「ごめんね、ミツバ」

一人呟き、手を合わせたまま、そっと目を開ける。そこにはあるのは真新しい墓石だ。残された家族がたった1人しかいない墓だとは到底思えないほど、たくさんの花に囲まれていた。
墓石に供える花と言えば菊だと、わたしは今までそう信じて疑わなかったけれど、この墓に供えられているのは白百合からどこで摘んできたかしれない野草まで、多種多様そのものだった。
仕来たりとか、礼儀とか、そんなの全く関係ないとばかりに色付く花たち。
墓地だというのに賑やかささえ感じさせる、周囲の墓とは馴染めていない墓石に眠る彼女は、一体どう思っているんだろう。


「・・・喜ぶに決まってるか、ミツバなら」

誰が供えたかなんて大体見当がつく。彼らの想いがこもったものならば、ミツバが嫌がるはずがないのだから。


「ま、わたしも似たようなもんだしね」

ふっと溜息にも似た笑いを漏らして、ここに来る前に買った激辛せんべいを袖から取り出し、墓前に供える。

「あんたも、とんだ偏食家だよ」

せんべいの辛さを前面に押し出すかのような真っ赤な袋を見つめる。何度このせんべいに泣かされたことか。
昔なつかしい思い出を脳裏に蘇らせると鼻の奥の方がツンとして、どこまでも続く真っ青な空を仰いだ。

暫く空を見上げていると、敷き詰められた小石を踏みしめる音に気づく。
着々とこちらに近づいてくる足音。わたしは音のする方に視線を向ける。
そこにあったのは、良く知った顔だった。だけど、知らない顔のようでもあって、なぜだかまた少しだけ鼻の奥がツンとした。


「久し振り」

ミツバの墓の前に佇んでいたのがわたしだということに驚いたのか、その切れ長の目を見開き、わたしを見つめたまま無言で突っ立っている彼、土方十四郎に、そう声を掛けた。


それはまるで初恋のよう


わたしが初めてミツバに出会った時、わたしの心臓はドキ、と、大きな音をたてた。
今思えば、あれは一目惚れというやつで、わたしにとっては初恋だったのかもしれないと、そう思う。

物心つくまえに母を病で亡くし、わたしは男手ひとつで父に育てられた。
父は小さな蕎麦屋をたったひとりで切り盛りしていて、幼いわたしは近所にある小さな道場へ預けられることが度々あった。
道場の主と父は友人で、道場主も奥さんも、そしてその一人息子である近藤勲も、わたしにとてもよくしてくれた。
道場には門弟なんてそうそうやってこなくて、いつつぶれてもおかしくなさそうな所だったけれど、わたしはあそこが大好きだった。
寺子屋に通うようになっても、父の店を手伝うようになってからも、暇さえあればちょくちょく道場に顔を出しては練習風景を眺めていた。



「あれ?誰その子」

父に買い出しを頼まれたある日のこと。買い出しついでに近藤さんの道場に顔を出すと、まだ10にも満たない年端の小さな子が、勲ちゃんと並んで竹刀を振っていた。

「おおなまえちゃん。こいつは沖田総悟っつってな、ウチの新しい門弟だよ」

わたしの声に気づいた勲ちゃんは、竹刀の動きを止めると嬉しそうにニカっと笑いながらそう言った。

「へぇー。良かったね、新しい人来てくれて。ちょっとチビだけど」

「チビってゆうな、ババア」

「アァ゛!?」

さっきまで大人しく竹刀を振るっていた見知らぬ子供。愛くるしい顔立ちとは裏腹の、くそ生意気なセリフを吐き出した。

「わたしはまだ花盛りの10代だっつーの。ケツの青いガキが生意気言うんじゃないよ」

「青くなんかねーよ、バカ」

「てっめー・・・」

子供相手だというのはわかっているのに売り言葉に買い言葉、大人げないとは思いつつも、引き際を見つけられなかった。

「初めて会った人に対してなんつー口の訊き方すんだテメーは!」

「それはこっちのセリフだ!」

「生意気なヤツー。親の顔が見てみたいわー」

「まあまあ」と、わたしたちふたりをなだめようとする勲ちゃんを尻目に、総悟とのくだらない言い争いは続いていた。


「そーちゃん」

不意に背後から聞きなれぬ声がして、言い争いは止んだ。
それと同時に、さっきまで生意気ばかり言っていたクソガキは、それまでとは正反対の満面の笑顔になった。

「姉上!迎えにきてくれたんですか!?」

今の今まで喧嘩をしていたわたしになんか見向きもせず、総悟は自分の姉のもとへ駆け寄った。


なまえちゃん、こちら総悟の姉上、ミツバ殿だ」

長らく続いたくだらない言い争いが終わりを迎えたことに安堵した勲ちゃんが、わたしに声をかけた。


「はじめまして。そーちゃんがいつもお世話になってます」

総悟の姉と紹介された彼女は、ふわりと、穏やかな笑顔をわたしに向けた。その瞬間、わたしの心臓が大きな音をたてたのは、気のせいなんかじゃない。
姉の隣に立つ総悟が、世話になんかなってない、と、不満そうな顔をしていた。




