「見合い?」

花屋の向かいにある店の軒先に出された腰掛け。そこに横たわる総悟を見掛けたのは、叔母から持ち出された見合い話の数日後だった。
仕事サボるなよと声を掛ければ、「俺ァ仕事中でさァ」と返すあたり、胆が据わってるというか、図太いというか。
そんな総悟に見合いをすることにしたと語れば、それまで天を仰いでいた大きな瞳がくるりと動いてわたしを捉えた。

「華絵と見合いするなんざ、スゲェ勇者がいたもんだ」
「……どういう意味よ、ソレ」

お馴染みになった総悟の憎まれ口に軽く返して、店番に戻ろうと踵を返すわたしの背中に、総悟の声が投げ掛けられる。

「……焦ってみたって相手がマトモな奴とは限らねぇだろィ」

まるで独り言みたいな総悟の台詞は、わたしに対してのものなのか。それとも、今はもういない彼の姉に言いたかった台詞なのか。
わたしはただ振り向いて、笑うことしか出来なかった。


願えなかった、罰


わたしという人間は、周りの人たちからすると後先考えずに行動するタイプだと、そう見られているんだと思う。
考えてることは直ぐに顔に出てしまう、ばか正直な人間。嘘をつくのも下手くそで、良く言えば素直、悪く言えば世渡り下手。
わたし自身はそんな自分が好きだった。
不器用なところもあるけれど、それでもこんなわたしの周りにいい人達がいてくれるのは、わたしの人徳みたいなものだと、そう誇りに思っていた。
だけどわたしって、本当にみんなに好いてもらえるような、そんな人間だったかな。

ミツバの幸せを想い、ミツバを残し江戸に向かったトシ。
トシの気持ちを知って、彼を見送ることを決めたミツバ。
そんな二人の姿は切なくて、胸が苦しかった。
けれどわたしは、心の片隅で安堵してたのだ。

トシの想いが通じなかった事が悲しい。ミツバの想いが叶わなかった事が切ない。
離ればなれになる二人の姿は胸を痛めたけれど、本当は、心の奥底でほっとしていた。

トシがミツバの手を取って江戸に行っていたら。
ミツバがトシを見つめながら微笑み、トシも微笑み返していたら。
二人が互いに隣を歩くことを望み、求め、許しあっていたなら、わたしは、ひとりぼっちだった。

二人の幸せを願いながらも、本当は、怖かった。
わたしだけひとり置き去りにして、二人が揃って離れていってしまうことが、何より怖かったの。


「こいつァおどろきだ。今更七五三とはなァ」
「……失礼ね。これからお見合いだからって気合い入れておめかしした女性に対する言葉じゃないわよ、総悟」

見合い当日。久しぶりに美容院なんか行って、なんとも可愛らしい桃色の振り袖を纏い、いざ会場へ向かおうかという時、総悟に声を掛けられた。

「総悟……あんた隊服着てるってことは仕事中でしょ?真面目に働きなさい」
「ここいらで欽ちゃんもびっくりの仮装があるって聞いたんで見にきただけでさア。そしたら只の七五三ときたもんだ。そんなんじゃあどんだけ粘っても点数なんて上がんねーや」
「言っとくけどわたし別に仮装したい訳じゃないから」

真面目に会話するのが馬鹿馬鹿しくなってきたわたしは、盛大に溜め息を吐いて、総悟に背を向けた。

「じゃあね、わたしはそろそろ行くから」

ひらひらと手を振るわたしの背中に、総悟の声が掛かる。

「……見合いのこと、土方のヤローには言ったのか?」

振り返ってみれば、栗色の髪から覗く大きな瞳が、さっきまでとは別人のように真剣だったから、一瞬言葉を忘れてしまった。

「……トシには言ってないよ」

わたしの見合いだなんて、トシにはなんの関係もないんだから。口にせずとも伝わるような冷たい口調だったと、我ながら思う。
総悟はただ、「ふうん」と、興味なさげな返事を寄越す。
「わたしがお嫁にいっちゃったら寂しい?」と、わざとらしくニヤリと笑ってみせれば、「嫁に行けると思ってたのか」と、総悟らしい憎まれ口が返ってきて、ほっと胸を撫で下ろした。


用意された見合い会場は、普段であれば門を潜ることも戸惑う様な高級料亭だった。
平屋建ての造りは趣があり、屋根に並んだ瓦には太陽の光が当たって黒々と輝いている。
建物内は全て個室になっていて、わたしが通された部屋は丁度中庭に面しており、障子を開ければ綺麗に整えられた純和風の庭が一望できる。
滅多に拝む事の出来ないであろうこの光景が、叔母の見合いにかける意気込みのような気がして、わたしは恐縮してしまう。


