「今日はお具合も良さそうどすなぁ」

唄月ちゃんが会いに来てくれるから」

笑顔を浮かべて言う沖田へ、唄月は呆れながらも笑みで返した。

沖田が病だと知って以来、唄月は毎日のように新選組屯所を訪れていた。西本願寺にあった屯所も今は不動堂村へと移り、唄月はここへも足繁く通っている。
唄月が屯所へ通うようになっても、沖田の風邪はいっこうに回復の兆しを見せなかった。時には「今日は調子がいいから」と起き上がっていることもある沖田だったが、嫌な咳は続いていた。

沖田の病は、ただの風邪ではないのでは。近頃では唄月も、沖田の病に疑念を抱く様になっていた。
しかし、沖田の病が一体なんであるのか。それを問い質すことを、唄月はずっと避けている。
真実を知ってしまったが最期、目の前にある全てが崩れ去ってしまいそうな恐怖が、唄月を臆病にしていた。


「どうしたの、唄月ちゃん」

意識を遠くへ向けていたところへ掛けられた沖田の声。唄月は少し肩を揺らした。

「・・・なんでもあらしまへん」

「本当に?」

「ほんまどす」

「・・・ふうん」

沖田の目が、唄月の顔をじっと見詰めた。

「なんか余計なこと考えてない?僕の病気が長引いたら、とかさ」

「・・・そら・・・沖田はんの病のことは、心配します」

「・・・ありがとう。でも僕はただの風邪なんだから、君は心配しなくていいんだよ」

「・・・へぇ」

「まぁ、君が僕のことで頭がいっぱいなのは嬉しいかな」

沖田はやわらかな笑みを浮かべて、唄月を見た。


唄月ちゃんが好きだよ」

沖田の瞳に見詰められるだけで高鳴る鼓動。
それは唄月が、この男に恋をしているというなによりの証であった。


「・・・わても、沖田はんが好きどす」

どんな言葉にしようとも、胸の奥にある感情を伝えるにはまだまだ足りない。もどかしさを感じながら言葉を紡ぐ唄月と、そんな彼女の内心まで見透かしたように微笑む沖田。
もう少しだけ、こうして沖田と見詰め合っていたい。そう願う唄月と沖田の間に、開け放った障子の先から暖かな風が吹き込んだ。





「沖田さん、雪村です」

灯り取りの障子の向こうが紅く染まり始めた時刻。沖田の部屋の障子に影を作った人物が、廊下から声を掛けた。

「・・・唄月さんはお帰りになられたんですね」

「うん、ついさっき」

部屋へ入ると自分の枕元に食事やら薬やらをてきぱきと並べていく千鶴。その姿を眺めていた沖田。
千鶴が粥を碗に移し始めた時、

「・・・ねぇ、どうして唄月ちゃんに僕が病気だって話したの?」

と、沖田は言った。千鶴の肩がびくりと揺れたことには構わずに、言葉を続ける。

「誰かに病気のことを話したら殺すって、そう言ったよね?」

「・・・はい・・・。でも・・・」

「でも?」

「・・・沖田さんが、お会いしたいんじゃないかと思ったので・・・」

「そういうの、余計なお世話って言うんだよ」

「・・・・・」

冷たい沖田の物言いに、千鶴は肩を落とす。
明らかに気落ちしている様子の彼女に、沖田は小さい溜め息を漏らした。

「まあ、君のおかげで唄月ちゃんに会えるのは本当だから、お礼は言っておくよ」

笑顔を見せる沖田。いつになくやわらかな態度の理由が唄月なのだとしたら、やはり自分のしたことは誤ったことではなかったのだと、千鶴は思う。

「・・・唄月さんには風邪だって言ってるそうですね」

「そうだけど」

「本当のこと、伝えて差し上げた方がいいんじゃないでしょうか?」

千鶴がそう問い掛けると、沖田は鋭い視線を彼女に投げた。唄月に労咳のことを話すことは許さないと、その目が語っている。
千鶴は沖田の視線に負けぬよう、膝の上でぐっと拳を握り、彼を見た。

