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