月が浮かぶ夜空の下、沖田は屯所から脱け出した隊士を捜すべく、島原方面へ向かって歩いていた。
暗闇の中、風に乗って漂ってくる血の匂いが沖田を導き、捜していた人物は容易く見付けることが出来た。
ただひとつ、問題がある。脱け出した隊士が町人らしき男を既に殺していたこと。そして、この道の角を曲がった先に、人の気配がすることだった。

沖田は始めから気付いていた。今この情況を隠れてこそこそと覗き見している人物の存在に。
しかし、それに慌てる風もなく、その存在を無視して最初の目的である隊士を手にかけたのは、見られていても問題ない諸行だった。
見られているなら、後で口を封じてしまえばいい。沖田はそう思っていた。
だが彼は、盗み見ている人物の存在には気付いても、それが誰であるかなど、知る由もなかったのだ。

ことを終えた沖田は、着いた血糊を払うべく刀を振った。もう一度刀を振るう必要があったからだ。
たまたま目撃していただけの人物を斬ることに躊躇いも罪悪感も無かった。沖田が、守りたいと、そう思うもののためなのだから。
しかし、曲がり角の先に潜んでいた人物を目にした瞬間、沖田の思考が停止した。


「・・・唄月ちゃん・・・」

沖田は思わず彼女の名を口にしていた。名前を呼ばれた唄月は、ゆっくりと目を開く。

青白い顔をし、震える声で自分の名を呟く唄月を見下ろしながら、沖田の脳に蘇る思考。
目撃者は新選組の、近藤さんの邪魔になる。だから、斬る。

その時だった。遠くの方から聞こえてくる足音に、沖田は唄月を自分の腕の中に引き寄せて、共に身を潜めた。
同じく島原方面の捜索を命じられた斎藤だろうか。なら何故身を潜めたのだろうと、沖田は思った。
仲間である斎藤ならば、唄月を伴って身を隠す必要などない。唄月に目撃されたことを斎藤に報告し、彼女を殺せばいいのだから。

しかし足音の主は斎藤ではない。二人連れの酔っ払いなのか、陽気な話し声が暗い道に響いていた。
そんな声に耳を傾けながら、沖田は自分の腕の中にいる唄月の体が、小刻みに震えていることに気付いた。暖かな彼女の体温が、沖田の体に直に伝わる。

もしかしたら彼女は、全てを見ていた訳じゃないかもしれない。
僕が隊士を斬ったところを見られたのは構わない。逃げ出した隊士が町人を殺し、殺した男の血を啜っているところを見ていなければ・・・。

遠退いていく陽気な話し声。
唄月が緊張を解すかの様にふっと息を吐き出すのを感じ、沖田は彼女を腕の中から解放する。
そして唄月は語り出した。人が人の血を啜るという、異常な出来事を頭に甦らせ、脅えながら。
見てはならぬものを目撃してしまった事を悟りながら、それでも彼女は沖田に問い質したのだ。


「・・・やっぱり君は全部見てたんだ」

沖田には、自分が何をすべきかもう解っていた。

「なら僕は・・・」

鞘から抜いた刀を、唄月の喉元へと押し当てる。

「・・・君を殺す」

沖田がそう言葉にしても、唄月は暫く黙ったまま、彼見上げていた。その瞳に宿っていたのは、絶望にも似た悲しみの色で。


「・・・沖田はん・・・」

唄月に名前を呼ばれ、握った刀に意識を集中する。

「・・・前にも沖田はんに言われたことがおました。わてのことを殺す、って」

唄月の言葉で思い出す、その記憶。
いつだったか、唄月に言った殺す、という台詞。しかし唄月は脅えなかった。何時だって、強い瞳で見返してきたのだ。

「・・・せやかて沖田はんはわてのこと殺したりはしませなんだ」

「なんでこの状況でそんな話をするの?僕がまた君のこと助けるって思ってる?」

唄月が何故こんな話を始めたのか、沖田には解らない。

「・・・そうどすなぁ。わては死にたくあらしまへんから、助けてくれたらと、そう思とります。・・・せやけど、沖田はんが生きる為にわてを斬らなあかんのなら、しゃあないのかもしれまへん」

そう語る唄月は、力強い瞳で、沖田を真っ直ぐ見詰めた。彼女が前にも見せた、死を目の前にしても恐怖することなく、宿る光り。

彼女のこの強さは、一体どこから出てくるのだろう。この細い体の中に埋まっている彼女の強さとは、一体何なのか。
僕はそれが知りたくて、彼女に近付いたのかもしれない。

やがて唄月は目を閉じた。風で雲が流れ、隠れていた月が顔を見せる。
月灯りに照された唄月の表情はこの状況に不釣り合いなほど穏やかで、沖田はそんな彼女を、美しいと、そう思った。


「・・・君がこのことを他言すれば、必ず僕が君を殺す。・・・いいね?」

気が付いた時にはもう、刀を鞘に収めていた。

「もうじき人が来るから、君はもう行きなよ」

沖田がそう呟くと、唄月の顔に戸惑いが浮かぶ。そんな彼女に気付きながらも、沖田は唄月に言葉を掛けることも、目を合わせることもしなかった。
もし唄月の声を聞き、瞳を見詰めてしまえば、彼女を力任せに抱き締めてしまいそうだった。

歩き始めた唄月は、一度も沖田を振り返りはしなかった。真っ直ぐ歩いていく彼女の背中を見詰めながら沖田は、「・・・さよなら、唄月ちゃん」、と呟いていた。
唄月の背中が闇の中に溶けて見えなくなっても、沖田は彼女が消えていった方を見詰めていた。




「・・・・総司」

低い声で名前を呼ばれ、後ろを振り向くと斎藤の姿があった。

「一くん、おしかったね。もう僕が全部片付けちゃったよ」

「・・・・」

沖田の言葉に対し、斎藤は返事をすることもなく、その視線を横たわる二つの死体に向けた。
魂の脱け殻が二つ存在しているこの状況だけで何が起こったのか悟った斎藤は、再び沖田に視線を戻す。

「・・・それで、目撃者は?」

「さぁ・・・僕がここに来た時には誰もいなかったけど。まぁ、目撃者なんていたら一くんが来る前に僕が斬っちゃってたけどね」

「・・・なら問題ない」

斎藤はそれだけ言い残し、その場を後にした。土方を呼びに行ったのだろうと、沖田は彼の背中を見送る。

ひとりきりになった沖田は、再び唄月の消えた方向に視線を向ける。
暗闇の向こう側は、自分が今いる場所とは程遠い、別の世な気がした。


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