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「彰!スゴイもの見つけちゃった!」 仕事を終え帰宅したわたしはドアを開くなり、先に帰っていた彰に向かって叫んだ。リビングでのんびりくつろいでいたらしい彰。わたしの勢いに驚いたのか、目を真ん丸くしてこちらを見る。 ‘彰と距離をおこう大作戦’は失敗に終わり、戦意を失ったわたしは、またいつも通りに彰と接するようになった。 あの子の人懐っこさはきっと才能だ。わたしにはそれが羨ましかった。 「どうしたの華梨、いきなり」 「凄いんだから!」 興奮が覚めやらぬまま、鞄の中に入れたそれを取り出す。 紙の袋をビリビリ破いて、「ジャーン」なんて効果音まで付けて彰に見せた。 「あ、俺だ」 わたしが彰に見せたのは、バスケットボール雑誌だ。 しかしただのバスケ雑誌じゃない。 表紙に『仙道彰』という文字と、彼がボールをゴールに入れる瞬間の写真が載っているのだ。 「……なんか反応薄い」 「そう言われてもなぁ」 わたしがこの雑誌を本屋で見つけた時、思わず「彰だ!」と、大きな声で叫んでしまった。 自分のルームメイトが雑誌に載る。そのことに妙に興奮してソワソワしたり。なのに表紙に載っている本人の反応といえば、なんともあっさりしたものだった。 「すごいねぇ。『天才プレーヤー』だって!」 彰について書かれた記事の一部を、嬉々として読み上げる。しかし当の本人は、「へー」と、なんとも気の抜けた相槌だった。 なんか、わたし一人で盛り上がってる? 「本屋で見つけてさ、この雑誌3冊も買っちゃった」 「そんなに?」 「そうよ。1冊は彰ので、もう1冊はわたしの」 袋からもう1冊新たに取り出し、彰に渡した。彰はそれをパラパラとめくり、すぐに綴じてテーブルの上に置く。 「最後の1冊は?」 本屋の紙袋を覗きながら彰は言った。 「……予備?」 「なんの予備?」 「わかんないけど……なんか嬉しいじゃない。知り合いが雑誌に載るなんて。……あ、実家に送ったら?ご両親が喜ぶんじゃない?」 「考えとくよ」 2冊目の雑誌を受け取り、眉尻を下げて笑いながらそう言った。 「なんかつまんない」 「なにが?」 「彰」 「俺?」 「そ。雑誌見たら喜んだり浮かれたりするのかと思ってた」 喜んだり浮かれたりしてるのはわたしだけで、雑誌の中に大きな写真を掲載され、『天才』とまで書かれた彰はいつものマイペースさを崩さない。 「いや、嬉しいよ」 「全っ然嬉しそうは見えないけど」 「雑誌に載った事より、華梨がそれを喜んでくれる事が嬉しいよ、俺」 ニッコリ笑って彰はそう言った。 わたしはなんだか悔しい気分になり、彰の頬を引っ張ってやった。 「あぁ、なんか緊張してきた」 とある休日の朝。朝食もいつもの半分くらいの量しか摂れず、どうにもこうにも落ち着かない気分で、リビングをひたすらうろうろ歩き回っていた。 「華梨が緊張しなくても……」 わたしとは正反対に、かなり落ち着いた様子で朝食をとりながら、彰は言う。 「だって今日の試合に勝ったらインターハイなんでしょ?緊張するじゃない」 そう言って、再びうろうろするわたしの動きを目で追いながら、彰は笑った。 先日行われた試合の相手は海南大附属。中学時代の友達が進学したので、その校名は知っていた。 バスケ部が相当強い学校らしいけど、わたしの見る限り、陵南だって結構強いと思う。 対海南選は仕事があったため観に行けず、試合結果を彰から聞き、上には上がいるものなのだ、と改めて思った。 「ごちそうさまでした」 朝食を終えた彰が言う。 「もう行くの?」 「うん」 立ち上がり、部活の時にはいつも持っていくスポーツバッグを肩に掛ける。わたしも必要最低限の物しか入っていない小ぶりな鞄を手に持った。 先に彰が玄関でスニーカーを履き、続いてわたしも靴を履いた。玄関で靴を履く間、彰はドアを開けたまま待っていてくれた。 会場まで一緒に行く事は、約束していたわけじゃない。 