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陵南バスケ部、インターハイ予選の初戦。あの試合を観戦した後、彰からの「待ってて」を実行に移さなかったのは、勿論わたしの気遣いだ。 あの日のわたし……というか、彰はツイてた。わたしが彰の彼女と並んで試合を観戦するという、なんとも奇妙な偶然。おまけに隣の席に座るその娘が‘彼女’だと判明するなんて、かなり幸運だったと思う。 だって、もしも‘彼女’の存在に気付かずに彰を待ってたりしたら、彰はわたしと帰宅してしまい、彼女は置き去りになっていた。 せっかく彼氏を応援しに来たのに、置き去りにされるなんて寂しすぎる。彰だって、彼女を置き去りにしてしまう、そんな男になりそうなところを、わたしに救われたんじゃないの? それなのに彰ときたら、「華梨と一緒に帰りたかった」だなんて言うし。 わかってる。彼はああいう子なんだ。冗談で軽口を叩けてしまうような。 そんな冗談を言われるって事は、わたしは少なからず彰に気に入られてるんだろう。 だけど、彼女がいるのにそんな冗談を言ってちゃ駄目よ。 「彼女の事を想え」だなんて口だしするつもりはないし、そんな立場でもない。彰は彰なりに彼女を想ってるんだろうし。 彰がわたしと同じ家で生活していることを彼女に伝えているかどうかは知らない。彼女が知っていようがいまいが、わたしに対するその手の冗談は言っちゃいけないんだ。彼女から見れば、そんなの面白くないに決まってる。 だからというわけじゃないけど、少し彰と距離を置こうと思った。 距離を置く……という言い方は語弊があるかもしれないけど、とにかくわたしは慎重になった。 同じ家に暮らすんだから、上手くやるに越したことはない。だけど必要以上に距離を縮める事はないんだ。 最初からそのつもりだったじゃないか。 見ず知らずの者同士、お互いに干渉しない。わたしはあの子に関わるつもりなんて皆無だったんだ。それなのに、最近気が付けば彰と一緒に釣りに行ったり、バスケの試合まで観に行っちゃったりして。 必要以上に距離を縮めない。それを再確認してからというもの、彰が釣りに行くのを見ても一緒に行ったりしなかったし、インターハイ予選決勝の初戦を観に来るかと聞かれても、「気が向いたらね」と答えた。 彰には彰の、わたしにはわたしの生活の流れやリズムがある。一緒に住んでるからってどちらかが相手のそれに入り込んだり、乗っかったりしなくていいんだ。寧ろわたしは、そうすることを望んでいたはず。 けれどわたしは自分で思っているよりも高校バスケットに夢中なようで、結局試合を観に行った。 でも彰には言わなかった。彰も、わたしに何も聞かなかった。 試合会場では椅子に座らず、立ち観をしていた。 決勝にも関わらず、またも陵南は快勝だった。 この部屋の朝、テレビは毎日同じニュース番組を写している。 スポーツニュースのコーナーが始まる頃に朝食を摂り、お天気コーナーが終わったら家を出る。わたしの中で出来上がったリズム。この部屋に住んで3ヵ月目、リズムはしっかり仕上がってる。 彰にリズムなんてあるのかないのか、わたしにはイマイチよくわからない。 いつも違う時間に起きて来て、家を出る時間もマチマチ。きっと学校に遅刻してる日もあっただろう。 そんな彼を放置なんてできるはずもなく、わたしの時間に余裕があれば、起きるように声を掛けていた。 あぁ、でも今朝はどうしよう。 勿論起こしたほうがいいに決まってるけど、あんまり世話を焼くのもなぁ……。 起こすべきか起こさずに放置しておくべきか。そんな小さなことで迷っている間に、家を出る時間を合図するお天気コーナーが始まってしまった。 『今日は夕方から雨が降りそうなので、お出かけの方は傘を持っていって下さいね』 アイドルだと言われれば、あぁそうなのかと納得できるくらいに可愛らしいお天気お姉さんが、テレビの向こう側で言った。 もう6月なのだ。梅雨入りとは言えそうもないけど、最近雨の降る日が増えてきた気がする。 お天気コーナーが終わってしまえば、わたしの出勤時間。今家を出ないと仕事に遅刻してしまう。 玄関で靴を履き、ドアノブに手を掛けたところで「おはよう」と、後ろから声がした。 