To:彰
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今日職場の人と飲んで帰
るから遅くなるわ。

ご飯用意できないけど
彰一人で大丈夫だよね?

――――END―――――


数日前、タツヤが部屋を訪れた翌日に、彰と携帯番号を教え合ってから初めて送ったメール。急遽仕事終わりに同僚たちと飲み会をすることになり送ったメールだ。
帰りの遅いわたしを、彰が心配するかもしれない。そう思って送ったというよりは、内容のとおり、わたしのいない夕食を彼一人でちゃんと出来るかが心配だった。
数十分後に彰から送られてきた返信メールは『大丈夫』と、なんとも簡潔な文面だった。
そうだ。彰はこの春まで一年間一人でやってたんだ。たった一食分くらい何とか出来るに決まってるじゃない。
変に子供扱いするのは止めよう。彰だって、子供扱いされて気分が良いはずないだろうし。
わたしはケータイを閉じ、移動してきて初めての飲み会に赴く支度をした。





「昨日何時頃帰って来たの?」

あまり寝ていないせいでボンヤリする頭と、だるい身体。なんとかベッドから抜け出せたはいいものの、身体はいつもの様に動きそうになくて、寝室を出るなり寝巻きのままテーブルに座りボンヤリしていたわたしに、彰が言った。

「・・・んー、終電には乗れなかったな・・・」

「夜中に鍵開ける音が聞こえたからさ」

「・・・起きてたの?」

「いや」

「あー・・・起こしちゃった?」

「半分寝てたから平気だよ」

彰はそう言ったけれど、わたしが起こした事には違いないんだろう。
もしわたしが睡眠を誰かに邪魔されたとしたら、間違いなく腹をたてているところだ。

「まだ寝てればいいのに」

「うーん・・・。でも今寝ちゃうと夜眠れなくなって明日の朝が辛いし・・・」

今日はこれでも朝寝坊出来た方だと思う。なにせ彰より起きるのが遅かったくらいだ。

「やっぱり寝た方がいいんじゃない?」

「・・・なんで」

華梨の目が半分しか開いてないから」

笑いながらそう言う彰に睨みを効かせたけれど、自分でも‘半分くらいしか開いてない’と自覚出来るような目で睨んだって効き目は無いだろうな。

「・・・彰・・釣り行くの?」

一度自室に入り、すぐに出てきた彼の手には釣竿が握られていた。

「うん、ちょっと行ってくる」

「・・・何処で?あ、もしかして・・そこ?」

言いながら指を差した先は窓の向こう側に広がる海。

「そう。結構釣れるんだ」

指差す先をちらと見て、また視線をわたしに戻して彰は言った。

「ねぇ、わたしも行っていい?」

「いいけど・・釣竿一本しかないよ?」

「いいよ、別に。わたし海が見たいだけだから」

ちょっと待ってて、と彰に声を掛けて立ち上がる。急いで着替えなくちゃと思った所で、自分がまだ顔を洗っていないことに気付いた。
だるい身体で出来る精一杯の素早さで洗顔を済ませ、再び自室に舞い戻る。そしてこれまた出来る限りのスピードでクローゼットからジーンズとTシャツを引きずり出し、着替えた。


「お待たせ」

着替えを終え、勢いよく部屋から飛び出したわたしを、彰は目を大きく開いて見ていた。

「早いね」

「だって急いだもん」

『待たせちゃ悪いと思って』この言葉は付け足さなかった。彰はわたしの顔をじっと見つめ、声を出して笑う。

「ちょ・・人の顔見て笑うなんて失礼じゃない」

「はは、ごめん」

にっこり笑って彰は言う。その笑顔のおかげで怒る気力が抜けてしまった。

「さ、いこーか」

彰の言葉を合図に、わたしはちょっと腑に落ちないまま部屋を出た。





「さっき、何で笑ったの?」

わたしの顔、変だった?華梨は自分の手で顔を触りながらそう言った。

「変じゃないよ。寧ろ綺麗だし」

「…そうじゃなくて」

もういいわよ、と呟いて彼女はため息をついた。海まで続く道則を、二人並んでのんびり歩く。
華梨の履いているサンダル、サイズが少し大きいのだろうか。サンダルとコンクリートがぶつかる度に、リズミカルにパコンパコンと音を起てている。
隣を歩く華梨をチラと見遣ると、俺が笑った理由について考えを巡らせているのか、眉間に皺をつくっていた。