彰は早めに家を出るけれど、わたしは陵南の試合開始に合わせて家を出る。 彰が出た後も落ち着かなくて、きっとウロウロするだろう。そう漏らすと、「じゃあ一緒に行く?」と、問われたので、彰と同じ時間に家を出る事にしたのだ。 「彰は緊張しないわけ?」 「うーん……多分」 「なによ、多分て」 会場までの道程を歩きながら、そんな話をした。 今日の試合、勝てばインターハイで、負ければ、夏の終わり。 緊張することこの上ない試合を前にしても、彰はいつも通りだった。 観戦する側のわたしがこんなにも緊張しまくっているのに、戦う本人は何と言うか……図太い神経の持ち主だわ。 「大丈夫だよ」 いつまでも緊張しっぱなしのわたしを見兼ねてか、彰が言った。 「華梨が観ててくれるなら勝つよ、俺たち」 また調子のいい事言っちゃって、と思ったけれど、彰が『勝つ』と、言うなら本当に勝てるような気がした。 「ね、彰気付いてた?」 「何を?」 「陵南が負けた試合、わたしが観に行ってない日なの」 「……?」 「逆に勝った試合は全部観てるのよ、わたし」 「ああ、なるほど」 この事に気付いたのはつい最近だった。わたしは数回陵南の試合を観に行ったけど、負け試合は一度も観ていないのだ。 「わたしって……陵南にとって勝利の女神?」 ちょっと調子に乗ったことを言ってみたりした。 ただのゲン担ぎだけど、勝つためなら担げるものは担ぎたい。その‘ゲン’がわたしってところが、微妙かもしれないけど。 けれど彰は「そうかもね」と、微笑んで言った。 「それなら華梨も広島だね」 「なに、広島って?」 「インターハイは広島が会場なんだ。勝利の女神なら来てもわらわないとな」 「来てくれる?」と、わたしの顔を覗き込みながら言った彰。 「しょうがないわねー。観に行ってあげるわよ」 胸を張り、ちょっと偉そうに言うと、「ありがとう」と、彰は微笑んだ。 広島に行くなんて、現実的に考えれば無理な話なのだけれど、この時ばかりは本気だった。 休暇だって取るし、貯金を下ろしたっていい。 なにがなんでも広島に行くから。だから、今日の試合、頑張って。 試合会場の正面入口に着いたところで、彰と別れた。彰は他の部員との集合場所へ、わたしは観客席に向かう。 予選決勝に進出している他の2校の試合が始まる寸前で、どこもかしこも人でいっぱいだった。 そういえば、今日彰の彼女は観に来るんだろうか。凄く大事な試合だし、もしかしたら、最後になるかもしれないんだし……。 あぁ、駄目駄目。最後かもしれないなんて、考えない様にしなきゃ。彰が『勝つ』って、そう言ったんだから、勝つに決まってる。 そんなことをぐるぐる考えていて、海南大附属と武里の試合は殆ど観ていなかった。 前の試合が終了し、インターハイ行きを決めたのは海南大附属だった。 次の試合を行う2校の選手達が出て来る。 あぁ、そっか。今日の試合相手は前に練習試合をした子達なんだ。 なら勝てるんじゃないの?前の試合では彰達陵南が勝ってるんだもの。 そんな事を考えていると、場内にお上品な雰囲気を漂わせる女性の声でアナウンスが流れた。 アナウンスによると、どうやらこれから選手紹介をするらしい。 選手紹介は陵南から始まり、チームで1番大きな子の名前が呼ばれた。立ち上がった4番の子。チーム内で1番小さな番号だから、キャプテンなんだろうか。それにしても、あの子はわたしよりも年上に見える。 2人目、3人目と名前を呼ばれ、次々とコートに入って行く選手たち。4人目の名前がアナウンスされると、会場内の歓声が一層大きくなった。 名前を呼ばれて立ち上がった彼――仙道彰は今何を考えてるんだろう。 これだけ多くの人に歓声を送られて、雑誌でも『天才プレーヤー』だなんて言われて。そのくせ恐ろしくマイペースな事を、この会場にいるどれほどの人が知っているんだろう。 そう思うと、なんだか笑えた。 だって、もしもわたしが彼と同じ部屋に住むことなく、ただ彰のファンだったとしたら、普段の彼なんて想像も出来ない。 