「あれ、華梨もう仕事行くの?」 「『もう』はわたしのセリフでしょ。『もう』こんな時間よ彰。学校遅刻なんじゃない?」 そう言うと彰は壁掛け時計を見て「ほんとだ」と呟いた。 「起こしてくれればいいのに」 「自分で起きれるようにしたら?」 思いのほか突き放すような、冷たい口調になってしまった気がした。 「今日夕方雨らしいから、傘持っていきなよ」 それだけ言い残し、わたしは家を出た。 *** インターハイ予選の日――つまり華梨とサエコが並んで試合を見ていた日以来、華梨は、俺に対してどことなくそっけない態度だった。 どこがと聞かれれば、べつにこれといった何かがあるわけじゃない。ほんとに『なんとなく』だ。 たとえば、彼女が食事中に俺に話しかける事がなくなったり、自室に入る時間が長くなったり。武里戦、華梨に「観に来る?」と聞いても彼女の答えは「行けたらね」と、曖昧だった。 そういえば、今朝も。 今まで彼女は俺の登校時間にギリギリ間に合うように起こしていた。起こされた時は「寝かせてくれてればいいのに」と思っていたけど、起こされなければ起こされないで「どうして起こさないんだろう」と思ってしまう。 あの日、俺は彼女の機嫌を損ねるような事をしただろうか。 いや、思い当たることは特にない。サエコと隣同士で試合を見た事で機嫌を悪くするとは思えないしな。 それに華梨は怒っているような態度とは違うみたいだし。 ダメだ。考えたってさっぱりわかんねーや。 ふと、華梨が出て行ったばかりの玄関に視線を落とす。そこに置かれた傘立てには、傘が2本刺さっている。 一本は俺の。もう一本、淡いブルーの傘。これは彼女の傘だ。 「雨が降る」と忠告した彼女自身が傘を忘れていく。 やっぱり華梨はしっかりしてそうでどこか抜けていると思う。 「雨降るのか……」 窓の外には朝日が眩しい位に照っているのに。 1人になった部屋で小さく呟き、学校に行く支度をした。もちろん、傘は忘れずに。 華梨今日傘忘れてただろ? 雨降ったら駅まで迎えにいこーか? 家から学校までの道程を、どうせ遅刻だろうと諦めて、のんびり歩きながら打ったメール。 「彰ー!」 ちょうど校門の前まで来たところで、後ろから声を掛けらた。 声のした方に振り向くと、サエコが小走りで俺を追いかけてきていた。 「また遅刻?」 「うん。サエコこそ」 「あたしは病院行って遅れたのー」 わざとムスッとした顔をつくり、サエコは言った。 追いついた彼女と一緒に昇降口に向かう。 「具合悪いの?」 「ううん、ちょっと風邪気味なだけだから」 そう言いながら鼻を啜る彼女。 「彰、なんで傘持ってるの?」 スッキリと晴れた空の下、傘を持つ俺を不思議そうに見るサエコ。 「今日は夕方雨が降るんだよ」 「そうなの?天気予報見てくればよかったー」 下駄箱から上履きを取り出しながらサエコは言った。 「あ、じゃあ雨降ったら帰り家まで送ってよ。今日職員会議あるから部活ないでしょ?」 靴を履き変えたサエコは、微笑みながら言う。 「わる――」 「悪い」と、そう彼女に断ろうと口を開いた瞬間、ポケットの中でケータイが震えた。 いいよ別に。 平気だから。 ほんの数秒で読み取れる、短い内容のメッセージは華梨からだ。 何が平気なんだ。というか、なんかメールの内容まで素っ気なくないか? 「彰聞いてるのー?」 ケータイの画面に集中していた俺を、サエコの声が引き戻す。 「誰から?」 「誰でしょう」 「もう」と、またも膨れっ面をつくるサエコを尻目にケータイを閉じ、ポケットに突っ込む。 「で、帰り、送ってくれるの?」 首を傾げて、上目使いで俺を見るサエコ。彼女のこういう仕草は可愛いと思う。 女って得だよな。 「いいよ、送る」 俺がそう言うと、ニッコリ笑って「ありがと」と言い、自分の教室へ向かった。 さっきのメールも華梨のよそよそしさの延長なんだろうか。 なんにせよ、俺に対するよそよそしさの原因なんて解らないんだ。 どうしようもないだろ。 ふー、と息を吐いて俺も自分の教室へ向かった。 最後の授業は英語だった。発音がいいんだか悪いんだかよくわからない先生が、教科書の内容を読み上げている。 