他里でのクーデター阻止任務に向かった大勢の忍たちが負傷し、いままでにない忙しなさを過ごした日から2週間後。あの日に入院した患者たちの殆どが退院し、病院には静けさが戻る。
仕事を終えた私は、引き継ぎを行って制服を脱ぐ。同僚も仕事を終えたタイミングが同じだったらしく、更衣室で鉢合わせた。

「やっぱりあたしたちの仕事って、忙しくないほうがいいのよね。この前のことで痛感したわ」

いつもと変わりない日常が戻ってきたことを噛み締めているのだろう。同僚はしみじみと言葉にした。そうですね、と私は相づちをうつ。心からそう思っているかのように、深々と。

「ねえ、今日みんなでご飯食べに行こうかって話してたんだけど、空野さんもどう?」

「ごめんなさい、今日はちょっと……」

「たまにはいいじゃない、ね?」

同僚たちと食事を共にしている自分を想像する。止むことのないお喋りと、適当に合わせて言葉を操り、場の空気に合わせた表情を作る私。その作業にはそれなりの精神力を使う。あるいは、体力を消費するよりも大きな疲労感を味わうかもしれない。
なかなか引き下がらない同僚に、私は困ったと言わんばかりの苦笑いを返す。

「あ、もしかしてカカシさんと約束があるの?」

はたけカカシと、結婚を前提とした付き合いをしている。偽りの報告から始まり、大きく広がった偽装。未だ誰も真実を知らない。
約束なんかあるわけがない。それでも私は否定も肯定もせず、曖昧に微笑んだ。彼女の誘いを断る理由をこしえらえなければならない手間が省ける。

着替えを終え、私と同僚は更衣室を後にして出口へと続く廊下を歩く。

空野さんとカカシさん、ふたりでいる時はどんな話をしてるの?」

「どんなって言われると難しいんですけど……」

これまでにはたけカカシと交わした言葉を思い出す。それらはすべて簡潔で面白味もなく、現実的かつ事務的な言葉だった。おそらく、同僚からの問いに対する答えとしては不適切だ。同僚が望む答えは、所謂恋人同士らしい会話。私とはたけカカシの間だけに交わされる、密な言葉たちだ。けれど私は彼女の望む答えを持ち合わせていないし、代わりの答えも思いつかない。

「どうしてそんなこと聞くんです?」

逆に質問を投げかけることで、私に向けられた問いがどこかに消えてくれればいい。そう思いながら、浮かんだ疑問を投げかけた。

「カカシさんてどちらかっていうと口数が多い方じゃないじゃない?」

「まあ、そうですね」

「あたしたちの前ではいつも穏やかで優しいし。空野さんとふたりきりの時はどうなのかなーって思って。……ただの野次馬根性なんだけど」

気を悪くしたのならごめんね、と同僚はそう言った。私は「そんなことないです」と微笑んでみせる。

「カカシさんでも怒ったりするの?」

「さあ……私もみたことないので」

「そうなんだ。カカシさんが怒ってるところなんて、ちょっと想像できないものね」

「そうですね」

なら、はたけカカシが人を殺すところは想像できますか?私の頭に浮かんだ問い。口にはしなかったけれど、同僚はどう考えているのだろうか。
同僚がはたけカカシに対して抱いている好奇心は純粋なものだ。そこには好意がある。私にはそれが解らない。
同僚は、はたけカカシを深く知っているわけではない。おそらく表面的な彼しか知らないのだろう。それでも、同僚ははたけカカシを信頼している。よく知りもしないのに。
それとも、知ったうえで信頼しているのだろうか。はたけカカシが任務と呼ばれる行いのなかで、どんなことをしているのかも、全て承知のうえで?


「いいなー空野さん。あたしもカカシさんみたいな優しくて頼りがいのある旦那が欲しいわ」

「旦那だなんて……」

恋人ですらないのに、という言葉を飲み込む。

「結婚式には呼んでよね。歌くらいなら歌えるから」

同僚の言葉に、私は苦い笑いを返す。結婚式なんて、いくら待ってもやってこないのだから。
出口を潜ると、外は夕焼け色に染まっていた。太陽が暮れかけ、少し肌寒い。


「お疲れ様」

耳に届いた低い声。私は声のした方へと、視線を移す。そこに佇んでいたのは、はたけカカシだ。彼は壁に預けていた上体をゆっくりと元の位置へ戻す。少し猫背気味のその姿勢が、正しい元の位置かどうかは怪しい。

「じゃあ空野さん、あたしはこここで。また明日ね」

はたけカカシの姿を認めた同僚は、気を遣ったのだろう。足早にその場から遠ざかった。
私は暫く同僚の背中を見つめていた。黙ったままで。隣にいるはたけカカシも、何も言わない。

