長期任務を終え、木ノ葉の里へ向かうその途中、わたしたちは敵の襲撃を受けた。
圧倒的に不利な状況で、里へ求めた救援部隊。
命の危険すら感じるこの状況で、救援部隊の一員として彼がやって来ると予期することなんてできるはずもない。


「間に合って良かったよ」

わたしの背中を襲おうと迫っていた敵を倒した彼は、『間に合って良かった』と口にした。
揺れる銀色の髪と互い違いの瞳の色が直ぐ近くにあるその現実を、うまく飲み込むことが出来ない。

こうしてカカシと向かい合って言葉を交わすのは十数年ぶりで、彼に何と声を掛けていいのかわからずに、立ち竦んでしまった。
そんなわたしを現実へと引き戻したのは、カカシの背後で敵の忍を次々倒していく少年の姿だった。
黄金色の髪の少年が何人もいる。それらが動き回る光景はただでさえ目を引く。(皆姿が同じだから、影分身の術だろう)。また別の場所では、桃色の髪の少女が拳で地を割る。見事なチャクラコントールだと思った。
この二人も里からやって来た増援だ。おかげで敵は皆捕らえられている。


「カカシ先生、終わったってばよ!」

黄金色の髪の少年が影分身の術を解き、そう声を上げた。明るく笑う顔は忍らしくないなと思ったけれど、何故かほっとさせられる、そんな笑顔だ。
一方、少年に声を掛けられたカカシは、わたしから視線を外して少年と少女の方へ振り返った。

「よくやったな、二人とも」

カカシの表情は、彼の背中側にいるわたしには見えなかったけれど、声の響きが優しい。
カカシって、こんな声で話すんだっけ。わたしの記憶にあるカカシの声はもっと幼く、ずっと厳しいものだったのに。
そんなことを考えていたらカカシの視線がまたわたしに戻ってきたから、心臓がドキリと音を起てた。

「隊員は全員無事?」

問い掛けられて、慌てて周囲を見回した。
人数は揃っているし、怪我を負っている者は一人もいない。

「・・・隊員に負傷者、無し」

「よし。それじゃ、木ノ葉へ戻ろう」

カカシは左目を額宛てで覆いながら、そう口にした。
その視線はもう、わたしには向いていない。

先発したカカシと、一緒にやって来た二人の少年少女の後に続き、わたしたちの隊も駆け出した。
先を駆ける少年と少女はよく言葉を交わし、カカシも時々何かしら口を挟んでいる。
彼の背中を見ながら里への帰路を駆けている今この瞬間が現実だなんてまだ信じられなくて、ここまでの出来事すべてが夢の中だったのではと思ってしまう。


カカシと最後に言葉を交わしたのは、十数年前。リンが亡くなり、彼女の墓の前で交わしたのが最後の言葉だった。
それからすぐ、わたしは長期任務を受け持てるよう火影様に願い出た。
火影様は理由を問いはしなかった。聞かれても答えることなんて出来なかったのだけれど。

オビトに命を助けられたカカシ。カカシはそれを自分のせいだと責めていた。
カカシが傷付いているとわかっていながら、わたしは彼の傷を労ることより、もうこれ以上カカシによって傷付けられたくないと、それだけを考えてカカシから遠ざかっていた。
いつのまにか大きく開いてしまったカカシとわたしの距離を、なんとかして縮めたいと思っていた。だけど近付こうとするたびに遠く離れていくカカシに、わたしは何度も傷付いたから。
けれどわたしの態度は、カカシから見れば、『好きだったオビトを救ってくれなかった』。そんな責めの態度に映っていただろう。

カカシはわたしに言った。『オビトとリンを守れなくてごめん』、と。

わたしは、自分が傷付くことが怖かった。だから、逃げ出した。
それがカカシにとって、わたしからの更なる責めだった。そう気付いたリンの墓の前で、わたしはただ泣いていた。
自分が逃げたことへの後悔と、後悔してももうどうしようもないという悲しみで、涙を流した。

そしてわたしは、再び逃げ出したんだ。
長く里を離れることでカカシと顔を合わすこともなくなると、任務を盾に逃げ出した。逃げたところで何も変わりはしないことなんて、充分すぎるほどわかっていたのに。
それでも逃げてしまったのは、カカシを傷付けたことへの申し訳無さと、どんな顔をして彼と会えばいいのかわからないという、なんとも馬鹿げた恐怖心があったから。

十数年経った今でも、恐怖心は消えてくれなくて。その証拠に、カカシの姿がすぐ近くにあることに体中が緊張している。
木ノ葉への向かう途中、同じ班の忍に話し掛けられたけれど、何も答えることが出来ないまま、先を行くカカシの背中をただ見詰めていた。


* * * * *


久方ぶりに戻った木ノ葉の里。今回の任務に出発したのは、もう数年前のことになる。

任務から戻り、里へ足を踏入れれば、いつだってホッと安堵した。里に留まることをどれだけ恐れていようとも、ここが生まれた場所であり、わたしにとって唯一の帰るべき場所だからだろう。やはりわたしは、腐っても木ノ葉の忍なのだ。
けれど今回の帰還ばかりは安堵の吐息さえ漏れてこない。
こうしてカカシと共に里への入口である門を潜ることになるなんて、わたしにとっては現実離れした出来事で。
息をするという、そんな些細な動作にまで気を張ってしまう。

