はたけカカシが入院してから1週間後。チャクラ切れという症状は回復し、彼は退院することになった。
入院中に一度だけ、うなされているはたけカカシを目撃した。夢を見てたからと、はたけカカシは言った。
夢というのは精神状態の表れと聞いたことがある。うなされるほどの夢を見ていたというのは、医療忍者に報告すべきだろうか。一夜明けた後も悩んだけれど、結局は黙っていることにした。
夢を見てうなされていただなんて、他人に知られたくない。私ならそう思うだろう。それが辛く苦しい夢であればあるほど、その思いは強くなる。
幸いあの夜以降、はたけカカシにうなされている様子はなかった。単に私が見ていなかっただけかもしれないけれど。(私にも他の仕事がある。24時間常にはたけカカシを見ていたわけではないのだから)


はたけカカシが退院した後も、普段と変わらない日々が続いた。
病院という勤め先ゆえ穏やかな日常とはいえないけれど、取り立てて変化のない日々。そんな日常を淡々とこなしていたある日、にわかに病院全体が騒がしくなる。

医療忍者もそうでない者も、この病院に関わる人々が院内を慌ただしく行き来していた。
何かあったのだろうか。誰かに聞いてみようとする前に、答えの方が向こうからやってくる。

空野さん!」

私を呼び止めた上司の顔はいつものような穏やかさが影を潜め、危機迫った緊張感が漂っていた。

「急いで入り口の方へ行って!とにかく人手が足りないの」

上司は叫ぶように私に指示を与え、駆け足で入り口の方へ向かう。私は上司の後に続き、その背中に向けて「なにかあったんですか」と問いかける。

「任務中の怪我よ。多数が携わった任務みたいで重傷者の数も多い」

「どんな任務だったんです?」

「詳しいことはまだなにも。何処もかしこもバタバタしているから」

上司は一度も振り返ることなく、早口で捲し立てる。
入り口に近付くにつれ、人の話し声やガチャガチャと医療器具同士がぶつかる音が大きくなる。そこは予想していた以上の混乱と、不吉な空気で満ちていた。

大勢の忍たちが、入り口で立ち往生している。診察が間に合わないのだ。
意識のあるもの。意識さえないもの。重傷者、軽症者。あらゆる症状の忍たち。

空野さんは症状の確認をお願い。重傷者から治療優先」

「はい」

上司の指示に従い、私は傷を負った忍たちの元へ向かう。
この病院に勤めるようになってからというもの、暇な時間など一秒もなかった。それでも一度にこれほど多くの患者を受け持ったことはなかったし、患者の殆どが緊急を要する状態。
次々に運ばれてくる忍たち。緊急の処置を必要とする患者はすぐさま医療忍者の元へ。命の危険はなくとも重傷である患者には私たちが応急措置を施し、軽症者に対しては待機を促す。息つく暇もない慌ただしさが続く。
病院中に響く呻き声と、否応なく拡がる血の匂い。戸惑う一般人患者に対しても落ち着くよう声を掛けることも忘れてはいけない。

どうしてこんなに多くの忍たちが、ここまでの怪我を負っているのだろう。疑問が解決されることはなく、私には目の前の患者を捌くことしかできなかった。



慌ただしさに一段落ついたのは明け方だった。昼間から働き通しで、もう手足が思うように動かない。
私と同僚は休憩を与えられ、待機所にいる。私も彼女も乱れた息を整えながら、深く腰を下ろしていた。暫くは立ち上がることができないかもしれない。
息の乱れが治まっても、私は黙ったままでいた。余計なことに体力を使いたくなかったからだ。
薄いカーテンの隙間から射し込む朝の太陽の光が恨めしい。自分の身体からは汗のにおいと、他人の血のにおいがする。私は少しだけ顔をしかめて、目を閉じる。

「……他の里でクーデターが起こったらしいの」

静まり返った待機所に、同僚の声が響く。その声にはいつもの張りや快活さはなかった。

「……クーデター?」

「独裁的な里長に不満をもった忍たちが新たな里長をたてるために起こしたらしいわ。木ノ葉の忍たちは追い込まれた里長の依頼を受けてクーデター阻止に向かったんだけど――」

「返り討ちにあったということですか?」

「ええ。クーデターを起こした忍たちは里長が木ノ葉へ依頼することも予想していたらしくて、木ノ葉の忍を襲ったのは数多くのトラップだったそうよ」

「それであんなに大勢の負傷者が?」

「里長からの依頼だし、火影様もある程度の人数を送り込んだらしいんだけど……それが仇になったのね。トラップも大量に仕掛けられていて、多くの負傷者が出てしまった」

緊急任務だったらしいから、医療忍者もろくに揃えられなかったみたいよ。そう言葉を続けた同僚に、そんな話をどこで聞いたんですか?と問う。同僚は、患者さんのひとりからね、と重々しい口調で言った。

