彰と釣りに行き、お気に入りだったサンダルの片方を海に捧げてしまったおかげで、新たなサンダルを買いに行く羽目になった。彰におんぶされたまま家に着き、二人で昼食を食べ、部活に出る彰を見送る。
サンダルを買いに行くその前に、わたしはタツヤに電話をした。
わたしは明日も休みだから、今から東京に行ってタツヤの家に泊まり、明日ゆっくり帰ってくる事だって出来る。もしタツヤも明日休みなら一緒にサンダルを買いに行けるかもしれないし。
淡い期待を抱いたけれど、結局タツヤは電話に出なかった。1回目、2回目と、留守電のアナウンスが流れ、3回目の電話にもタツヤの声が聞こえることはなくて、そこでようやく諦めた。
結局一人で新しいサンダルを買いに行き、ついでに夕食の材料も買って帰った。

家に帰っても特にやることなんかなくて、観たかった映画のDVDを鑑賞した。
始めはぼんやりしながら見ていたのに次第に夢中になってしまい、いつの間にか帰宅していた彰に、耳元で「ただいま」と囁かれて、「ぎゃあ」と、なんとも色気の無い声を上げて飛び上がってしまった。

「びっくりした・・・。普通に『ただいま』って言ってよ・・・」

「言ったよ?でも華梨が気付かないから、つい」

「ついってなによ、ついって」

不意打ちに対するわたしの反応が愉快だったのか、喉を鳴らして笑う彰。
いつか仕返ししてやるから。そう宣戦布告して、夕飯の仕度をし、DVDを見ながら食べた。


「そういや明日試合なんだ」

不意に彰がそう言った。
一瞬なんの事かと頭を巡らせたけど、彰にとっての「試合」なんて、わたしの知るかぎり一つしかない。

「バスケ?また練習試合なの?」

「いや、地区予選」

「なんの?」

「インターハイ」

「・・・それって結構大事な試合なんじゃない?」

「そうだね」

わたしが高校生の頃、部活の試合前の夜は緊張と興奮でドキドキして、妙に落ち着かなかった。けれど彰はいつもどおり。いや、いつも以上にのんびりしてるように見える。
なんていうか・・肝が据わってるわ、この子。

「また観に行ってもいい?」

「明日も休みなの?」

「うん。これといって予定もないし」

華梨が来てくれるなら俺頑張るよ」

にっこり笑って言う彰に、わたしがいなくても頑張りなさいよ、と言い添える。

食後二人でコメディー映画のDVDを見ていた。
映画が終盤を迎えた頃、タツヤから電話があった。タツヤもスポーツ観戦は好きだから、彰の試合を一緒に観ないかと誘ったけれど、彼は明日も仕事だと言った。
タツヤが神奈川まで来るのが面倒なら、わたしが東京まで行っても良かった。けれど彼が仕事じゃしょうがない。
いいんだ、明日は彰の試合を見に行くんだから。
予定があれば寂しくない。





「今日の夕飯は豪華にするから」

「なんで?」

「勝ったらお祝いで、負けたら慰め会が出来るように」

冗談めかしてそう言うと、彰は少し笑った。

彰と朝食をとりながら、今日行われる地区予選の事をいろいろと尋ねた。
地区予選はまずトーナメントで、4ブロックからそれぞれ勝ち残った1チームが、決勝で総当たり戦をするらしい。
トーナメントなんて、何回も試合しなくちゃいけないから大変そうだな・・と思ったけれど、なんでも陵南は昨年の成績からシード権を得たそうだ。
インターハイに行けるといいね。そう声を掛けると、彰は真面目な顔で「うん」と言った。
バスケをプレーしてる時の顔だと思った。
緊張も興奮もなさそうに見えたって、やっぱり彰だって負けるより勝つほうがいいと思うに決まってる。


