「桜田こったい、昨日はほんまえらいおおきに」

沖田と再会した宵から一夜明け、唄月は座敷の応対を自分と代わってくれた桜田太夫の部屋を訪れていた。


「かましまへんえ唄月。あんたを贔屓にしたはるお客さんが増えるゆうんはわてにとっても嬉しいことや」

礼を述べる唄月に、桜田太夫は微笑みながらそう言った。その笑顔は同じ女である唄月の目から見ても美しい。

桜田太夫は唄月と同じく菊乃屋に籍を置く芸妓である。
唄月がこの菊乃屋に引き取られた頃にはもう既に最高位である太夫として名を知らしめていた桜田は、唄月にとって女将が母であるように、姉同様の存在であった。
女将と同じ様に桜田の躾は厳しく、島原にやってきたばかりの幼い唄月は人目を忍んで泣いてばかりいた。
けれどその悔しさはバネとなり、‘いつかは桜田太夫の様になる’という憧れに変わり、唄月を島原芸妓として成長させた。

桜田太夫にしてみれば自分の可愛い妹分が立派に育ち、これ以上嬉しいことはない。自分が引退した後に太夫としてこの菊乃屋を背負って行くのは唄月だと、桜田太夫はそう確信している。
唄月唄月で、禿の頃に比べ随分と優しい桜田太夫に、認めて貰えたという自信と、桜田太夫は引退を考えているのではないかという疑念があった。
しかし考えても見れば自分より一回り近く歳の違う桜田太夫の引退は別段早すぎるものでもない。彼女ほどの芸妓であれば身請けしてくれる男も多いであろうと、唄月はそう思っている。


「それより唄月、あんたあの話聞かはった?」

桜田は注意深く声を落とし、そう言った。

「あの話て?」

唄月も同じ様に声を落として聞き返す。

「昨日座敷に唄月を呼んだ人ら・・・壬生狼の話や」

「あの人たちがどないしたん?」

唄月が無邪気にそう問うと、桜田は意味有りげに辺りに目配せして、ことさら声を沈めて言う。

「あの人ら、自分の仲間を斬り殺したんや」

「・・・えっ・・・」

彼らは人斬りを行う。それは唄月も承知の事実だ。
だがいくら人斬りだからと言って自分たちの仲間まで斬り殺すというのは俄かには信じがたかった。
彼らは昨日、唄月の目の前で楽しそうに酒を食らっていたというのに。


「芹沢鴨て、唄月も知ったはるやろ?」

唄月は無言で頷いた。

芹沢鴨と言えば壬生浪士組の局長の一人である。
江戸からやってきたという彼ら壬生浪士組を率いて現れたその男こそが、‘壬生狼’の名を知らしめたと言っても過言ではない。
自分はお上に仕える身だと京の商店から無理矢理金を押し借りて、その金を島原で派手に使う。その酒癖の悪さを知らない島原芸妓はいないほどに悪評の高い男だ。
唄月自身、何度か芹沢に呼ばれ座敷に揚がった事もある。


「その芹沢はんがどないしはったん?」

「・・・殺されたんえ。近藤局長とその一派に」

近藤局長とは、芹沢同様に壬生浪士組を率いる男だ。良くも悪くも派手な話ばかりの芹沢に比べ、近藤に関しては目立たぬ存在であった。
そういえば昨日自分が応対をした、原田、永倉、藤堂、そして沖田は近藤派の人間ではなかっただろうかと唄月は客の顔を蘇らせる。
あんなに上機嫌で楽しそうに過ごしていた男たちが仲間を斬った後だったとは、やはりどこか現実味がない。


「・・・芹沢はんが殺された夜、一緒に女がおったそうや」

桜田は続ける。

「女?」

「芹沢はんの女や。・・・・それでな・・・」

「・・・・・」

「殺したんや。たまたま一緒におっただけのその女も、芹沢はんと一緒に殺したんえ、壬生狼は」

芹沢の傍若無人ぶりにあきれ果てた会津は、近藤一派に芹沢の暗殺を命じたのだと桜田は言う。

「壬生狼の人らは壬生狼の人らで理由がおおて芹沢はんを殺したかもしらへん。せやけどたまたま一緒におっただけの女子まで斬るゆうんは・・・・」

桜田はそこで言葉を区切り、窓の外に目を向けた。
窓の向こうは太陽の光で溢れている。おそらく太陽が一番高く上がっているのだろう。


「桜田こったい、それほんまの話?・・・なんやわてにはよう信じられへん・・・」

時世は混沌を極め、京は物騒な都になった。
人斬りは然程珍しい事ではなくなってしまったし、『どこそこで浪士が斬られた』だの、『何藩のだれそれが殺された』だの、そんな話を耳にする機会も多い。
しかし、自分が顔を知る人間が人を斬ったり斬られたりなど、そんな出来事が身近に起こったことが、唄月には信じられずにいた。


「わてのお客はんから・・・会津の人から聞いた話や。ほんまのことやで、唄月

桜田太夫は真っ直ぐな瞳で唄月を見つめてそう言った。
唄月はうまく言葉を返す事が出来ず、ただ見つめ返すしかなかった。

部屋には沈黙が訪れ、外の通りを人々が行き来する足音や話声がよく響いた。
この沈黙を先に破ったのは、何処か遠くを見つめたままの桜田太夫であった。


「・・・なぁ唄月

窓の向こうに目を向けたまま、桜田太夫は囁く様に、穏やかに話始めた。

「この島原に来るお客はんも随分変わってしもうた。今まで島原で遊んどった攘夷のお侍はんらはここから遠ざかってった。・・・・なんでかはわかるやろ?・・・壬生狼が来たからや」

桜田太夫はちらと唄月に目をやったが、再び窓の外に視線を戻す。
彼女の内側にあるのは恐れなのか怒りかのか、はたまた悲しみなのか。その横顔からは読み取ることが出来なかった。

確かに桜田の言う通り、彼ら壬生浪士組が現れてからというもの、それまでこの島原を中心に夜の遊びを楽しんでいた攘夷派の者たちは祇園などといった格式の低い花街へと移っていった。


「・・・たとえ女子でも容赦無く斬る。それが壬生狼で、わてらはそんな人らの座敷に揚がっておまんま食うてくのや」

桜田太夫はそう言って、口を真一文字に結んだ。
桜田太夫は悔しいのだ。時代の流れに逆らう事も出来ず、格式高い島原が、そして自分が時代の流れに犯されていくのを、彼女は悔しがっている。
彼女にとって突如この島原に現れた壬生狼とは、そんな時代の象徴なのだろう。


「・・・唄月、気いつけなはれ」

何を?とは、唄月は聞かなかった。
桜田太夫はこんな時代に島原で生きる自分に、流されるなと、犯されるなと言いたいのだと、唄月は理解していた。

桜田太夫と同じ様に、唄月も窓の向こう側へと目を向ける。


『遊びたくなったらいつでもおいで』
昨夜笑いながらそう言った沖田の顔が唄月の脳裏を過る。
あんな風に笑いながらも、沖田という男は芹沢を殺し、そしてただ居合わせただけに過ぎぬ女子をも斬ったのだろうか。
暖かい日差しが差し込んだ室内で、唄月はぼんやりと思った。


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