「第一陣で大勢の忍が負傷してしまったから、彼らの救出とクーデター鎮圧の為に上忍が向かったみたい」

同僚の話を聞きながら私の頭に浮かんだイメージは、広々とした大地の上で転がるようにして地面に伏せっている、血にまみれた無数の身体。あるものは苦痛に耐えきれず言葉にならない声を発し、あるものはすでに事切れている。それは、私がかつて見た光景に、とてもよく似ていた。


「大丈夫、カカシさんならきっと無事よ」

同僚の声で現実の世界へと引き戻される。同僚は私の顔を見つめてにこりと微笑んだ。
深く沈みこんだ私を見て、クーデターの鎮圧に向かったはたけカカシの身を案じているのだと勘違いをしたのだろう。(同僚は私とはたけカカシが交際しているという勘違いもしている。勘違いだらけだ)私はそんな同僚に対して、曖昧な頬笑みを返すことしかできない。同僚に言われるまで、はたけカカシのことなんて少しも考えていなかったのだ。

待機所の外、廊下の方が急に騒がしくなった。慌ただしく行き来する足音や、緊張感漂う話し声。


「上忍たちが戻ってきたのかもしれない」

また忙しくなりそうね。同僚はそう言って立ち上がる。私も倣って立ち上がり、再び戦場へと戻っていく。
廊下に出て、受付のある一階へ向かう。先程までの騒がしさに比べれば、いくぶんか静かな空間になっていった。重傷者から順番に、処置室へ案内される。
同僚は傷付いた忍たちの案内すべく、受付の広い空間に混じっていった。
私は同僚の背中を見送ってから処置室へと向かった。混乱は収まったとはいえ、どこも人手が足りていないはずだ。

処置室へと向かう廊下の途中で、私はひとりの忍とすれ違った。いや、正しくはかつて忍だったもの、だ。移動式の診察台に載せられたそれは、もはやただの抜け殻になっている。
2体目3体目と、廊下を進む度にすれ違う遺体の数が増えていく。
私は魂の抜け殻となったそれらを横目で見つめた。みな青白い肌をし、揃いの忍服が血で汚れている。

廊下の先へ視線を移すと、そこにはたけカカシが立っていた。壁際に身を寄せて、次々通り過ぎて行く魂の抜け殻たちを黙って見つめていた。私は少し離れたところで立ち止まる。声は掛けない。
不意に、はたけカカシの視線が私へと向けられる。私と目を合わせて少し微笑んだように見えた。本当に微笑んだのかどうかはわからない。

「病院も大変だったでしょ。かなりの人数が一度にきたから」

「……まあ、それなりに。でももう落ち着きましたから」

彼の身に付けている忍服も、血で汚れている。はたけカカシは私の視線を追い、「ああ」と声を漏らした。

「傷付いた仲間を運んでる時についたんだ」

「はたけさんに怪我は?」

「オレは大丈夫」

はたけカカシの答えに、私は小さく頷いた。怪我人であれば治療を促さなければならない。それが私の仕事だからだ。

会話は途切れ、私もはたけカカシも黙ったままでいる。
私たちの目の前を、遺体が通り過ぎていった。遺体を載せた診察台を押しているのも忍だ。
忍は無表情だった。任務明けの疲労感も、悲しみの表情もない。


「……同じ班だったんだ」

隣に佇むはたけカカシが呟いた。独り言なのかどうか、私には判別できない。

「え?」

「今通ったふたりは、アカデミー時代から同じ班で、無二の親友だった。大人になってからもそれはかわらなかったはずだ」

「………」

はたけカカシの横顔からは感情を読み取ることはできない。


「……仲間が死んでも涙を流さないのは、慣れているからですか?」

私が聞くと、はたけカカシは小さく笑った。それは、どことなく悲しげな微笑みだった。

「慣れてるわけじゃない。感情を表に出さないのが忍だからね」

「………」

「表に出さないだけで、悲しんでいないわけじゃないよ。仲間の死との向き合い方を知ってるだけだ」

――悲しんでいないわけじゃない。
――仲間の死との向き合い方を知ってる。
はたけカカシの言葉を頭の中で繰り返す。
彼ら忍は、感情がないわけではない。仲間の死にも、悲しみを覚える。
それでも彼らは命を奪うのだ。死と向き合う準備ができていなくとも、彼らは遠慮などしてくれない。

考えていたら頭が混乱してしまいそうになった。私はいったい、何を思っているんだろう。今さら、何を。
落ち着かなければいけない。私は大きくゆっくりと息を吸い込んだ。

「私、仕事がありますから」

失礼します。そう口にした私を、はたけカカシはじっと見つめていた。まるで私の中の混乱の兆しを見つけたみたいに。


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