沖田と唄月
二人きりになった座敷内に、月明かりが忍び込む。
室内には沈黙が訪れ、唄月は次の言葉を、自分を座敷に呼んだ理由の答えを促す様に沖田に目を向ける。
沖田は目が合うとにこりと微笑んでみせるから、唄月の心臓が大きく跳ねた。


「僕が唄月ちゃんを呼んだのはね、君と話がしたかったからなんだ」

「・・・話・・・どすか?」

「そう」

「・・一体何のお話どす?この前みたいに新選組の為に間者になれ言われても、わてはお断りさせてもらいます」

「わかってるよ。唄月ちゃんが僕らには協力しないってことくらい。それに僕は土方さんの遣いなんてしないし」

「それやったらなんのお話しに来はりましたん?」

唄月の問いに、沖田自身答えを探しているかの様な間をとって、やがて口を開いた。

「・・・そうだね・・僕は多分君のことが知りたくてここに来たんだと思う」

微笑みながら沖田は言う。
唄月は予想外の沖田の答えに戸惑っていた。

「・・・わてのことが知りたいて・・・?」

「うん。君のこと、話してほしいな」

沖田の翡翠色の瞳が揃って唄月を見詰める。
その瞳の中には策略も計算もなく、純粋な色が浮かんでいた。
ただ、唄月のことが知りたいと、そう思っているだけなのだとその瞳が訴える。
唄月はそんな沖田の真っ直ぐな目と視線を合わせていると気恥ずかしくなり、俯いた。

「・・・せやけど・・・わてのことなんて何をお話したらよろしおすか?そないなこと言われたんは初めてやから、わからしまへん」

座敷に揚がれば、客に酒を注ぎ、歌や踊りを披露する。それが座敷での常である。勿論客と芸妓で言葉を交わすことも多いし、それを求められることも少なくない。しかしそれはあくまでも男たちの話す中身への同意や意見を求められるもので、自分自身のことを話して欲しいなどと言われたのは、初めてのことであった。
急に自分のことを話せと求められ、戸惑う唄月を見ていた沖田は、「ならこうしようよ」と、声を掛ける。

「僕が唄月ちゃんのことを聞く。君はそれに答えるだけ。どう?これならできそうじゃない?」

「へえ・・・」

唄月が戸惑いながらもそう答えると、沖田は満足そうに笑ってみせた。

「そうだな・・・じゃあ、君の生まれはどこ?」

「・・・覚えとりまへん。菊乃屋に来る前のことは記憶にあらへんのどす」

「そうなんだ。覚えてないってことは、随分小さなころだったんだろうね」

「・・・そうやと思います」

「芸妓にはなりたかったの?」

「・・・なりたかったわけやあらしまへん。芸妓にならなおまんま食うていかれへんかっただけどす」

「ふうん。・・・あ、お酌してくれる?」

空になった猪口を傾けた沖田に酒を注ぎながら、こんな話の何が楽しいのだろうかと、唄月は訝しく思った。

「・・・沖田はん、こないな話聞いてたかて退屈やおまへんのどすか?」

「退屈?僕は楽しいけど?」

「せやけど、わてのこと話してほしいやなんて・・・そないなこと言うお客はんそういてまへんよ」

「他の人がどうかは知らないけど、唄月ちゃんの話を聞きながらお酒が飲めて、僕は楽しいよ」

口端を持ち上げて笑う沖田の姿に、唄月の心臓が大きな音をたてる。この心音が沖田にまで聞こえてしまってはいないだろうかと、内心落ち着かない。
そんな唄月の内心など露知らず、沖田は言葉を続けた。

唄月ちゃんは?楽しい?」

「・・・え・・・?」

沖田のこの問いに、唄月は思わず言葉を詰まらせた。

座敷に揚がれば、客を楽しませる。それが芸妓としての役目であり、金と引き換えに差し出すものである。
沖田に呼ばれたこの座敷とて例外ではなく、唄月は客を楽しませることだけを考えていた。


「・・わては芸妓どす。わてが楽しかろうとそうでなかろうと、お客はんを楽しませることだけが、わてら芸妓の努めですやろ」

座敷に揚がれば何時も、客を楽しませること、それだけを考えていた。
自分自身が楽しいかどうかなぞ考えた事もない。

「そやけど、お客はんが楽しんでくれはったなら、そら嬉しいことや思てます」

自分の持てる芸で、客を楽しませる。それは芸妓に有無を言わさず強いられたもの。
それでも芸妓である自分が日々芸を磨き美しくあろうとするのは、金の為だけではないことを、唄月は随分前から気付いていたのだ。
いかに客を楽しませ、惹き付けることが出来るのか。それが芸妓として生きる唄月の誇りであるから。

沖田の問いに答えながら向けたその笑みは、そんな唄月の誇りを覗かせ、気高く、美しかった。


「やっぱり君と話すのは凄く楽しい」

唄月の微笑みを目にし、沖田は笑いを漏らしてそう言った。

「芸妓遊びはそんなに好きじゃないんだけど、君がいるなら毎晩通ってもいいかも」

そう口にしながら立ち上がる沖田。

「お帰りになりますの?」

「うん。今夜は凄く楽しかった。ありがとう、唄月ちゃん」

座敷から廊下へ出る襖に手を掛ける沖田の後ろ姿を見詰めながら、唄月は沖田がこんなにも上機嫌である理由が掴めないままでいた。


「ねえ、最後にもうひとつ聞いてもいいかな」

彼が機嫌の良い訳を一人考えあぐねていた唄月は、沖田が急に振り返ったことに狼狽えた。

「また会いに来てもいい?」

突拍子もない沖田の問いに、ぽかんとした表情をする唄月は、顔をそのままに首を縦に振る。
唄月のその反応に沖田は、ならよかった、と言いながら、満足げな笑みを浮かべて、座敷を後にした。



「・・・唄月天神・・・どないされましたん?」

沖田が去り、座敷に一人残った唄月に声を掛けたのは、『二人だけにしてほしい』と言われ、座敷の外で待機していた連れの芸妓であった。
声を掛けられ、我に返った唄月は、芸妓にうっすらと微笑みを返す。

「どうもしやしまへんえ。・・・なんや、こないな座敷に揚がったんは初めてやったから戸惑うてしもうただけや」

「・・・・・?へえ・・・」

芸妓になり、数多くの座敷に呼ばれてきた唄月であったが、今宵の様な座敷は初めてであった。
自分のことを話して欲しいと求められたことも、楽しいかなどと問われたことも、今まで一度としてなく、戸惑ってばかりだった。
それでも、沖田が『楽しい』と、そう言いながら笑ったあの表情があればそれだけでいいと、唄月はそう感じる自分の心を、素直に受け入れていた。


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