「じゃあ行ってくるね」

「ん、頑張って」

一度学校に集合してから試合会場に行く彰を、わたしなりに、精一杯応援の気持ちを込めて送り出す。
とはいっても、「頑張れ」、くらいしか言えないけれど。

「あ、そーだ」

玄関のドアを開けたところでなにか思い出したのか、彰が呟き、振り返ってわたしを見た。

「今日さ、試合終わったらその場で解散なんだ」

「そう」

「一緒に帰ろうよ。華梨試合終わったら会場の入口のトコで待っててくれる?」

「いいけど…」

そう返事をすると彰は「いってきます」と、笑って部屋を出た。

『一緒に帰るのはいいけど、彼女来ないの?』
何故だか言いそびれてしまった台詞。
わたしと一緒に帰るなんて言うくらいだから、彼女は試合を見に行かないのだろう。
でもそれってなんか淡泊。わたしだったら絶対応援したいけどな。今時の高校生の恋愛って、結構あっさりしてるんだろうか。
まぁ、わたしがとやかく言う事じゃない。今のわたしには人様の恋愛に口だししてる暇も、余裕もないんだから。



陵南の試合に合わせて家を出た。
たかが予選と少し余裕こいてたけれど、試合会場の客席は人で溢れていた。
暫くうろうろ歩き回ってやっと空席を見つけた。3つ並んで空いた席の真ん中に座る。フロアを見下ろすと、陵南の選手達、相手チームの選手達がウォームアップをしている様子が見えた。
まだ試合前なのに観客席は興奮でざわめいて、それが熱気として体に伝わってくる。
時々、どこからか「仙道」というフレーズが耳に入ってきた。
いち高校生でありながら、こんな風に人に名前を口にされるなんて、彰はただ者じゃないんだろうな。
同じ家にいると、全然そうは感じさせない子だけど。

刻々と近づく試合開始時刻。わたしの心臓もドキドキしている。

すぐ隣の通路を女の子二人組が通った。二人とも陵南の制服を着てる。


「もー、空いてる席ないじゃん」

「あっちの方行ってみる?」

女の子達はキョロキョロと辺りを見渡している。これだけ埋まった会場の中から空席を見つけるのは難しいだろう。
わたしは席を左に一つずれて座り、並んで座れる席を作った。

「ここ空いてるからどうぞ」

女の子達にそう声を掛けると、二人は「ありがとうございます」と言って、腰を下ろした。

「陵南の応援?」

かつて自分も着ていた制服を身に纏う女の子に親近感を抱いて、ついつい話し掛る。
女の子は見ず知らずの他人であるわたしからの問いに一瞬戸惑いを見せたけれど、「はい」と笑顔で答えてくれた。

「違うじゃん。『彼氏』の応援でしょー」

話し掛けた子の隣に座る子が、友達を肘で小突いて言った。

「あ、ほら、仙道くんこっち見た」

女の子がそう言い、わたしは思わずフロアに視線を落とす。そしてわたしの隣に座る子も、友達の言葉に反応してフロアを見ていた。ウォームアップを終えたのか、コート脇に選手が集まっている。
その中に彰はいて、確かにこっちを見ていた。一瞬わたしを見て、それからわたしの隣の彼女を見たように思えた。
ここから彰までは遠いから、彼の視線が何処に向いてるかなんて、定かではないけど。

それからはわたしが隣に座る女の子に話し掛けることはなかった。そうした方がいいと思ったから。
試合観戦中、わたしと隣の女の子が歓声を上げるタイミングは、ほとんど同じだった。





試合開始前、華梨が来てるか気になって、観客席を見渡した。
俺が居た位置のちょうど真向かいにある二階席に、小澤が座ってるのが見えた。
そして隣にはうちの高校の制服の子がいる・・・そう思った瞬間、それがサエコだと気付いた。
この広い会場の中であの二人が隣同士になるなんて、凄い確率なんじゃないか?そんな事を考えていたら、「仙道!聞いとるのか!」と、監督から激を飛ばされた。


俺達陵南にとっては地区予選の初戦だったこの試合は快勝に終わった。
面白いのはこれから先だ。海南に湘北、楽しいに決まってる。
華梨は今日の試合をどんな風に見てたんだろう。次の試合も観に来ると、そう言うかな。
試合終了後、ミーティングをして解散になった後、小澤がいるであろう出口に向かった。
けど俺を待っていたのは彼女ではなくサエコだった。サエコは俺を見つけると、笑いながら手を振った。

「・・どうしたの?」

「彰を待ってたの。駄目だった?」

「いや、駄目じゃないけど・・・」

そう言いながら出入口周辺を見る。
華梨の姿は何処にもない。

「サエコ、あのさ…」

隣に座ってた人どこ行ったか知ってる?そう口にしそうになったけれど、言葉になる前に飲み込んだ。
サエコに聞いたって華梨がどこにいるかなんて知る訳がない。
華梨と俺が同じ部屋で暮らしてることを知ってれば別かもしれないけど、俺はサエコには話してないし、華梨がサエコにが話してるとも思えない。

