訓練場での姿をリヴァイに見られていた。その事実に、アンナは少なからず動揺していた。
いや、見られること自体は構わないのだ。重要なのは、その時の自分の姿がリヴァイの目にどう映っていたかということ。

―――投げやりな動きは止めろ。訓練で怪我をして壁外に出られねぇなんて笑い話にもならねぇ

リヴァイの目には、自分の動きが投げやりに見えている。
どうしてこの男はこうも目が良いのだろう。見てほしくないところまで目敏く気付くなんて、厄介なことこの上ない。



初めて赴いた壁外調査で、友人マリウスを失って以来、遠征後に訓練場で飛び回るのがアンナの習慣になっている。
どうしてもじっとしていられないのだ。

多くの命が消えていくたび、自分の無力さを呪いたくなる。
無力な自分への怒り、巨人という未知なる相手への憎しみ、命が消えた悲しみ……。
体が張り裂けてしまいそうな感情の渦を抱えたままじっとしていると、気が狂ってしまいそうだった。

なりふり構わず剣を振るっていると、このまま死んでしまってもいいような気分になる。その一方で、そんなことが許されるはずがないということも、アンナ自身わかっているのだ。

幼いころから、周囲にいる人々とはかけ離れた身体能力を持っていた。
幼少の頃は母のために、地下街での暮らしでは自分の身を守るために使ってきた力。持ち得た力はいつだってアンナの生きる糧だった。
けれど、いつも違和感を感じていた。力を使うべき場所が、正しくないという感覚。生きるべき場所が、誤っているという思い。

死んでいった兵士たちのためにできること。彼らの意志を継ぎ、戦い続ける。そのために生まれ持った力だったのだ。アンナは、そう考えている。

戦う意志と、全てを投げ出してしまいたいくらいの虚しさの狭間で、アンナは途方に暮れる。
どうしたらいいのかわからなくて、壁外遠征の後には危ういくらいの動きで訓練場を飛び回っていた。

リヴァイには、そういう自分に気付かれたくない。感情に左右されることなく戦える兵士だと、そう思われていたかった。




「……しまった」

リヴァイの部屋から自室へと戻ったアンナは、上着を脱ぎながらひとり呟く。
妙に手が軽いと思った。読み途中だった医術書を、リヴァイの部屋に置いてきてしまった。
ふう、と吐息を漏らしながらクローゼットを閉じる。自室を出て、薄暗い廊下をひとり歩く。リヴァイの部屋へ向かう途中、アンナは夜空に浮かぶ月を見上げた。


――兵長は兵士の憧れだよ。兵長みたいに強くなりたいと思ってる兵士は大勢いる。
調査兵団で訓練を始めたばかりの頃。リヴァイのようにはなりたくないと、そう言ったアンナに向けられた、マリウスの言葉。

――感情に左右されない、それを彼の強さだと、そう捉える人間も多い。
いつかエルヴィンが言っていた。リヴァイは冷静でいることが大事だということを知っているのだと、エルヴィンはそう続けていた。

あの頃はまだ、ふたりの言ったことを理解することはできなかった。リヴァイに憧れる兵士の気持ちも、多くの信頼を集める強さの理由も。
だが、2年たった今ならわかる。アンナはこの2年の間、ずっとリヴァイの背中を見続けてきたのだ。

リヴァイは、仲間を失っても涙を流さない。一見すると無感情なのかと疑いたくなってしまうほど冷静に、自分がすべきことを判断できる。
けれど命を軽んじているわけではない。自由の為に戦う兵士たちの命と意志を、リヴァイはなにより重んじている。

リヴァイは、本当に強い。
死んでいった仲間たちの意志を力とし、強く戦うことができる。
私も、リヴァイのように強くなりたい。アンナはいつしか、そんなふうに思うようになっていた。




リヴァイの部屋のドアは、相変わらずノックをせずに開ける。先程訪れた時と同じように、リヴァイは机の前に座って書類を睨んでいるだろうと思っていたが、そこに彼の姿はない。
手前に備えられたソファに視線を移す。リヴァイはソファの上に体を横たえていた。アンナが入ってきたことにも気付いていないのか、目を閉じたままピクリとも動かない。
机の上には書類が散乱している。記入途中のものを投げ出したようだ。今回の壁外調査で死亡した兵士の名前が、神経質そうな字で書かれている。