「……もしかしてなにか予定があった?」

暫く続いた沈黙の後、はたけカカシが言う。

「いえ、とくになにも」

「そうか。ならよかった」

「………?」

「一緒に飯でもどうかと思って」

「……はあ……」

どうして。そう思ったのが顔に表れていたのだろう。はたけカカシは私を見つめたまま言葉を続けた。

「いやー、色々迷惑掛けてるからね」

「いえ……」

「ま、おかげでオレは助かってるわけだけど。お礼ってほどのもんでもないけど、飯奢るくらいしかできないから」

「………」

どう?そう言ったはたけカカシの片方だけの目が、まっすぐに私をとらえている。
断ってしまえばいい。他人と必要以上に距離を縮めることを、私は望んでいない。
断ったほうがいいのだ。これ以上はたけカカシと近付いてはいけない。私の中のなにかが、そう警告している。
なのに、気が付くと私は彼の目を見返しながら小さく頷いていた。
理由はわからない。あるいは、好奇心だったのだろうか。感情の読み取れないこの忍のなかにあるものを、覗いてみたくなったのだろうか。
なににしても、私の好奇心には同僚が抱いているような好意が含まれていないことだけは確かだけれど。




「何食べる?」

店内に腰を下ろし、手渡されたメニューを見ながらはたけカカシが訊ねてきた。
一通り目を通したけれど、私はとくに空腹を感じていない。これといって食べたいメニューがないので、適当に料理名を読み上げる。
注文をとりにきた店員に、私の分と、自身の分のメニューを伝えるはたけカカシ。
店員がテーブルを離れる。はたけカカシは口を開かない。なので私も黙っておくことにする。
この店へ訪れるまでの道のりにも、特に会話らしい会話はなかった。歩き始めてすぐに「食べたいものある?」と聞かれ、「なんでもいいです」と返した以外は特に。
本当に口数が多い方ではないのだな。私はそんなことを考えてながら、テーブルの向こう側に座るはたけカカシを見ていた。
初めて言葉を交わした時と同じだ。他人の手によって見合いという形で引き合わされ、とくに会話もなく、静まり返ったテーブル。
あの時から時間は流れたけれど、相変わらず、私とはたけカカシの間に交わされる言葉はない。それでいいのだと、私は思う。これが、私とはたけカカシとの距離が均等に保たれている証拠なのだから。


「いつからこの里に住んでるの?」

ふいに、はたけカカシの視線が私へと向けられた。彼は私をじっと見つめて問いかける。

「……2年ほど前から」

「木ノ葉に来る前も病院で仕事をしてたの?」

「はい。小さな町にある病院だったので、すごくのんびりしてました」

「木ノ葉病院は大変?」

「そうですね。慣れないことも多かったので」

「今はもう慣れた?」

「それなりに」

「ならよかった」

はたけカカシは少し目を細める。会話は途切れ、沈黙が続く。
はたけカカシの視線は、どこかへ向けられている。私を見ているようで、見ていない。けれど決して彼の視界から消えたわけじゃない。私はそれを感じる。


「どうしてこの里に?」

はたけカカシの視線が動く。どうしてこのひとは、私の瞳をじっと見つめて問い掛けるのだろう。彼の瞳が向けられることに動揺している自分に気付く。

「……これといった理由はありません。仕事を探していた時にちょうど木ノ葉病院を見つけただけで」

私の答えに対して、はたけカカシは何も言わない。ちょうど料理が運ばれてきて、会話は途切れた。私たちはそれぞれが頼んだ料理を黙々と口に運ぶ。
途中でちらりとはたけカカシを盗み見た。普段付けている口布を下ろしている。はたけカカシの素顔を見たのはこれが二度目だ。入院時に比べればいくらか健康的な顔色をしている。けれど、食べているものが美味いと思っているのか不味いと思っているのか、表情から読み取ることはできない。あるいは、何も思っていないのかもしれない。食事を摂る必要性なんてないし、美味い不味いなんて、彼にとってはどうでもいいことなのかもしれない。

「……食べてるとこ見られるのはなんか緊張するなあ」

はたけカカシは困ったように眉を下げて笑った。のんびりとした口調だったけれど、‘お前の視線には気付いている’と示す言葉に、私は気まずさを覚える。

「病院のひとたちとは一緒に食べたり飲んだりしないの?」

不自然に視線を逸らした私を気遣っているのか、はたけカカシの声は柔らかさを含んでいた。

「ひとりで食事することの方が多いです」

「その方が落ち着く?」

「ええ……まあ」

「オレも同じだな。人と飯を食う機会もあんまりないけど、一人の方が落ち着く」

「………」

なら、どうして私と向かい合い、食事をしているのだろう。私には、はたけカカシの考えていることがわからない。

食事を終え、テーブルの上に載せられた空の皿を、店員が慣れた手付きで回収していく。会話の途切れた静かなテーブルでは、カチャカチャと陶磁器同士がぶつかる音がいやに大きく響く。
店員が離れてから少しの間をとって、私は口を開いた。

