一体どれだけの時間そうしていたのか、唄月にはわからない。

角屋の灯りのない部屋の中。唄月と沖田は抱き合ったままでいた。

聞こえてくるのは密やかな息遣い。伝わってくるのは穏やかな心臓の鼓動。
沖田の腕の中にいるだけで、全てが満たされるような感覚。
座敷に揚がり、客に熱っぽく見詰められた時には埋められなかった何かを、沖田が満たしてゆく。

ずっと、こうしていられたらいい。
沖田に身体を預け、唄月はそんなことを思った。


「・・・・唄月ちゃん」

「・・・へえ」

「ずっとこうしていられたらいいのにね」

「・・・わても、今おんなじことを思うとりました」

唄月がそう言葉にすると、沖田は彼女を抱き寄せていた腕を緩めて、その顔を覗きこむ。
沖田の顔に浮かぶ、悪戯っぽい笑顔が、唄月には酷く懐かしく感じられ、胸が詰まる思いであった。


「珍しく素直だね、唄月ちゃん」

「・・・またそないいけずなこ言わはるんどすなぁ・・・」

「 ごめんね。君が可愛い反応をするから、つい意地悪な言い方になる」

戯れに交わす言葉の後で、沖田の指が唄月の頬をゆっくりなぞる。
自分を見詰める沖田の瞳が、その指が、酷く優しいことに、唄月は気付かずにはいられない。


「・・・この前、島原で君と擦れ違った時、僕と目を合わせてもくれない君を見て、凄く悲しい気持ちになった」

「・・・そら、沖田はんが・・・」

「うん、解ってる。君に刀を突き付けたのは僕で、君に嫌われても仕方のないことをしたんだってことくらい」

沖田が苦笑いと共に紡ぐ言葉。
自分が深く傷ついた夜の出来事を語る沖田の表情に、唄月の胸は締め付けられる。

「解ってたはずなのに、唄月ちゃんともう二度と言葉も交わせないんだって思ったら、凄く胸が苦しかった」

「・・・・・・・」

「こんな気持ち、初めて知ったよ。今までこんな風に誰かを想って胸が苦しくなることなんて、一度だってなかったから」

少し照れた素振りで、沖田は語る。その彼の瞳に浮かぶ真剣な色は、唄月を捕らえて離さない。
吸い込まれてしまいそうだと、唄月は思った。吸い込まれてしまいたいとさえ願う。


「・・・・わても・・・わても、同じです・・・」

自分の想いが沖田に伝わればいい。その一心で、唄月は言葉を紡ぐ。

「・・・あの夜・・・沖田はんに刀を向けられた夜から、もう沖田はんのことは忘れなあかんって、そない言い聞かせてきました」

「・・・・・」

「せやかて、忘れようとしても沖田はんの顔が浮かんできて・・・辛くて・・・苦しくて・・・」

切り伏せた相手の血を啜る男の姿を見たあの夜。刀を突き付け、冷たい瞳で『殺す』と言った沖田に、唄月は言い様のない絶望と悲しみを覚えた。
何処まで本気なのか解らない言動で戸惑わせ、見詰める瞳の優しさに吸い込まれる。気が付いた時にはもう、心の深いところまで入り込んでいた沖田。
そんな沖田から与えられた悲しみに、唄月は耐えることができなかった。

彼と出逢ったことが過ちだった。あの夜の出来事も、そして、沖田に抱いた恋心さえも忘れなければならぬと思った。
それでも、できなかったのだ。
忘れようと思っても、不意に甦る声に胸を高鳴らせ、浮かぶ笑顔に悲しみを覚えた。

旦那になった男と床を共にするはずだった夜も、引き寄せられた瞬間に沖田の姿が脳裏をかすめ、目の前にいる男に対し嫌悪を感じたのだ。

こんな気持ちを、初めて知った。
どんなに苦しく、悲しくても、捨て去ることのできない感情。
気付かぬ振りで、どれだけ自分を誤魔化してみても、ひっそりと、大きく膨らんでゆく気持ち。

伝えたい想いは、どれだけ言葉にしても、まだまだ足りない。
もどかしさと焦燥に駆られる唄月を、沖田は全て理解している、そんな表情を浮かべていたから。
沖田も自分と同じ気持ちを抱いていたのだ。そう気付いてしまえば、遠くに感じていた沖田という存在が、寄り添うように、近くに感じられる。



「総司の奴は何処行ったんだ?」

「先に屯所に戻ると、先程席を立った」

「もう大分時間も経ったし、俺たちも帰るとするか」

不意に、隣の座敷で言葉を交わす新選組幹部たちの声が耳に届いた。唄月と沖田は数秒無言で見詰め合う。
やがて沖田が先に口を開いた。

「・・・・・残念だけど、そろそろ帰らなくちゃいけないみたい」

そう言って立ち上がる沖田の顔を、唄月はただ見詰めることしか出来ずにいた。
そんな彼女の視線を受けた沖田は、困ったように眉を下げ、薄く微笑む。

「そんな悲しそうな顔しないで」

沖田の言葉に、唄月は顔に熱が集まるのを感じた。
どんな表情をしているのか全く意識していなかったが、沖田の言葉で、自分の感情を露にしてしまっていたのだと気付き、羞恥を覚える。


「・・・唄月ちゃん」

名を呼ばれ、俯いていた唄月は、沖田の顔を見上げる。
沖田は優しい笑みを浮かべて、唄月を見詰めていた。

「また会いにくるから」

「・・・へえ・・・」

「今度はたとえ君が僕の目を見てくれなくても、絶対に君の所へいく」

沖田の真剣な眼差しが唄月へと向けられれば、彼女の心臓が跳ねる。
座敷を後にしようとする沖田の背を見詰める唄月は、躊躇いがちに彼に声を掛けた。

「・・・・沖田はん・・・」

「・・・ん?」

「・・・わて、待っとります。沖田はんが来てくれるまで、ずっと」

唄月がそう告げると、沖田は目を細め、「ありがとう」と、呟いた。


沖田が去り、座敷にひとり残った唄月は、動く様子を見せず、その場に佇んだままでいた。

次に会う時には、沖田ともっと近付けるだろうか。
期待と不安に苛まれながらも、沖田の全てを受け入れ、自分を受け入れて貰いたいと、唄月は思う。

今はただ、耳に残る沖田の声音と、背中に残る腕の感触に浸っていたい。
格子窓から覗く月を見上げ、唄月は深い吐息を溢した。


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