大きく沸き上がる歓声に、わたしも参加した。出来るだけ大きな声を出したけれど、たくさんの歓声の中からでは彰には届かないだろう。 それでも声を出さずにはいられなかった。 手に汗握るとは本当の事だったんだと、そう実感した。 試合を観ていたわたしの手は、汗で湿っている。気付いたのは試合が終わってからだった。 試合中は夢中で声を上げ、祈る様に手を組んでいた。 相手チームである湘北を追う陵南の選手たちに、彰に、会場中が声を上げる。 けれど、陵南は負けてしまった。 湘北の選手たちは皆嬉しそうに笑っている。 そりゃそうだ。インターハイという、高校生にとってはまたとない場所へ行けるんだもの。 一方で、陵南の子たちはその場で俯き、涙している子もいた。 彼らがどんなにこの試合に勝ちたかったのか、コートから遠く離れたわたしにまで伝わってくる。 コート上の彰は泣いてはいなかった。肩で息をして、どこかを見つめている。 残念な事に、わたしには彰がどこを見つめ、今、何を思っているのか解らなかった。 『何を思ってるの?』 今すぐコートに下りて彰にそう聞いたなら、彰は何か答えてくれるだろうか。 ‘悔しい’とか‘辛い’とか、何か吐き出してくれるんだろうか。それとも、いつもの様に微笑んで、適当にかわすんだろうか。 どちらでも構わない。 わたしからはたった一言。『よく頑張った』って……『凄かった』って伝えたい。 月並みな言葉だけど、それしか思い浮かばない。 慰めじゃない。心からそう思ったから。 試合終了後に表彰式があり、表彰式が終わると観客席に座っていた人々が立ち上がり、会場内の人は疎らになっていく。 出入口が空く頃に立ち上がろうと決め、次々に空いていく席を眺めていた。 彰は彼女と会うんだろうか。ならわたしは家で彼を迎えることになる。 彰が帰って来たら労いの言葉を掛け、ベスト5とやらに選ばれた事を冷やかしつつ、うんと誉めてあげるんだ。 「華梨」 ぼんやりしていると、後ろから声を掛けられた。振り向くと、そこには彰の姿がある。 「あれ……もう解散したの?」 「うん」 そう答え、彰はスポーツバッグを床に置き、わたしの隣に腰を下ろした。 「ここにいていいの?彼女は?」 「今日は来てないから」 「……そう」 それから少しの間、わたしも彰も黙ったままでいた。 今は誰もいないコートを見つめて。 「……勝利の女神説、崩れちゃったな」 先に沈黙を破ったのは彰だった。 「……うん、そうだね」 そういやそんな事言ったな。 所詮わたしだ。ご利益なんてないにきまってる。 「勝ちたかったんだけどなぁ」 そう言った彰をチラリ見遣る。目が合うと、彼は微笑む。 あぁ、やばい。なんか目頭が熱くなってきた。 「え?華梨泣いてる?」 戸惑った表情でわたしの顔を覗きこむ彰。 「……泣いてないわよ……別に」 顔を背け、彰の肩を力任せに押したけれど、彰はびくともしなかった。 「女の人が泣いてる時ってさ、どうすればいいの?」 「だから……わたしは泣いてないってば……」 そうは言ってもわたしの目からは熱いものが溢れてくる。 『勝ちたかった』 彰のこの一言に、すべてが詰まっている気がした。 普段どんなにマイペースだろうが、天才だと言われていようが、勝ちたかったんだ、彰は。 その目に涙が見えなくても、微笑んでいても、悔しかったに決まってる。 「負けたけどさ、冬に選抜があるし、来年もあるから。華梨、観に来てくれる?」 彰の問いに、わたしは声も出さずにただ頷いた。何度も何度も。 そんなわたしを見て、ふっ、と笑いを漏らし、彰はわたしの頭を撫でた。 「華梨、鼻垂れてる」 「えっ?!」 「ごめん、うそ」 鼻を押さえる慌てぶりが可笑しかったのか、彰は喉を鳴らして笑った。 わたしは彰を睨んだ。涙で視界がぼやけていた。 本来なら彰が泣く側で、わたしが慰め役だろう。なのにわたしは、暫くの間ぐずぐず泣いていた。 わたしが泣き止むまで、彰は飽きもせずにずっと頭を撫でていた。 小さな子をあやすような、優しい手つきで。 |