彼らが江戸へ向かうと知った日、わたしがいの一番に会いに行ったのはトシでも勲ちゃんでもなく、ミツバだった。


「・・・ミツバ・・・皆が・・・」

沖田家を訪れると、そこには縁側にひとり腰を下ろすミツバの姿があった。
皆が、トシが江戸に行ってしまうよ、と、そう続けようとしたけれど、ミツバの切なげな微笑みを見て、わたしの言葉は消えてしまった。

「そーちゃんから聞いたわ」

よかったら座って。ミツバは自分の隣に腰を下ろすよう促したけれど、わたしはその場から動けずに、立ち尽くしたままでいた。

「・・・ミツバは・・どうするの・・・?」

「どうするって?」

「・・・付いていくの?」

皆に・・・トシに付いて江戸に行くの?わたしはそう問い掛ける。
ミツバは当然彼らと一緒に江戸に行くのだと思った。ミツバのトシへの想いは、それ程強いものだと知っていたから。けれどミツバは悲しそうに笑ったまま、首を横に振った。

「・・十四郎さんにも言ったの・・・。付いていきたいって。・・・だけど・・・」

「だけど?」

「断れちゃったわ」

フフ、と、冗談を面白がるような笑いを洩らして、ミツバは言う。
それが彼女の強がりだってことくらい、すぐにわかった。トシを想うミツバの気持ちは、彼女と同じようにトシを想うわたしにはよくわかるから。
わたしは背中に聞こえるミツバの制止の声も振り切って、来たばかりの道を駆け戻っていた。


彼女からのプレゼント


「・・・トシ・・!」

あらんかぎりの力で駆け戻った先は勲ちゃんの道場で。
彼の姿を見つけるなり、息切れを必死に押さえながらその名を呼んだ。

「・・トシ・・・話があるの」

「なんだよ」

「いいから!」

訝しがるトシの袖を掴むと、彼の意思なんてお構いなしに力の限りに引っ張って、連れ出したのは道場の裏手。

「・・・ミツバ・・・付いて行きたいって言ったんでしょ・・・?」

「・・・・」

「どうして連れていってあげないの!?」

伝えたい想いが胸の中で渦巻いていた。全て言葉にしたいと思うのだけど、先行するのは気持ちだけで口の動きが追い付かない。
もどかしさで募る苛立ちは、言葉足らずな自分へのものだったのか、それとも、想い合いながらも離れようとする二人へのものだったのか。


「・・・好きなんでしょ・・・ミツバのこと・・・」

わたしがそう口にすると、トシは少し目を見開いた。
トシの気持ちには随分前から気付いていたけれど、こんな風に口にするのは初めてで。
わかっていることとは言えど、口にすればきっとわたしは傷付く。そう思っていたけれど、実際口にしてしまえばそれは呆気なく、今はただ、想い合う二人が離れる理由を知りたいという一心だった。


「・・・好きなのに・・・なんで・・・」

想い合っている二人が、どうして離ればなれになろうとするの。
トシはミツバが好きで、誰よりも一緒にいたいはずなのに、どうして突き放すの。
ミツバだって、トシと一緒にいたいくせに。突き放されても笑えるなんて、どうして。

この時わたしは、正面に佇むトシを睨んでいたと思う。
想い合っているはずなのに、それでも離れようとする二人の気持ちがわたしには理解出来なかった。
わたしは、どうしたってトシと想い合う様な関係にはなれないから。


「・・・テメェにゃ関係ねぇだろう」

トシからの言葉が、わたしの苛立ちを殊更煽る。

「関係ないってなに?関係ない訳ないじゃない!だってわたしは・・・!」

「・・・・」

「・・・わたしは・・・ミツバの親友なんだから・・・」

わたしは、トシが好きなんだから。この一言はどうしても言えなかった。
わたしはいつだって、トシの前ではミツバを思いやる優しいわたしでいたかったから。

「・・・・俺達は遊びに行くわけじゃねぇんだよ」

「・・・わかってるわよ、そのくらい」

「いつ死ぬとも知れねぇ身だ」

「わかってる・・・。だからこそミツバと一緒にって・・・。もうこれで離ればなれなんて・・・そんなの・・・」

そんなの、ミツバが辛すぎるよ。ぽそりと呟いた言葉は、本当はミツバじゃなくてわたしの気持ちで。
このままトシと会えなくなってしまう寂しさは、胸を裂かれるようだった。それでもこの気持ちを伝えられない臆病なわたしは、卑怯だと思いながらも、ミツバを思いやる振りをしていた。

今にも涙が溢れてしまいそうなくらい熱い目頭。ぼやけた視界の中心にはトシがいて。
わたしを真っ直ぐ見据えたトシは、やがて堪忍したとばかりに諦めの溜め息を吐き出して、言葉を紡ぐ。


「いつ死ぬとも知れねぇ男について来たって幸せにゃなれねぇだろう」

そう言ったトシの顔が苦しそうに、切なそうに歪むのを、わたしは見逃さなかった。
そしてわたしはトシの言葉で、彼の気持ちを悟る。

トシは、ミツバの幸せを望んでいる。
いつ死ぬとも知れない身となる自分では彼女を幸せにすることは出来ないと、本当は誰よりもミツバを幸せにしたいと思っているはずなのに、それでもトシはミツバから離れていく。
そしてミツバも、そんなトシの気持ちを理解しているからこそ、あんな風に笑う。
どうしたって割り込むことの出来ないふたりの想いが、わたしの身体と心をバラバラに裂くようだった。