男手ひとつで育ったせいか、幼い頃からよく過ごした場が道場だったせいか、わたしはお世辞にも女らしいとは言えないだろう。
子供の頃から、ままごとよりチャンバラごっこのほうが好きだったし、近藤さんの道場に遊びに行っては稽古のまねごとばかりしていた。
女同士のおしゃべりに加わるよりも、男と一緒にバカ話をすることが多くて、それまで友達といえば男ばかりだった。


「あら、こんにちは」

総悟とのくだらない言い争いから数日後、道場に差し入れをしに足を運ぶと、総悟の姉が道場の縁側に腰を下ろしていた。
わたしに向けられたのは、初めて会った時と同じ笑顔だった。

「あ、・・・どうも・・・」

人見知りなんぞしたことのないわたしが、他者と顔を合わすだけで緊張するなんて初めてのことだった。
総悟の姉は黙ったままただ微笑み、わたしは次の言葉が見つけられず、辺りに響くのは竹刀がぶつかり合う音と、近藤のおじさんが勲ちゃんを怒鳴る声だけだった。

「わたしもお煎餅をお持ちしたんだけれど、お稽古の邪魔しちゃいそうで」

わたしが両手で持った盆の上に載せているおにぎりを見て、総悟の姉が言った。彼女の言うとおり、稽古はいつになく真剣に行われているようで、声を掛けるのはあまりに気が引ける。
出直そうかな。そう思った時、縁側に腰かけていた総悟の姉が「よかったらお隣どうぞ」と、わたしに微笑みかける。そう言われては、『出直します』とは言えない。わたしは彼女の隣に腰を降ろした。
・・・が、腰を降ろしたはいいものの、ふたりの間に流れるのは沈黙で、妙に体がこわばっていた。


「・・・この前はそーちゃんが失礼なこと言ったみたいで・・・ごめんなさい」

またも沈黙を破ったのは、彼女のほうだった。

「・・・べつに貴女が謝ることじゃない」

「だけど・・・」

「そりゃ貴女の弟なんだろうけど、この前の喧嘩はわたしと総悟の喧嘩なんだから、貴女がわたしに謝る必要は無い」

総悟の生意気な発言が頭の中に蘇り、鼻息が思わず荒くなった。そんなわたしの横顔を見て、彼女はクスリと小さく笑う。

「・・・わたし、なんか可笑しかった?」

「あ、ごめんなさい。そうじゃないの。ただ安心したの」

「安心?」

わたしの鼻息の何がそんなに安心なのだろうと、心底不思議でならなかった。
彼女はわたしの顔見て、またクスっと笑いを漏らした。不思議に思う気持ちが思いっきり顔に出ていたのだろう。


「あの子、親が早くに亡くなって、どこか少し内気で、わたし心配していたの。だけど近藤さんやなまえさんには懐いてるようだから、とても安心したの」

彼女はそう言って、笑った。
人の笑顔には何か、言葉には出来ない、心に光をもたらす何かがあると、そう思えるような笑顔だった。

「勲ちゃんならともかく、わたしに懐いてるとは思えないけどな」

どう考えても、懐かれてるというよりは毛嫌いされてるような気がする。
わたしがそう呟くと、彼女はふふふ、と笑っていた。

「・・・両親とも亡くなったってことは、貴女と総悟、ふたりきり?」

「えぇ。わたしはそーちゃんにとって親代わりなの」

ふふ、と、笑いながら彼女は言う。
総悟の姉は、きっとわたしとそう変わらぬ年端だろう。彼女だって、まだ‘大人’と、そう言えるような年齢じゃない。
わたしは自分を男手ひとつで育てた父を思った。店を切り盛りしながら、後妻を取らず、たったひとりでわたしを育てた父。
幼い頃には解らなかったけれど、今ならわかる。人間を育むということがどれだけ大変で、どれだけ難しいことなのか。
そして彼女、総悟の姉であるミツバも、この若さでその責任を背負っているんだ。たったひとりで。

わたしは隣に座る彼女の横顔を盗み見た。
赤い夕日に照らされた彼女の白い肌と、優しげな眼元。
視線に気づいたのか、ミツバはわたしと視線を合わせ、「よっかたらお煎餅食べませんか?」と、問い掛ける。
彼女は、すごくおいしいですよ、と、微笑みながら言った。
彼女の笑顔を見て、わたしの心臓はまた大きな音をたてる。それがなんだか気恥ずかしくて、わたしは袋を破くと大きく口を開け、煎餅にかじりついた。

なんで心臓が大きく鳴ったのか、わかった。


「おいしいでしょう?」

「・・・辛いよ」


わたし、ミツバと友達になりたいんだ。


 back