「ねぇ彰」

「うん?」

「これからあたしの家に来ない?」

少し俯き気味に、サエコが言った。

「今日・・親帰って来るの遅いから・・・」

チラリと上目使いで俺を見るサエコ。
『今日の夕飯豪華にするから』
今朝の華梨の言葉が頭を過ぎったけど、ほんの一瞬だった。
華梨がここに居ない理由も、今夜の夕食も吹き飛ぶくらい効果は絶大。男ってのは、そんなもんだろ。





サエコの家から帰って来たのは、日付が変わって数十分後だった。家のドアの前に立って鍵穴に鍵を差し込む。
華梨は明日仕事だって言っていた。この時間はもう寝てるだろな。
なるべく音を起てない様に、ゆっくり鍵を回す。カシャンと、鍵が開く音を聞いて、そっとドアを開けた。
明かりは全部消えているだろうと予想していたけど、リビングからは明るい光が漏れている。

華梨はいつも電気を一つ残らず消してから眠る。そんな彼女の消し忘れだろうか。それとも俺が帰って来た時の為にと点けっぱなしにしたんだろうか。
ふとテーブルの上を見ると、皿が3枚載っていた。どの皿にも料理がたっぷり盛ってある。サランラップ越しに見える料理は、『いつもより豪華』だった。


「ん…」

俺一人だと思っていた室内で小さな声がして、思わずビクリと反応してしまった。
声を漏らしたのは華梨だった。彼女はソファーの上で寝返りを打っている。

華梨

目を覚ます様子を全く見せない華梨を見下ろして名前を呼んだ。

「・・・・あれ・・寝ちゃってた・・・」

俺の声で目を覚ました彼女は、部屋の中をぐるりと見渡し、そう言った。

「彰・・帰ってたんだ・・・。・・・おかえり」

ソファーの上に横たわったまま、寝起き独特のくぐもった声で、華梨は言った。

「彼女と会えた?」

再び目を閉じ、口元だけで微笑む華梨

「…会えたよ」

「そう。彼女、可愛いね」

「なんでわかったの?」

「彰の彼女だってこと?」

「うん」

「超能力。わたし、エスパーだから」

華梨はイタズラっぽい顔をして言った。

「わたし寝るわ。・・あ、テーブルの上のご飯、食べられそうだったら明日にでも食べて」

言いながらソファーから立ち上がる彼女をただ見つめる。

「ちょっと豪華にしたから」

「うん、見たよ」

「試合・・・快勝だったね。彰凄かったよ」

「ありがとう」

俺が言うと、彼女はにこりと微笑み、自分の部屋のドアに手をかける。

華梨

彼女が眠ってしまう前に聞いておきたくて呼び止めた。

「どうして待っててくれなかったの?」

朝、一緒に帰ろうと、そう言ったのに。

「彼女が来てるのにわたしと一緒に帰ってどうするのよ。それに、メール送ったでしょ?『彼女来てるみたいだから先帰るね』って」

ポケットに手を突っ込んでケータイを取り出す。画面には何も写っていない。
あぁ、そういや試合前に電源切ってそのまんまだった。

「電源入れるの忘れてた」

「・・・ばぁか」

クスリと笑った彼女はドアを開いて自分の部屋に足を踏み入れる。


「俺、華梨と帰りたかったな」

意識せずに口からこんな言葉が漏れた。俺のこのセリフを耳にして、華梨は振り返って俺を見る。
彼女と目が合い、思わず口端を持ち上げる。
そんな俺を数秒間じっと見つめた後、華梨はわざとらしく大きなため息をついた。

「なに言ってんのよ」

またそんな冗談言って。そういいたげな顔をする華梨

「だよな」

ホント何言ってんだ、俺。サエコとやることやっといて、『一緒に帰りたかった』はないだろ。
そもそもなんでこんなこと口走ったんだ。


「おやすみ」

華梨にそう声を掛けられて我に返る。
彼女に「おやすみ」と、返して微笑み、ドアが閉まるまで彼女を見ていた。

考えたって解らないものは解らないんだ。なら考えるのなんて辞めだ。
とりあえず眠るんだ。あぁでもその前に華梨の作った夕食をつまんでからにしよう。


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