「……訊いてもいいですか?」

「オレに答えられることなら」

「なら大丈夫です。きっとはたけさんが適任だから」

私は小さく息を吸い込んだ。もしかしたら、問い掛けることは間違っているかもしれない。

「……はたけさんは、人を殺したことがありますか?」

「……そんな話、聞きたいの?」

「ええ」

「………」

「殺したことが?」

答えなんて、聞かなくてもわかっていた。彼らが人の命を奪ったことがないなんて、そんなことはありえない。私が知りたいのは、その裏にあるものだ。
はたけカカシは黙ったまま、私を見ている。私の質問の意図を探っているのかもしれない。

「……あるよ」

充分すぎるほどの間をとって、はたけカカシが言う。

「……それは、気持ちのいいものですか?」

「オレたちは猟奇的殺人者じゃない。快楽は覚えないよ」

「………」

「必要とされているから」

「任務だからということ?」

「ああ」

「でも、あなたたちは殺す。必要としていなくとも」

はたけカカシから言葉は返ってこなかった。
私は少し落ち着かなければならない。ここで感情的になることは好ましくない。

私は、忍という生き物について深い理解があるわけではない。けれど、彼ら忍の残酷さだけは知っているつもりだ。




はたけカカシと私は店を出る。月が暗い空に輝き、夜の冷えた空気が肌を刺激する。
「家まで送るよ」。はたけカカシはそう言った。いまやすっかり見慣れた笑顔を浮かべて。私は断ったけれど、はたけカカシは既に歩き始めていた。
「家はこっち?」と尋ねられ、私は頷く。

帰り道も来た時同様、とくに言葉を交わさなかった。
隣を歩くはたけカカシは無表情で、何を考えているのかわからない。顔の半分を隠していることを差し引いても、彼の考えていることを把握するのは難しいだろう。


「今日はありがとうございました」

家の前までたどり着き、私ははたけカカシに向かって小さく頭を下げる。

「どういたしまして」

はたけカカシが目を細めて言った。この笑顔の下に隠されたものはいったいなんなのだろう。穏やかさを装いながら、何を考えている?

「よかったら、寄っていきますか?」

何を考えているのかさっぱりわからないその表情を、崩してみたくなった。慌てて、戸惑えばいい。私はそんな彼の様子を見ながら、「冗談です」と、笑いながら言うのだ。

「……いいの?」

はたけカカシは、真剣な表情で呟くように言った。予想とは大きく違った彼の反応に、私は戸惑ってしまう。
冗談です。そう返さなければ。でも、言葉が思うように出てこない。
交わった視線。ほんの数秒の沈黙が、十数分にも感じる。この重苦しい沈黙は、いったいいつ終わるのだろう。私はこの沈黙から脱け出せるだろうか。


「ハハハ……冗談だよ」

はたけカカシの顔から真剣さが消え失せる。
私は息を吐き出した。心臓の音が大きくなっていることに今更気付く。
戸惑ってしまったことを彼に悟られぬよう笑顔を浮かべようとしたけれど、顔の筋肉がうまく動かず奇妙な表情になってしまう。

「それじゃあ……おやすみなさい」

早く部屋に入りたい。ひとりになりたい。
素早い動作で向きを変え、ひとりになるべく足を進める。


ヒバリ

数歩進んだところで、背後からはたけカカシの声が聞こえた。その声は、静かな夜の空気を振動させ、私の頭の中でも響いた。
ヒバリ。はたけカカシはそう口にした。彼はいつから私を名前で呼んでいたのだろう。
無言のまま振り向く。はたけカカシは真剣な顔をして私を見ていた。

「……お前、いつもそうなの?」

「‘いつもそう’って?」

「そうやって、誰にも心を開かない」

はたけカカシの瞳が、私を見つめている。まるで、心の奥底を見透かそうとしているような瞳。もしかしたら、彼には本当に心の奥底が見えているのかもしれない。
はたけカカシのこの瞳に見つめられると、どうしようもなく居心地が悪くなる。私は、この瞳が苦手だ。

「……それは……あなたも同じでしょう?」

苦し紛れに発した私の言葉に、はたけカカシは何を言うでもなく、少し目を見開いた。私の言葉が彼の体に突き刺さったような表情に見えた。けれどそれは僅かな一瞬に過ぎない。

「……そうかもしれないな」

独り言のように呟いたはたけカカシは、笑っていた。それが虚しい笑みに見えたのは、私の気のせいだっただろうか。


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