共に長期任務をこなした仲間たちは皆里を懐かしみ、戻ってこれたという高揚感からか、任務報告の為に出向いた火影室へ入室する寸前まであれこれと言葉を交わしていた。
里から来たカカシたち救援部隊もそれぞれ何かを話しているなかで、わたし一人だけが沈黙する。



「敵国が雇った忍が追撃とはねぇ・・・。なにより全員無事でよかった。任務ご苦労」

火影室に腰を下ろしていた五代目火影・綱手様へ報告を全て終えると、労いの言葉を掛けられる。
わたしたち長期任務遂行班、そしてカカシたち救援部隊の全員が室内に収って密度の高まった室内は、少し息苦しい。
報告内容を告げながらも、すぐ側にいるカカシの存在を意識していた。お蔭で時折声が裏返ってしまいそうになった。


「長期任務遂行部隊には数日の休暇を与える。以上、解散」

綱手様のこの言葉に、長期任務を終えて疲労困憊していた隊員は全員浮き足立った。わたしはひとり、焦りを覚える。


「綱手様!」

わたしが声を上げると、綱手様は溜め息を吐きながら視線を上げた。まるで、最初からわたしが何かしら声を上げることを予想していたみたいな、そんな表情で。

「他の者はもう戻りな。・・・あぁ、カカシには後で話がある。外で待機しておけ」

綱手様の言葉を合図に皆続々と火影室を辞していく。
最後の一人であるカカシが部屋から出て扉を閉めたことを確認して、綱手様は再び口を開いた。

「随分久しぶりじゃないか、エリ。何年ぶりだい?」

綱手様は、少しだけ表情を和らげてそう言った。

数年前に起こった木ノ葉崩しで三代目が亡くなられ、五代目に綱手様が就任された。
わたしはその時既に任務で遠国に居た。里に起こったこの一大事を知ったのは、木ノ葉からの伝令だった。
こうして火影になられた綱手様と顔を向かい合わせるのは今日が初めてで、お会いしたのも久しぶりだ。
けれどわたしは再会を懐かしむために声を上げた訳じゃない。

「お久しぶりです、綱手様。綱手様の休暇の配慮、有り難いですがわたしには不要です」

即刻、次の長期任務への命令をお願いします。わたしがそう口にすると、綱手様は大きな息をひとつ吐き出した。

エリ・・・お前のことは猿飛先生も心配されていた」

綱手様から出てきた先々代の名前に、違和感を覚えつつも耳を傾ける。

「里にとって、忍にとって任務遂行は勿論大事だろう。けどね、エリ、お前はもう上忍だ」

「・・・・・」

「次の世代へ伝えること・・・これも忍の・・・お前の役目のひとつなんじゃないのかい?」

綱手様の言わんとすることが見えて、わたしの気持ちが深く沈んでいく。
三代目にも何度か言われていた。『下忍担当として、師になってはどうか』、と。
言われるたびに拒み続け、任務へ赴いた。
拒む理由は、いつだって一緒だ。


「・・・下忍を担当する立場であるということは充分理解しているつもりです。・・ですが、わたし自身未熟です。下忍を担当するには不適切だと思っています」

そう言うと、綱手様の表情がいよいよ厳しいものになる。それでも、わたしは譲れない。
どれだけの時間が流れても、わたしは十数年前の、あの時のままだ。
傷付くことが怖くて、逃げ出すことだけを考えて、距離を縮めることも、向かい合うことも出来ない臆病者。それがわたしだ。
そんな忍が、一体何を伝えられるっていうの?


「・・・・下忍担当のことは取り合えず保留にする。けど休暇は命令だよ。次の任務があるまで充分休んどきな」

「・・!綱手様、わたしは・・・!」

「命令だと言っただろう!もう戻れ、あたしは忙しいんだよ」

有無を言わせぬ物言いに、もどかしさを覚えながらも綱手様に背を向ける。


「・・・・エリ

渋々と扉の前まで来たその時、綱手様がわたしに語り掛ける。

「逃げてばかりいたって何も変わりはしないんだよ」

振り返ってみれば、綱手様は労る様な、それでいて辛そうな表情で、わたしを見ていた。

「・・・それも充分理解してます」

苦笑いを浮かべながら言葉を返すと、綱手様はもう何も言わなかった。
わたしが扉を開くと同時に、綱手様が「カカシ、もういいよ」と、部屋の外で待機していたカカシに声を掛ける。

部屋を出ていくわたしと入室するカカシが、扉前ですれ違う。その僅かな一瞬、カカシの匂いや体温が伝わってきて 、心臓が苦しいくらいに締め付けられた。
視線は下げていたから、カカシがどんな表情をしていたのかは見ていない。

カカシの表情を確かめたかったのか、あるいはその姿を見ておきたかったのかは自分でもわからないけれど、わたしは振り返った。
振り返った視線の先にはピタリと閉じられた扉しかなくて、‘あぁ、こんなものか’と、安堵なのか落胆なのか、複雑な感情がやってくる。

こんなに近くに居ても、わたしたちは目も合わさなければ言葉も交わさない。
里から離れることを望んだのは、言葉を交わすことさえも恐れたからなのに、実際そんな状況になってみても、なんてことないのだ。僅かな一瞬、わたしの胸が酷く苦しくなるだけで。

近くにいても、わたしとカカシの間には隔てるものがあるから。

いつの間にか開いてしまった、カカシとわたしの距離。それは、同じ里の中にいるという、恐れてきた状況でも変わらない。
同じ里内に居ようとも、開いた距離はわたしたちを隔てて、表情も姿も声も隠してしまう。
目の前にある、この大きな扉の様に。


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