「華絵さんは武州ご出身なんですよね」

声を掛けられ我に返り、視線を美しい庭から真正面へと向けた。
今わたしの正面に腰を下ろすのは、パリッと張り感のあるスーツに身を包み、爽やかな笑顔を浮かべる男性で。
カッコいいとは言い難いけれど、少し下がりぎみの目尻と、細めた目の下に出来る笑い皺が好印象を与える。

「はい……ずっと武州にいたものですから、江戸の都会ぶりに戸惑ってばかりです」

人見知りなんてするたちでもない癖に何故だか妙に緊張してしまうのは、お見合いという独特の空気がもたらすものなのか。
それともトシのような同世代の男性と新しく知り合うという機会が久しくなかったからだろうかと、そんな考えが頭を過った瞬間、‘トシのことは考えない!’と、強く自分に言い聞かせた。

「ははは。確かに江戸は活気のある町ですが、人情味もあるいい町です。華絵さんもすぐに慣れますよ」

目の前にいる男性は、とても穏やかな口調でそう話してくれた。押し付けがましくなく、それでいて滲み出る優しさに心が暖かくなる。
トシはこんな穏やかさなんて兼ね備えていないし、不器用だから上手く優しくすることも出来ないだろうな。


「――なんですよ。華絵さんはいかがですか」
「えっ……?っと……」

会話を振られたところで、相手の話がさっぱり頭の中に入っていなかったことを自覚して慌てるわたしに対し、「体調が優れないですか?」と、優しい言葉を掛けられ、申し訳なさが募る。
まさか、『片想いしてた人のことを考えてました』だなんて言えるはずもなく、わたしはただ俯くしか出来なかった。
わたしのせいで気まずい空気が流れ始めた座敷。それをなんとか盛り上げようとしてくれたのは、隣に腰を下ろしていた叔母だった。ぼんやりしていたわたしの代わりに、聞いていた話に答え、同じ話題を明るくこちらに振ってくれる。
叔母の気遣いを無下にしないようにと、これ以上ないってくらいの笑顔を浮かべれば、冷めてしまった空気が暖かくなった気がした。

わたしってば、何してるんだろう。手に入れる事が出来ない恋は諦めて、幸せになるって決めたのに。
決意したはずなのに、目の前にいる男性とトシの違いを探してみたり、したくもない笑顔を振り撒いては、疲れている自分がいる。
幸せになりたいと思いながら、目前にある幸せへの切符を手に取ろうとしないわたしは、宙ぶらりん状態だ。
こんなんじゃわたし、結局なにも変わらないままじゃないか。


差し込む太陽光に暖められた明るい部屋とは対照的に、深く、暗く沈んで行くわたし。
なんだか滑稽な組み合わせだと内心自嘲して、視線を下ろせば、膝の上に乗る自分の両手が他人のものに見えた。
そこにふっと黒い影が差す。さっきまであんなにいい天気だったのに、急に雨雲でもやってきたのだろうかと、視線を上げた。
わたしの目に飛び込んで来たのは、太陽を遮る雨雲でも、嵐のような台風でもなくて。そんなものより、もっと意外で、わたしの心をかき乱すものだった。

「トシ……」

高級料亭の一室で行われている見合い会場へ突然現れた男に驚かされたのは、わたしだけではない。
この場に居合わせた全員が・・・つまり、わたしも、叔母も、そして見合い相手も、目を大きく見開き、無言のままトシを見上げていた。
一方トシはと言えば、中庭の美しい緑を背景にして、佇んだまま室内をくるりと見渡した。
青々とした緑はトシの着ている黒い隊服とは不釣り合いだと、場違いなことを考えていたら、トシと視線がぶつかった。
聞きたいことも言いたいことも山ほどあって、頭の中を沢山の言葉が行き交うのに、結局どれも口から出ることはない。
口を半開きにした間抜け面のわたしを、トシは数秒間無言のまま見詰めていた。その表情は、眉間に皺を寄せた小難しい顔で、何を考えてるかなんてさっぱり掴めない。
トシは、言葉を発さぬまま、敷居を跨いで真っ直ぐわたしの側までやって来る。
不安なのか、緊張なのか、何故かドキドキと音を起てる心臓を抱えたわたしを尻目に、トシはわたしの手を掴むと力任せに引き上げた。
手首から手だけがもげてしまうんじゃないかと思う程の力強さで引っ張られ、立ち上がる。トシはわたしの手を取ったまま、来たばかりであろう道程を引き返し歩き出した。