ソファの側へ歩み寄る。ローテーブルに医術書が置かれていた。
アンナはリヴァイを見下ろす。閉じられた目はまだ開かない。

腕を伸ばし、自分の手をリヴァイの左胸に置く。
シャツ越しに伝わる体温と、皮膚の下にある筋肉の固さを、手のひらで感じる。
どくどくと波打つ鼓動は、リヴァイのものなのか、それともアンナのものなのか。判断のきかぬまま、そっと目を閉じた。

不思議だな、とアンナは思う。
捧げられた心臓が、確かに体のなかで動いている。でも、もう私のものじゃない。
自らの都合で停止させることは許されない。
私の心臓が止まる時。それはきっと、自分がもっとも望まないかたちとなるだろう――

くだらないことを考えてしまった。自らの思考にアンナが苛立ちを感じた瞬間だった。
リヴァイの目が開く。それと同時に、リヴァイの手が自分の手首を掴む。圧迫感はない。
かさりとした、温かいリヴァイの手。所々指の皮膚がかたくなっているのは、トリガーのせいだ。

「……なにしてやがる」

「リヴァイが生きてるか確認してた」

「生憎こんなところじゃ死なねぇよ」

「うん、知ってる」

リヴァイはアンナの手首を解放し、起き上がるとのろのろした動作で、机に向かう。彼が再び机の前に腰を下ろすのを見届け、アンナはローテーブルの上の医術書を手に、ソファに座った。先程まで横たわっていたリヴァイの温もりが残っている。
読み途中だったページを広げる。リヴァイがちらりとこちらに視線を向けたのを視界の端で捉えたが、何を言うでもなく、書類に視線を戻したようだ。ペンが紙の上を走る音が聞こえはじめる。

気付いていないのだろうか。
医術書を読むふりをしながら、リヴァイの顔を盗み見る。
リヴァイは、気付いていないのだろうか。さっきからずっと、傷付いた顔をしている。悲しみを堪える顔。

気付いていないはずがない。自分の内側に渦巻く憎しみや悲しみは、知らないふりができるほど生易しい存在ではない。
それでもリヴァイは涙を流さない。悲しみを表現しない。憎しみも悲しみも、全てを力にして戦う。それが、リヴァイという男だ。

いつの頃からか、リヴァイが『人類最強の兵士』と、呼ばれるようになった。
その通りだと、アンナも思う。
現在の調査兵団には、リヴァイより強い兵士は存在しない。リヴァイは生き残り、多くの巨人を殺し続けている。

――人類最強の兵士
人々は期待を込めて、そう呼んでいるのだ。
巨人の脅威から解放され、自由を手にいれることへの期待。
リヴァイなら必ずやり遂げてくれると多くの兵士が信じ、彼の背中についていく。リヴァイ自身も、そんな兵士たちの眼差しに気付いている。だからリヴァイは決して感情的にならないのだ。
仲間を失ってもなお強くあることが、残されたものたちの希望になるから。

リヴァイの肩にかかる期待や希望の重さを、推し量ることはできない。
リヴァイのように強くなりたいと思ったところで、彼の背負っているものを分けあうことさえできないだろう。
それでも、とアンナは思う。
それでも、リヴァイのなかにある感情を、私はよく知っている。悲しみや憎しみ、仲間の死を前にするたび抱く無力感。

慰めはしない。リヴァイは、そんなことを望んではいないからだ。常に強くあらねばならない人間が、慰めなど受け入れたりはしないだろう。
けれど、傍にいることくらい許されるはずだ。
傍にいれば、生きている人間がいることを実感できる。
死んだものばかりじゃない。これから先も共に戦う人間がいるのだと、そう実感できる。


「……さっきからなんだてめぇは……人の顔睨みやがって……」

書類に視線を落としていたリヴァイが、不意に顔を上げた。不機嫌そうに、眉間に皺を寄せている。
アンナは目を逸らすタイミングを逃し、思わず顔をむっとしかめた。

「睨んでるつもりはない」

「……紛らわしい目付きをするな」

「悪かったな。目付きが悪いのは元々だ。それに、目付きの悪さはリヴァイに言われたくない」

アンナの言葉に、リヴァイはため息を返した。
再び書類に視線を戻したリヴァイを、アンナはじっと見つめる。

リヴァイは、出ていけとは言わない。
命令することはできるのだし、そう言われれば私が従うことは、リヴァイ自身もわかっているはずだ。
アンナは手元にある医術書に視線を落とした。リヴァイがペンを走らせる音が、静かな部屋に響いている。

生きている人間がいる。これから先も共に戦う人間がいる。本当は、私自身がそれを確認したいのかもしれない。
気を抜くと弱ってしまいそうな自分に、戦う意志を取り戻させるために。
アンナはそんなことを考えながら、医術書の頁を捲った。


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