「……そういえばさっきアンナとすれ違ったんだが……」

「………」

「君を心配していたよ、リヴァイ」

エルヴィンがリヴァイの部屋を訪れたのは、リヴァイが提出した報告書の内容を確認するためだった。
確認を終え、用が済んだエルヴィンが部屋を出ていかずに自分の顔をじっと見つめている。リヴァイは訝しげな視線をエルヴィンに向けた。彼は微笑みを浮かべ、その口からアンナの名前を出したのだった。

「うまくやっているようでなによりだ」

「……お前になにを言いやがったんだあのガキ」

エルヴィンは答えない。代わりに笑みを返すだけだ。
リヴァイはひとつ息を吐いて、アンナの無表情極まりない顔を思い出す。あの表情のまま俺の体の怪我の有無を確認していたアンナ。いったいなにを思っての行動なのか。それはとても難解だ。
エルヴィンはアンナが心配していたというが、とてもそうは思えない。心配というより、好奇心。もしくは興味本意といったところか。

「……あいつは心配してるわけじゃねぇ。俺が弱ってるかどうか確認しておきたかった……そんなとこだろう」

「 それはリヴァイに対して無関心ではいられないということだ」

「………」

会話は途切れ、沈黙が訪れる。エルヴィンは立ち上がる。


 

「リヴァイ、訓練は?」

まだ日も昇らぬ空は薄紫色をしていた。リヴァイの部屋の窓にはカーテンが引かれておらず、空の色を背景にして机に向かう彼に、アンナは問い掛ける。

「お前ひとりでやれ」

アンナが部屋を訪れた時から、リヴァイはすでに机に向かっていた。今もなお視線を落としたまま、手が休みなく動いている。

「……わかった」

それだけ言って、アンナは部屋の出口へ向かう。ドアを閉める前にリヴァイの顔を見やった。そこにはもう、昨日目にした耐えている表情はない。見慣れた無表情さがあるだけだった。
リヴァイが感じていたのは、仲間の死に対する悲しみなのか、巨人に対する憎しみなのか。それともまた別の感情だったのか、アンナにはわからない。今のリヴァイがなにを感じているのかも、量ることはできない。しかしアンナは安堵感を抱いていた。
たとえ好まない人間とはいえ、曇った表情はこちらの調子が狂ってしまう。リヴァイという男はいつだって冷静すぎるくらい落ち着いた人間であり、常にそうあるべきなのだ。



リヴァイの部屋を出て訓練場へ向かうアンナ。廊下の途中、兵舎の中庭にいる数人の兵士の姿を窓越しに見付ける。
彼らは手押しの荷車に薪を積み、中庭と薪置場を往復していた。中庭に置かれた薪は、モニュメントかなにかのように組み上げられている。
薪の組み上げを行っているのはマリウスだった。アンナはマリウスの姿を認め、中庭の方へ足を進める。

「マリウス」

「やあアンナ。これから訓練?」

声をかけられたマリウスは顔を上げ、立体機動とホルダーを装備したアンナを見てそう問い掛ける。
アンナはひとつ頷いて、薪の山と額に汗を流すマリウスの顔を交互に見た。

「なにをしている」

「これ?……これから遺体を燃やすから、その準備だよ」

「……ここで?」

「ああ……身元判断ができるものは家族の元に届ける。それ以外の、身寄りのない兵士や、身元の判断できない遺体はここで燃やすんだ」

マリウスの精悍な顔立ちを、暗い影が覆っている。
アンナは辺りを見回す。組み木の周りにはマリウスと自分以外に人の姿はない。

「マリウスひとりでするの?」

「僕は組み木で、他は薪を取ってきたり遺体を運んだり、家族に届ける役目だ」

「……私も手伝う」

アンナはホルダーと立体機動装置を外すと、手近に立つ木の根本に置いた。
乱雑に置かれた薪を何本か抱え、すでに組み上げられた薪に重ねるアンナの姿を見ながら、マリウスが口を開く。

「ありがとう、アンナ。とても助かるけど……訓練はいいの?」

「構わない。リヴァイはいないから」

「そうか」

それきりアンナとマリウスは言葉を交わすことなく、黙々と作業を続けた。時折他の兵士が荷車に乗せた薪を置いていく。彼らもアンナの姿を見ても何も言葉にすることなく、黙ったままそれぞれの作業に勤しんでいた。
それぞれが、それぞれの心の中で死んでいった兵士たちを悼んでいるのかもしれない。荷車の歯が軋む音と、木と木がぶつかる音だけが響く静かな中庭で、アンナはそんなことを思った。





「君のおかげでずいぶん早く終わったよ」

朝から始められた作業が終わりを迎えたのは、太陽がもっとも高い位置に昇ったころだった。
流れた汗をシャツの袖で拭いながら、マリウスはアンナに礼を言う。

「べつに……たいしたことはしていない」

「そんなことないさ。死んだ仲間たちも君に感謝してる」

「………」

マリウスの言葉に答えられず、アンナは首を横に振る。
他の兵士たちが何処から遺体を運んできた。荷車数台分に及ぶ、かつては大地を踏み、息をしていた体たち。

「……私はいく」

「ああ。ありがとう」

マリウスに別れを告げ、中庭を後にするアンナ。訓練場には向かわず、兵舎の中に戻る。中庭を視界にとらえることのできる窓の前で足を止め、組み上げられた薪の山に目をやる。
マリウスたちが組み木に火をくべる。一気に燃え上がる炎は、天に向かって大きく揺れる。


「何してやがる、てめぇ」

聞こえてきた声。顔を見なくてもわかる。リヴァイはきっと眉間に皺を寄せているだろう。訓練場にいるべきはずの自分が兵舎の廊下で突っ立っているのだから。
責められてもしかたがないだろうな。そう思い、アンナは小さくため息を吐いた。

「……べつに」

「………」

アンナの視線の先にあるものをじっと見つめ、リヴァイは黙ったままでいる。


「……私もああなるかもしれない」

燃え続ける兵士たちの亡骸を見つめながら、アンナは呟く。

「………死ぬのが怖いか?」

リヴァイの声が静かに響く。そこにはなんの感情も込められていないように聞こえた。

「わからない。……でも、いつ死んでもいいような下らない人生だとは思う」

「………」

「ただ私は、このまま……なにもしないまま死ぬのが嫌なだけ」

引き取り手のなかったもの、誰かもわからぬ体の残骸。彼らの死は、アンナの目にはひたすら虚しく映るだけだった。
何も成し遂げられることなくこの世界から消えていく彼らに、生まれた意味はあったのだろうか。そして自分も、彼らと同じ最期を迎えることになるのだろうか。


「……なにもしないまま死ぬのが嫌なら必死に戦え……あいつらのように」

アンナはリヴァイの横顔を見た。彼の目の中に炎が映って、ゆらゆらと燃え上がっている。

「……わかってるよ」

激しく燃える炎に視線を戻し、アンナは答えた。
たとえ体がバラバラになって無惨な亡骸と成り果てても、最期の瞬間、後悔のないくらい戦ったと自分で認めることができるなら。それなら、虚しい死ではないのかもしれない。
天に昇っていく煙を目で追いながら、アンナはそんなことを考えていた。


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