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窓を開けると海が見える。それがこのアパートへ入居する決め手になった。 荷物はさっき届いたばかりでダンボールがあちこちに山積みされているけれど、一人暮の少ない荷物だ。スムーズに片付けられそうな気がする。 開け放った窓から入り込む風。4月の――暖かくなり始めたこの季節の風が気持ちいい。 今日から新しい部屋で、新しい暮らしを一人、のんびり楽しむのだ。 ガチャガチャ 背中の方からドアの鍵を開ける音が聞こえて、気を抜ききって外を眺めていたわたしは、その音に思わずビクリとしてしまった。 「一人暮らしじゃなかったんだった……」 誰に言うでもなく呟いて、身体ごと玄関の方へ向ける。 部屋に入ってきたのは背の高い男の子。髪の毛をこれでもかってぐらいに立てている。 「小澤華梨さん?」 男の子は、わたしを見るなり微笑みながら問いかける。 「えぇ。……キミが仙道彰くん?」 彼がわたしに聞いたように、わたしも彼が誰であるかを確認する。すると彼はニコリと愛想のいい笑顔を作った。 『yes』ってことね。 よくよく考えれば、家の鍵を持ってる相手に誰であるか確認をするなんておかしな話だけど、わたしと彼――仙道彰とは『初めまして』なのだ。しかたのないことだと思う。 そもそもの始まりはわたしの転勤が決まったことからだ。 『今度神奈川に転勤することになったの』 それまでの仕事先である東京から神奈川への異動が決まり、通勤に不便だから引っ越すということを、実家の母親に電話で連絡した時のことだった。 『そう。華梨、あなたもう住む所見つけたの?』 『うん。陵南の近く』 『陵南って……陵南高校?』 『ええ。知らない土地じゃないし、職場までそんな遠くないし』 二部屋あってね、結構いい部屋なの。そう言うと母は、よかったわね、と返した。 『陵南ねぇ。確かにあそこはいいところよね』 電話の向こうで、母は心底懐かしそうに言った。 わたし達一家は昔神奈川に住んでいて、わたしは陵南高校に通っていた。わたしの高校卒業と同時に父親の仕事の都合で神奈川を離れたのだ。 わたしも卒業以来神奈川に足を運ぶことが無かったから、部屋探しで訪れた時にはすごく懐かしくて、学校帰りに寄り道した喫茶店や本屋なんかを覗いてみたりした。 『そうそう、陵南ていえば……』 ふと思い出したように呟く母に『何?』と返した。 『母さんの友達の息子さんもね、陵南に行ってるんですって』 『へぇ』 『ほら、仙道さん。この前あんたが家に帰ってきたときお会いしたでしょ?』 『仙道さん……お母さんと仲良い人でしょ?』 『そうそう。あぁ、それでね、仙道さんの息子さん、一人で暮らしてるそうなのよ』 『ふーん。高校生なのにしっかりしてるんだ』 『でも親御さんは心配してるに決まってるわ……』 そして母は少し黙った後で、いきなり言い出したのだ。 『あんた、引越し先が陵南に近いなら仙道さんとこの息子さん見てあげなさいよ』 電話だったけれど、この時母の顔は生き生きとしていたであろうことが容易に想像できた。 母はそれからすぐお友達の仙道さんに連絡したらしい。娘が今度転勤で陵南高の近くに住む、と。 始めの頃こそは「何かあれば助けになる」くらいの話だったのに、世話焼きな親と心配性な親はいつの間にか、「二人一緒に住まわせてしまえば安心」という結論に達してしまった。 もちろんわたしは反対した。二部屋あるアパートを借りたのは、見ず知らずの少年の子守をするためなんかじゃない。けれど母は「仙道さんも『それなら安心だわ』って言ってたし、あなたも一人暮らしなんて淋しいでしょう?」なんて言う始末。 別に一人暮らしが初めてなわけじゃない。もう慣れっこなのに。 けれどもわたしは結局、見知らぬ少年を自分のアパートに招きいれることを許可してしまった。 「仙道さんがね、『家賃と光熱費はちゃんと半分お出ししますから』って」 母のこの言葉が魅力的だったのだ。 もともと全額出すつもりでいたものが半額になる。この魅力に逆らえない自分を情けなく感じつつも、浮いたお金で何が買えるか……という思考のほうが勝っていたのだ。 *** 「荷物どっちに置けばいいですか?」 お互いが何者であるのか確認して、見知らぬ少年改め仙道彰は、並んだ二枚のドアを指さしながら言った。 「あぁ、そっち。向かって右の部屋」 仲良くならんだ二枚のドアの先にあるのは、同じ広さの部屋。わたしの部屋にはすでに家具が整えてあるけど――。 「きみ……荷物それだけ?」 仙道彰が持っているのはスポーツバッグ一個。割と大きめだけど、背の高い彼が持っているせいか、なんだか小さく見える。 「前の部屋の荷物は今日の午後届きますから」 そう言って彼は自室に荷物を置き、すぐにリビングに戻ってきた。 「彰くん陵南高なんでしょ?今何年生?」 キッチンやトイレを見て周っている大きな少年に声を掛ける。 「今年から二年です」 微笑みながらそう答えた彼。下がり気味な目じりが人当たりよさそうに感じさせる。 「なんだ。じゃあ一年間一人でやってるんだ」 それなら別に心配なんてする必要ないじゃない。一年間一人で暮らして、こんな立派に、大きく育ってる。 「こんなこと彰くんに言うのなんだけどさ、実は『子守かー』とか思ってたんだよね」 本人にこんなこと言うのは大人としてどうかと思ったけど、当の仙道彰は相変わらず微笑みながら聞いている。 「だけど安心したよ。今まで一人でやってたなら、たいてい自分で出来るもんね」 「まぁ」と、仙道彰は相槌を打った。 「わたし、別に口うるさくしたり、干渉したりするつもりないから。今までどうり気楽にやってよ。わたしもそうするし。そのほうがお互い楽でしょ?」 「そうですね」 ここで仙道彰は、一番良い笑顔を見せた。 彼からみれば、今まで一人でやってきたのに見知らぬ大人に生活を監視されるのなんてうざったくて堪らないだろうし、わたしだってそんな面倒臭いことは勘弁してもらいたい。 仙道彰はその辺がちゃんと理解できる子のようだ。 ルームメイトとしては申し分ない。 「じゃあ、握手」 そう言って、わたしは手を差し出した。 「これからよろしくってことで」 彼は目じりを下げて笑いながら「よろしく」と言ってわたしの手を握った。彼の手は大きい。 「俺も安心しました」 「なにが?」 「親が『面倒みてもらえ』なんて言うんで、どんな口煩い人かと思ってたから」 口端を持ち上げながら言ったその言葉には嫌味な響きなんか全くなくて、むしろ好感が持てた。 「しかも華梨さん美人だし」 わたしの顔を見ながら言った彼の言葉に、わたしはわざと怒ったような顔を作って「大人をからかうもんじゃないわよ」と言った。 だけど、口元はほころんでいたと思う。 |