「吉野屋にいたあの芸妓、お前とどういう関係だ」

土方に呼ばれた沖田は、彼の部屋を訪れるなりそう問われた。
沖田に問いを投げた土方はといえば、文机の上で筆を走らせ、その視線をちらとでも沖田に向けることはない。
これが土方という男だと、古くからの付き合いである沖田は理解していたが、それでも自分の眠りを遮ってまで呼ばれた要件が文を認めることよりも重要性が劣るとあれば、些か気分を害す。

「吉野屋ってこの前僕らが浪士を取り締まった揚屋ですよね?あの座敷には芸妓なんて沢山いたじゃないですか」

沖田は土方の問いへ素直に答える気にはなれず、逆に土方へと問い掛ける。
そこでようやく土方は筆を置き、沖田に向けて視線を投げた。

「菊乃屋の唄月。あの晩吉野屋であの芸妓とお前が話してるのを見たんだよ」

「ああ、唄月ちゃん。・・・で、彼女がどうしたんです?」

土方は沖田の問いに答える代わりに、文机の上に置いた紙を手渡す。先程認めたばかりの文を受け取ると、墨の香りが漂った。
土方から手渡されたその文はには、繊細な文字が並んでいる。
実に簡素な内容の終わりに認められていたのは、筆を走らせた土方ではなく、沖田総司という名であった。


「その文を、唄月に届ける」

「別に構わないと思いますけど、どうして僕の名前で出すんです?」

芸妓遊びがしたいなら、土方さんの名前で出せばいいじゃないですか。そのほうが芸妓も喜ぶと思いますけど。
土方が島原芸妓に持て囃されているのをからかった沖田の台詞。土方は眉間に皺を作り、盛大に溜め息を吐いた。

「島原って場所には色んな輩がいる。幕府に仇なす輩が会合に用いることも多い場所だ。その情報を、この唄月とかいう芸妓に寄越させるよう、総司、お前が説得しろ」

「だから、どうして僕が?姑息な手回しは土方さんの得意技じゃないですか」

あからさまに悪意を込めた笑みを向ける沖田に対し、土方は眉間に皺を寄せ、何か言いたそうに口を開いたが、こらえるようにして真一文字に結ぶ。
鉄面皮を纏うこの男にしては随分わかりやすい顔をするものだと、今にも怒鳴りたい衝動を堪えた土方の表情を見て、沖田は笑いを漏らした。

「・・・女ってのは惚れた男に弱い」

沸き上がる衝動を鎮め、土方は何時もと変わらぬ冷静な口振りでそう言った。沖田は土方のこの言葉で、彼が自分と唄月が恋仲だとはかり違えていることを悟った。
唄月とは恋仲などではないと、そう否定することも出来たが、沖田は「土方さんの好きにしたらいいんじゃないですか」と、微笑みながら返すだけだった。

妙な勘違いを払拭すべく、唄月との恋仲を否定してもよかった。だが、この時沖田の胸中にあったのは、唄月が関わることで、何か面白いことが起きるのではないかという、子供の様な好奇心だった。





唄月

琴の稽古を終え、菊乃屋に戻る道すがら、唄月は背後から自分の名を呼ばれ、足を止めた。
振り向けば、後方からこちらへ向かってくる桜田太夫の姿があった。

「こったいも稽古のお帰りおすか」

後ろからやって来た桜田太夫と並び、唄月は再び足を進めた。

唄月は琴の稽古やったね。琴だけやのうてお茶や踊りの稽古もようやってはるって、おかあさんも誉めてはったわ」

「誉められる様なことやあらしまへん。芸妓なら皆やっとることどす」

「それもそやけど、踊りでも琴でも、あんたほど上手な芸妓は今の島原にはそうそうおらへんよ」

優しく微笑みながら語る桜田の言葉に、唄月は自尊心が擽られる。
普通の少女の様に、素直に喜ぶ術を知らない唄月は顔を少し俯かせ、頬を赤らめることしか出来なかった。

「せやけど唄月、おかあさんもあんたのことはいずれ太夫になると期待もしたはる。そんなおかあさんの気持ち、無下にしたらあきまへんえ」

先程までの優しい微笑みとは一転し、桜田太夫は真剣な表情で唄月を見詰める。
この表情が何を意味しているのか解らぬ唄月は、黙ったまま桜田の次の言葉を待った。

「おかあさんの『禿を付けえ』ゆう言い付けも聞かんと、新選組の屯所に1人で行ったそうやな」

厳しい目をした桜田が、唄月を見詰めた。
桜田にこのような目を向けられたのは、まだ唄月が天神に上がる前。呼ばれた座敷で踊りを間違えたことを咎められた時以来であった。
桜田に厳しく咎を受けたその記憶が、唄月の脳内に蘇る。
唄月は慌てて口を開いた。

「わかっとります。おかあさんがわてのこと心配してくれはったってこと」

「それやったら、どないして1人で行かはったん?新選組の屯所やなんて・・・殺されてたかておかしくあらへん」

数日前、唄月に届けられた文は新選組の沖田総司からで、彼らの屯所に赴くよう認められたものだった。
新選組の屯所へ1人で向かうと言った唄月を、女将は最後まで反対した。そんな女将の反対を押し切り、唄月は単身新選組の屯所を訪れたのだった。


「なんとなしに殺されへん気がしたんどす」

子供じみた言い訳だと、口にした唄月自身が思った。
桜田はそんな唄月に対し、呆れた様に溜め息を吐く。

「まあ、無事やったことが何よりや。新選組やなんて人斬り集団、もう不用意に関わったらあきまへんえ唄月。わてらには考え付かへん非道なことを平気でやってのける人らや」

桜田は美しい顔を苦々しそうに歪めて言った。
桜田のその言葉に、唄月は新選組の屯所を訪れた際の出来事を思い出していた。

確かに、彼らが何を考えているのか、唄月にはわからない。
沖田の名を騙り、新選組の為に不逞な輩の情報を流すよう持ち掛けた土方のやり方も唄月には理解出来なかったし、気に食わなかった。
そして、そのやり取りをただ傍観していただけの沖田も、一体何を思っていたのか。

同時に、唄月は、自分の手を握った沖田の手の温もりを思い出した。
普段刀を握っているであろうその手は、他の武人に比べてみると、武骨さの無いきれいな手をしていた。
あの手で振り下ろす刀は人の命を奪うというのに、唄月が触れた沖田の手は、温かかったのだ。


「・・・人斬りも・・・鬼やのうて人なんやろか」

ひっそりと呟いた唄月の言葉は、隣を歩く桜田には届かなかったようで、彼女から言葉は返って来なかった。


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