部屋を出る寸前に笑ったのは、彼女が面白かったからだ。別に華梨が面白い顔を作っていたとか、そういうのじゃなくて。
部屋から出て来たかと思ったら、半分眠ったような顔でテーブルでボンヤリしてたくせに、俺が釣りに行くと聞いた瞬間に見せた素早い動き。着替えを済ませて「お待たせ」と俺に言った時の顔は弾けるような笑顔で、ついさっきまで目が半分しか開いていなかった彼女とは別人だった。
その違いがなんだか可笑しくて、つい笑ってしまった。
華梨にそう話したら、彼女はどう反応するだろう。凄く怒るか、凄く笑うか。そのどちらかの様な気がする。
笑ってくれればいいけど、怒られるのは嫌だな。だから黙っておくことにした。


家から数分歩き、防波堤の一番奥、いつもの場所に腰を下ろした。

「いつもここで釣ってるんだ」

周りを見渡すようにその場で一回転しながら華梨が言った。

「なんか似合うね」

「なにが?」

「彰と釣りが」

釣り針に餌を通す俺を見下ろし、笑って華梨は言った。

「初めて言われたよ」

「そう?」

「大抵怒られるからな、釣り」

「なんで?」

「『釣りする時間があるなら練習に遅れずに来い』ってさ」

これは越野によく言われる。以前に練習がある日に釣りしていたところを越野に見つかってしまって以来ずっとだ。

「バスケ部の練習でしょ?それは怒られて当然ね」

ふぅ、とため息を吐いて、彼女はコンクリートの上に直接腰を下ろした。
俺は釣り針を海面に落とす。

「今日部活は休み?」

「いや、午後から」

「また遅刻したりしないように」

「・・・気をつけます」

クスクス笑い声を漏らし、華梨の肩が揺れる。
焦げ茶色の髪が太陽の日に当たって、室内で見るそれより、もっと明るく、輝いて見えた。


「なんか眠いかも」

お互いに黙ったままで海を見ていた数十分間。沈黙を華梨が静かに破った。

「退屈?」

大きく伸びをする彼女にそう問い掛ける。

「んー、退屈ってゆうか、波の音聞いてたら眠くなってきちゃって」

振り返り、俺を見上げてあははと笑う彼女の目は、欠伸でもしたのか少し潤んでる。

「解るよ。俺もここにいると眠くなるんだよね」

「やっぱり?波の音って催眠効果があるのよ、きっと」

ニコリと満足げな笑顔を見せて、華梨は再び真正面に広がる海へと、その視線を戻した。

前に一度だけ、付き合っていた子とここに来たことがあった。俺が釣りに行くと言ったら、『一緒に行きたい』と、そう言い出したからだ。
釣りは一人でのんびりやりたいとは言えず、渋々ながら一緒にここへ座った。彼女は始めの数分黙っていたものの、ただ海を見ている事に飽きたのか、やたら俺に声を掛けた。
返答を、「うん」とか「あぁ」とか適当にしていたら、「退屈だから帰る」と彼女は不機嫌そうに言って、一人で帰って行ったっけ。


「女の人って釣り嫌いだよね」

前に付き合っていた子の事を思い出し、独り言みたいに呟いた。
華梨が不思議そうな顔で俺を見る。

「なんか黙ってることが駄目な感じ」

「・・彼女に釣りは嫌いだって言われた?」

「まぁそんなとこかな」

「言われたんだ」

華梨はクスリと笑った。

「俺さ、ここにいて何にも考えずにぼーっとしてるの好きなんだ」

彼女の「うん」という相槌が聞こえた。

「でも『退屈』だって言われちゃったよ。誰かと話をするよりも充実した時間だと思ったんだけどな」

黙って俺の話を聞いていた華梨がゆっくり口を開いた。

「・・・まぁ、ね。彰の言いたい事、なんとなく解るよ。わたしも一人でボンヤリするの好きだし」

華梨ならそう言ってくれると思った。むしろ彼女からそう答えてもらいたくて話し出したのかもしれない。

華梨ならわかってくれると思った」

「うん…。でも、彼女の気持ちも凄い解るのよ」

「え?」

「なんていうか…ほら、好きな人と好きなモノを共有したい…みたいな?」

「…へぇ」

「彰にもあるでしょ?彼女のこと沢山知りたいとか、そんな感じの」

華梨は俺の目を見てそう言った。

‘彼女のことを知りたい’
頭の中でそう呟きながらサエコの顔を思い浮かべる。
そういや俺、サエコの事って、一体何を知ってるんだろう。サエコに関する何かを思い出そうとした瞬間、釣竿の先が大きく曲がった。





「おっ」

急に黙り込んだ彰が声を上げた。彼の握っている釣竿はしなり、海面に下がった糸は張っている。

「結構デカイな」

そう言いながら、かかった魚を釣り上げようとするその顔は生き生きしてる。
そんな彰の奮闘ぶりを尻目に、わたしは頭の中でさっきまでの会話を繰り返した。

わたしの友達に、『彼氏の事は何でも知っておきたいし、常に彼氏と一緒に居たい』と話す子がいる。そんな彼女に比べれば、わたしはそこまで恋愛体質ではないかな・・・と思ってる。
相手と全てを共用したい・・・とまではいかないけど、相手の好きなものくらいは知りたい。