「・・・もし私が唄月さんの立場だったら、本当のことを知りたいと、そう思います」

雪村はそう言うと、頭を下げて部屋から退く。
一人部屋に残された沖田は、見慣れた天井に視線を向けた。

こうして沖田が病に臥せている間にも、新選組隊内では参謀伊東甲子太郎が脱退し、それに続く隊士数名の離脱があった。伊東らによる近藤暗殺の計画、そしてその計画を知った近藤たちは、油小路にて伊東一派の粛清を行った。
これら全ての出来事に、沖田は関わっていない。自らの刀で彼らを斬りたいと、そう強く思う沖田の気持ちを置き去りに、事は運んでいた。

近藤の、新選組の刀でありたいという思いとは裏腹に、進行していく病は彼の心を蝕んでいく。
歯痒さと、激しい苛立ちにさいなまれる日々。
そんな日々のなかで沖田の心を癒しているのは、紛れもなく唄月であった。

唄月の微笑みを見れば、苛立ちは消え失せ、声を聞けば穏やかな気持ちになれた。しかし唄月が見せる不安そうな表情は、沖田を苦しめる。
笑顔でいてほしいと願っているのに、自分の体に巣食った病は彼女に不安の影を落としている。
ずっと傍にいることが叶わないのなら、突き放してしまえばいい。そうした方が、楽なのだから。そう思いながらも、沖田は唄月を離すことが出来ずにいた。
一体いつの間に、こんなにも彼女に惹かれていたのだろう。まるで、病の様に知らぬ間に。
そんなことを考えて、沖田はふっと小さな吐息を漏らした。



「沖田くん、入りますよ」

障子の向こうから声が掛かる。

「お休みのところ申し訳ありません」

「大丈夫ですよ山南さん。眠れなくて退屈してたところです」

沖田が起き上がるのと同時、山南は微笑みを浮かべて正面に腰を下ろした。

「珍しいですね、山南さんが僕の部屋にくるなんて」

表には知らされていないもうひとつの新選組。その隊に所属する山南は、夜分の活動を主としている。
沖田が隊務を休んでいることも重なり、ここ最近は山南と顔を合わす機会も少なくなっていた。

「君に聞たいことがありましてね」

「なんです?聞きたいことって」

山南は、何か思案するかのように僅かの間沈黙した。

「・・・最近、君を訪ねて部外者の人間が屯所に出入りしてるそうですね」

「・・・・それが何か?」

「局長や土方君は黙殺しているようですが・・・他の隊士の目もあり、規律の乱れの元になるかもしれません」

「・・・・・」

「それに何より、この屯所には部外者に決して見られてはならないものがあるということは、君もよく解っているでしょう」

山南は微笑を浮かべていたが、言葉の響きは冷たいものだった。

「・・・聞きたいことってそれだけですか?僕、そろそろ眠くなってきちゃったんですけど」

「すみませんね。聞きたいことはまた別件です」

手短に済みますから。山南はそう言って続けた。

「・・・先日、私の部屋から薬が無くなりました」

「薬って・・・石田散薬ですか?山南さんがあれを服用してたなんて知りませんでしたよ」

山南は、それまでに見せていたものとはまた別の目で、沖田を見た。人の心を見透かそうとするかの様な目を向けられれば、どんな人間でも居心地が悪くなるであろう。
しかし沖田は意にもかえさずといった様子で、笑いを漏らしながらのんびりとした口調で答える。

「私の部屋にある薬といえば、ひとつしかない。そんなこと君も知っているでしょう」

「わかってます、冗談ですよ。僕は盗んだりしてません」

「・・・・・」

山南の眼鏡の奥にある瞳が、じっと沖田を見据える。

「どうして僕があの薬を盗んだって思ったんです?屯所には他にも人がたくさんいるのに。それに僕はあの薬に頼らなくても充分ですよ」

言葉を聞きおえても、山南の見透かそうとする目は変わらず沖田を見詰めていた。

「・・・前に沖田くんが『あの薬なら病も治るか』と私に聞いたのを思い出したので、もしかしたらと思ったのですが・・・勘違いだったようですね」

お邪魔して申し訳ありませんでした。そう言って、山南は立ち上がった。
襖に手を掛けた山南の背中を見詰めていた沖田。不意に振り返った山南と、視線がぶつかる。


「・・・あの薬の素晴らしさは、それを体験した者にしかわかりませんよ」

まるで独り言のような台詞を残し、山南は障子の向こうへと姿を消した。
山南が消えていった障子に視線を向けたまま、沖田は無意識のうちに手を伸ばす。
懐に入れた小さな瓶を、布越しに握っていた。


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