トシは、ミツバの幸せを本当に願っている。誰よりも傍にいたいという思いを閉じ込めて、自分から身を退くことをいとわない程に。
自分の想いを閉じ込めてまで彼女の幸せを願う程に強いトシのミツバへの想いに、わたしはどうしたら入り込むことが出来るっていうの?
そんな隙間は微塵も無くて、わたしはミツバを思いやるふりでトシの前に立っていた今までの自分を、恥ずかしく思うばかりだった。


「・・・なら・・わたしが傍にいるから」

「・・・・」

「トシがミツバの傍にいないなら・・・わたしがミツバの傍にいる」

ミツバの幸せを思い、ミツバから離れていくトシの代わりに、わたしがミツバの幸せを見届ける。

わたしから見れば、羨ましくて仕方のない二人。だけど、切なすぎる二人。
そんな二人の悲しくて切ない結末を前に、わたしは心の底からミツバの幸せを祈った。
この時初めて、わたしは本当にミツバを、親友を思いやる自分になれた気がした。





「花火大会、もしかして彼と行ったの?」

店仕舞いをして、これから食卓を囲もうかという時刻。夕飯の支度を手伝っていたわたしに、声を掛けたのは叔母だった。
先日の花火大会、わたしを迎えに来てくれたトシの姿を叔母は見ていない。それでも‘彼’なんてフレーズが出てくるのは、やはり女の勘というやつなのだろうか。

「・・・違うよ。ただの友達」

わたしの気持ちがどうであれ、トシにとってわたしは昔馴染みで、トシが大切に想った人の親友で。トシにとってわたしは友達。ただ、それだけ。

「あら、そうなの?なまえちゃん江戸にいい人でもいるのかと思ったんだけど」

「あはは、違う違う」

調理の終わった食材を皿に盛り付けながら、わたしは笑う。
夕飯の支度をしていたから、叔母さんの目を見て話さなくて済むのは有難い。わたしは嘘をつくのが下手で、相手から目を逸らしてしまう癖があるから。


「本当にいい人いないの?」

「いないよ。いたらいい歳して独りなんかじゃないよ、今頃」

冗談まじりに苦笑いを漏らしてみせれば、叔母は何故か安堵した様に笑った。

「そう!なら良かったわ!」

「何がいいの、叔母さん。女の独り者なんて寂しいのに」

「違うのよなまえちゃん、そうじゃなくてね・・・」

「・・・・?」

にっこりと笑った叔母は、ふいに台所から離れて奥の部屋へ消えて行った。彼女の少し丸みのある背中を不思議に思いながら見つめていたけれど、叔母はすぐに再び姿を現した。その手にはやや大きめの白い封筒が握られている。

なまえちゃん、あなたお見合いする気ない?」

「・・・えぇ!?」

突如もたらされた見合い話に驚くわたしをよそに、叔母は手にしていた封筒から中身を取り出すと、2つ折りになっていたそれをゆっくり開く。そこには、薄い灰色を背景に、椅子に腰を下ろした男性の写真があった。

「彼方さまになまえちゃんの話をしたらとても気にいってくださって『是非に』って」

「・・・いや、それは有難いけど・・・」

戸惑うばかりのわたしを黙殺して、叔母は写真の人物について語る。お勤めは何処其処だとか、趣味は何々だとか。
叔母の言葉を耳に入れながらも、わたしはいつだったかのミツバとの会話を思い出していた。

あれは確か、彼らが出ていってから数年後。真選組という名前が武州でも響くようになった頃。
彼らが江戸へ向かった後も、わたしは日課のようにミツバの元を訪れていて。あの日も二人で縁側に腰を下ろし、何てことない話をしては笑っていた。
話が一旦途切れたところで、ミツバが不意に問い掛けた。『なまえちゃんは誰かいい人いないの?』と。わたしはただ笑って『いるわけないよ』と返した。そんなわたしに、ミツバは『勿体無いわ』と笑って言った。
確かにわたしの歳なら、結婚やらなんやらを考えてもおかしくない頃だと思う。
だけどね、わたしはトシが江戸へ向かうと決めた時に誓ったの。1人江戸へ向かうトシの代わりに、わたしがミツバの幸せを見届けるって。
そんな台詞ミツバには言えなかったけれど、彼女にはきっと、わたしの気持ちを見透かされていたんだと思う。
それから暫く経った頃、ミツバは結婚を決めていたのだ。

『結婚するわ』と報告したミツバは笑っていたけれど、わたしは、『本当にいいの?』と、問い掛けたかった。
ミツバはまだトシを忘れてなんかいないと、わかっていたから。
それでもわたしは、『おめでとう』と言って、江戸に向かう彼女を見送った。
あの瞬間、トシとわたしの約束は、守られて、そして終わったのだろう。


「・・・してみようかな、お見合い」

そっと呟いたわたしの言葉に、叔母は嬉しそうに笑う。
早速彼方さんに連絡するわ。まるで自分のお見合い話かの様にはしゃぐ叔母に、わたしも思わず笑いを漏らした。


ミツバは、逝ってしまった。幸せになるまで見守ると、そう決めた彼女はいなくなってしまった。
今度はわたしが幸せになる番なんだ。きっとミツバも見守ってくれている。
トシへの叶わぬ想いを引きずりながら、踏ん切りが付かないでいるわたしが、新しい一歩を踏み出すキッカケ。これはもしかしたら、ミツバがくれたプレゼントなのかもしれない。


なまえちゃんも、そろろそろ幸せになって』

笑いながら言うミツバの声が、聞こえた様な気がした。


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