『彰にもあるでしょ?』

わたしからの問い。彰からの返答は聞けそうにない。
彰は考えるような顔をしていた。
まぁ恋愛なんて人それぞれだし、わたしが口だしするのも変な話なんだけど。

彰の方を見遣るとわたしの視線に気付いたのか、わたしを見て笑いながら、逃げちゃった、と言った。さっきまで張っていた釣り糸は、今や緩みを取り戻してしまっている。

「結構釣れるんじゃなかったの?」

「こういう日もあるんだよ」

眉尻を下げて笑う彰の顔に、思わず笑みが漏れる。

「帰ろっか。部活あるんでしょ?」

「そーだ、忘れてた」

頭を掻きながら彰は言う。そんなんだから練習に遅れるんだな、コイツ。

釣り糸を上げる彰。わたしも立ち上がろうとぶらりと下げていた脚を防波堤の上に乗せようと動かした時だった。

「げっ・・・!」

足から、するりとサンダルが抜けた。そう思った瞬間、ポチャン、と、そう小気味いい音を起て、履いていたサンダルが海面に落ちてしまった。

「もぉ・・・最悪」

ちょっとサイズが大きかったけれど、コンビニなんかに行く時はかなり便利だったサンダル。結構気に入ってたのに、今や波に揺られ、わたしからどんどん離れていく。
うなだれるわたしの横では彰が心底愉しそうに声を上げて笑っていた。

「笑ってないで取って来てよ」

「俺が?」

「そう。泳いで取ってくるの」

笑われた事が面白くなくて、仕返しに無理難題を吹っかけてやった。

「それはちょっとな・・・」

「わかってるわよ。ま、家位までなら裸足でもなんとか行けるでしょ・・・」

片方が裸足の足元を見下ろし、この足で家まで帰る覚悟を決めた。


華梨

家が近くて良かった。そう思っていたところで我に返ると、彰はわたしに背中を向けてしゃがみ込んでいた。

「…え?…なに?」

何を意味してるのか、彰のその行動の意味がさっぱり出来なくて、素っ頓狂な声を出してしまった。

「おんぶ」

肩越しにわたしを見上げて微笑む彰。
それにしても、おんぶって・・・

「いい!大丈夫だから!歩けるし!」

彰の背中におぶさる自分の姿を想像しただけで恥ずかしい。

「でもコンクリートの上は裸足じゃ辛いよ?」

「・・・・よ」

「ん?」

「・・・わたし、重いよ?」

彰の顔が見れなくて、俯きながら言った。
すると彰は笑って、「華梨くらいなら平気だよ」と、言う。

「・・・釣竿、わたしが持つわよ」

そう声を掛けると、彰は微笑んでわたしに釣竿を手渡した。釣竿が彰に当たらないようにしながら、自分の身体を彰の背中に預る。
彰はわたしの膝の裏に手を回してゆっくり立ち上がり、歩き出した。

帰り道の途中、すれ違った人の視線が痛くて俯いた。いい年した大人が少年におぶられている様はさぞ奇妙だろう。


華梨ってさ」

わたしの心情を知ってか知らずか、彰が話始める。

「案外抜けてるんだね」

その声には愉快そうな響きがあって、顔なんて見えなくても笑ってることがわかる。

「失礼ねー。仕事場じゃ『小澤さんてしっかり者だね』とか言われるんだから」

「ホントに?」

いかにも‘意外だ’と言いたげな声色に少なからずも腹が立ったので、空いてる方の手で彰の頭を軽く叩いてやった。
いてっ、と呟く彰。わたしは横に広がる海に視線を送る。
おんぶされたことで彰と視界の高さは一緒なんだ。彰にはいつも海がこんな風に見えてるんだろうなぁ。
そう思うといつも見ている景色が、違うもののような気がする。


「彰ってさ・・・」

「うん」

「案外優しいよね」

「今更気付いた?」

「うん」

「ひっでー。俺華梨にはいつも優しいんだけどな」

そう言ってわたしと彰は笑った。

ホントは知ってたけどね。彰が優しいってことくらい。あんた、将来イイ男になるよ。

「いい恋しろよ、少年」

「……?」

わたしの突然の台詞は彰には意味がわからなかったみたいだった。
まぁいいや。いつか・・彰が大人になった時にでも話してみよう。
彰の広い背中に乗っかりながら、数年後に彼と二人で酒を飲み交わしながら、語り合うのも楽しいかもしれないな…とか思ったりした。


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