「……ちょっと、トシ」
「……」

強く引かれた手首が、思いのほか痛い。
これ以上痛みが増さないようにと、前を歩くトシに必死で着いて行く。
後ろを振り返れば、さっきまでいた座敷がどんどん離れていき、あの場に残された叔母や見合い相手の男性はこの状況をどう思っているのだろうなんて考えが頭の中に過る。

「トシ!ちょっと待ってってば……!」
「……」

料亭を出てからもわたしの手を握る力を緩めることなく、どんどん進んでいくその背中に声を掛ける。
トシが何処へ向かおうとしているのか、何故見合い会場へ現れたのかさっぱりわからないまま、結局彼の後を追う事しか出来ない。
「ねえ、どうして?」

前を行くトシか少しだけ歩く速度を落とした頃には、さっきまで見合いをしていた料亭は遥か彼方で。
これじゃあ何の為に着飾ったんだかと、トシに引かれた手の袂で揺れる袖の鮮やかな柄を見ながら思った。

「わたし、お見合い真っ最中だったんだけど」
「……知ってる。総悟の奴に聞いた」

見合いをしていたという事実をトシに伝えることに抵抗を覚えながら口にしたというのに、彼から返ってきた返答に肩の力が抜ける。
その反面、疑問は膨らむばかりだ。

「わたしがお見合いしてるって、知ってたんだ……」
「ああ」
「なら、なんで……?」

こちらを振り向きもせず、ただ前だけを見つめるトシの背中に問い掛ける。

ねえ、トシ。わたしはね、トシが好きだった。だけどあなたには想う人がいて、わたしの入り込む隙間なんてなかった。ミツバが亡くなった今も、彼女を想うトシに、わたしはどうしたって近付くことが出来なくて。
だからもう終わりにしようって思ったの。

ミツバが死んでしまって悲しむトシの傍に居るだけで充分だと思った。だけどそんなの綺麗事で、いつかわたしを見てくれるんじゃないかって、そんな汚いこと考えて。
トシのミツバに対する想いは簡単に消えたりしないことを、よく知っていたのもわたし自身だったのに。

醜悪な自分に嫌気が差して、叶う望みのないこの想いを維持し続けることにも疲れてしまった。
わたしはわたしの、わたしだけの幸せを掴むべきだと、そう思った。
だけどトシはそんなわたしの前に現れて、幸せのきっかけを掴もうと伸ばした手を、あなたのその大きくて熱い手で包んでいる。

ねえ、トシ。わたしはその手に期待をしてもいいの?その手がわたしを幸せへと導いてくれるのだと、そう思っていいの?

「トシ……」

ねえ、言って。わたしを幸せにすると、そう言って。
願うように、ぎゅっと、トシの手を握り返した。
だけど彼の手は、まるで掬いきれない水のように、わたしの手からするりと抜けていく。

「……悪い」

トシがそう呟いたと同時に、煙草の匂いが鼻腔をついた。
あまりの苦さに、目頭が熱くなる。

「……なんで謝るの」

わたしの欲しい言葉はそんなんじゃないのに。どうして言ってくれないの。

「俺は……やっぱり――」

トシはそこで言葉を切った。
わたしからは背中しか見えないけれど、その表情は、きっと苦しそうに歪んでいるのだろう。

トシは、ミツバの幸せを心から願って、自らがその手で幸せにすることを諦めた。本当はだれよりもその手で幸せにしたいはずだったのに。
それだけミツバを強く想っていたトシが、彼自身の手でわたしを幸せにしてくれるわけもなくて。
けれど突き放してもくれないその優しさは、わたしを宙ぶらりんにするだけだ。

そんな彼を責める資格なんて、わたしにはない。

これはきっと、わたしへの罰だ。
トシとミツバ、ふたりが一緒に幸せになることを心から願えなかったわたしへの、罰。
親友の幸せを願えなかった邪なわたしに、幸せになる資格なんてないのかもしれない。


「……わたしたち、もう会わない方がいいかもね」

呟くようにそう口にすれば、トシがわたしをふり返る。
今この瞬間、トシがどんな表情をしているのか。溢れる涙で視界がぼやけたわたしには、わからない。

「……さよなら、トシ」