先生の声を耳に入れながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。グラウンドではどっかのクラスが体育の授業をしている。どうやらマラソンの練習らしく、生徒達はただひたすらに校庭を廻っていた。 ふと空に目を移すと、午前中あんなに晴れていた空は、どんよりと雲っている。 ほんとに雨が降りそうだなぁ……。そう思った時、窓に小さな水滴が付いた。 水滴はどんどん増えて、グラウンドにいた生徒達は雨に気付いて校舎の中に引っ込んでいった。 『傘持って行きなよ』 朝の華梨の言葉が頭に浮かぶ。 華梨に感謝だ。彼女が言ってくれなきゃ、帰り道は雨に打たれながら帰る羽目になってたもんな。 授業終了のチャイムが鳴り響き、先生への挨拶を済ませると、クラスの中は喋り声が充満する。 くぁ……と、大きな欠伸を1つして、鞄を掴んで席を立った。 「雨酷くなってきたよ」 昇降口に先に着いていたサエコが、俺を見付けるなりそう言った。 外に目を遣ると、大きな雨粒がザアザア音を立てて降っていた。傘を持っていない生徒達が駆け足で学校を飛び出していく。 校門の向こう側を見ると、鞄を頭に載せて雨よけしながら走っている女の人がいた。 一瞬華梨かと思って目を凝らしたけど、全くの別人だった。 ……そういえば華梨の帰宅ももうそろそろだ。 傘を忘れた彼女もああやって走って帰ってくるつもりなんだろうか。 ずぶ濡れになりながら……。 「サエコー、一緒に帰るー?」 俺たちの後ろから声を掛けたのは、サエコの友達。 「あ、仙道君と帰るのか。じゃあ、あたし一人で帰るわ」 また明日ねとサエコに声を掛けたその子の手には、傘がある。 「……サエコ」 「なに?」 「悪い、俺今日用事あるんだった」 「え?」と声を上げるサエコを置き去りにして、学校を出た。 サエコには俺じゃなくても友達がいる。だけど華梨は一人だ。 華梨の、俺に対するそっけない態度。もしかしたら俺、彼女に嫌われてるのかもしんないな。 それでもずぶ濡れの華梨を家で待つより、「なんで来たの?」と嫌な顔されながらでも迎えに行きたい。 駅までの道のりを、雨が降り続ける中、走っていた。 *** 会社を出ると、空がどんより曇っていた。今朝彰に傘を持っていけと言ったくせに、自分が傘を忘れるなんてバカみたい。 でも今はまだ雨が降ってるわけじゃない。家に帰るまでに降らなければそれでいいじゃない。 こうなったら雨が降り出す前に家に帰ってやる。コンビニで傘を買ったりしないんだから。 そう思っていたのに、電車に乗り、窓の外を見つめていたら、窓に雨粒が付き始めた。小雨はだんだん本降りになり、強くなる雨脚を、電車に揺られながら見つめていた。 『迎えにいこーか?』 出勤途中に着信した、彰からのメール。メールを見た瞬間、いつもの様にニコリと笑うあの子の顔が浮かんだ。 迎えに行くと、そう言ってくれたのは正直嬉しかった。それでもわたしは『来なくていい』と返した。 来てほしくなかった。 わたしたちは同じ家で暮らし、生活をする。彰に困った事があれば助けてあげなきゃいけない立場だと思ってる。 でも、距離が近づきすぎてしまうのは駄目なのよ。 だってわたしと彰は家族じゃない。わたし達、他人同士なんだもの。 他人の二人が必要以上に距離を近づけたって、いいことなんて何もないよ、きっと。 揺れていた電車がゆっくり速度を落として停車する。車内アナウンスが下車駅を告げて、我に返って慌てて飛び出した。 雨のせいか、ホームはひんやりした空気に包まれている。雨脚はさらに強くなっていて、向かいのホームで電車を待っている人のほとんどが傘を持っていた。 あぁ……どうしよう。駅のすぐ傍にコンビニはない。むしろ家の近くにあるのだ。 タクシーに乗るような距離でもないし、お金だって勿体無い。 仕方ない。ずぶ濡れになって帰ってやるか。 家に着いた時に彰が居ない事を願った。 迎えを断ってまでずぶ濡れで帰宅するなんて、なんだか癪だ。だから迎えに行くって言ったのに、だなんて思われたくない。 帰ったら速攻でシャワーを被ろう。そう思いながら改札を抜ける。 駅前には家族のお迎えらしき車が数台ならんで、駅から出てきた高校生やサラリーマン達を車内へ迎え入れている。 もしも東京だったなら、わたしもタツヤに迎えにきてもらえてたかもしれないな……。 ボンヤリそんなことを考えていたら、「小澤」と、声を掛けられた。 呼ばれた方に視線を向けると、彰が立っていて、わたしを見てニッコリ笑った。 「え……彰……」 「そんな驚いた顔しなくても」 彰は改札出口の柱に体を預け、わたしの顔を見るなり、ふっ、と笑を漏らした。 「……なんでいるの?」 「なんでって……華梨を迎えに来たに決まってるって」 そう言って、彰は手に持った傘をわたしに見せる。 「わたし、『来なくていい』って言ったのに……」 「うん」 「……」 「……」 来てくれたのは嬉しい。だけど、なんで来たの? わたしにはわたしの、彰には彰の、それぞれ別の時間があって、どちらかが相手の時間や生活に合わせる必要はないんだよ? 「華梨さ」 「……うん?」 「もしかして俺の事嫌い?」 『自分のこと嫌いか』なんて、普通だったらなかなか聞きずらい事聞くな……。あぁ、そうじゃなくて。 「どうしてそう思うの?」 「いや、なんか最近華梨の態度が微妙だなー、と思ってさ」 最近になって、彰と少し距離を置こうと思った。彼に対する態度は自分では変化しているつもりなんてなかったけれど、彰にはそう見えてはいなかったのだ。 ‘嫌われてる’なんて、そんな風に思わせてたなんて、ちっとも気付かなかった。 「……嫌いじゃないわよ」 「ホントに?」 「本当に。……わたしが嘘つけると思う?」 「思わない。華梨嘘つくの下手そうだもんね」 「どういう意味よ、それ」 キッ、と睨んでやると、彰は余裕たっぷりに笑った。 わたしも彼の笑いにつられて、クスリと笑ってしまった。 「……帰ろっか」 「そうだね」 そう言うと、彰は手に持った傘をぱっと広げた。隣に人ひとり入れるスペースを空けて。 「迎えに来てくれるならわたしの傘も持ってきてくれればいいのに」 「いや、学校から直接来たからさ。……ていうか華梨が傘忘れなけりゃよかったんじゃないの?」 「分かってるわよ……」 「素直だね」 「わたしはいつも素直ですから」 「じゃあ自分がちょっと抜けてるって認めれば?」 「抜けてないってば」 1つの傘に2人で入り、ゆっくり歩く。なるべくわたしが濡れないようにと、彰が傘を傾けてくれていた。 「ねぇ、ホントにわたしが彰のこと嫌ってるって思ったの?」 「思ったよ。『俺なんか悪い事したかなー』とかさ」 そうだったんだ。なんか彰に悪い事しちゃったな。 「でもさ、凄いね彰」 「何が?」 「わたしだったら、嫌われてそうな相手に自分から近づいたり出来ないと思う」 「そうなの?」 「うん」 だからちょっとだけ彰を尊敬するかも。 言葉にはしなかった。自分の胸の中にしまっておこう。 「でもそれってさ」 「うん?」 「相手にもよるんじゃない?」 そう言った彰の顔は、いつものように口端を持ち上げていた。 『相手にもよる』ってどういうこと? ‘嫌われている’と思っても、それでも近寄っていくかはどうかは『その相手による』っていうこと? 「……彰ってさ」 「うん?」 「わたしの事好きだよね」と、言おうとして、止めた。 もちろん恋だのなんだの「好き」ではない。だからこそ彰なら「好きだよ」と、いつもの笑顔で答えるだろうと思った。そんなの、誘導尋問もいいとこだ。 「彰って、なんか犬みたいだよね」 「……犬」 「そう。なんか懐っこい所とか」 わたしがそう言うと、彰は「犬かぁ……」と、一人ぶつぶつ呟いていた。 「でも俺さ」 「ん?」 「誰にでも懐くわけじゃないからね」 そう言った彰。わたしの目を見て笑ってる。 この子がわたしのどこを気に入ってここまで懐いてんのかさっぱり解らない。 「光栄だわ、そこまで彰に思って頂けて」 わざとらしく丁寧な口調でそう言うと、彰は微笑んで「どういたしまして」と返した。 敵わないなぁ。 自分よりも年下の、しかも高校生相手にそう思うのも癪だけど。わたしはこの子に敵いそうにない。 距離をおこうとしたって、へらっと笑って近づいてくる。 彰なら、たとえわたしが突き放す様に冷たくしたって、また近づいて来てくれそうな気がした。 小さな傘の下、お互いの肩が触れ合うような距離までに。 |