「悪いわねぇ、なまえちゃん。せっかく江戸に遊びに来たっていうのにウチの仕事手伝ってもらっちゃって」

父方の親戚である伯母は、旦那さんと二人で小さな花屋を営んでいる。武州からやってきたわたしは江戸にいる間暫く泊めてもらう代わりにと、暇さえあれば花の世話や店番を率先して受け持った。

「いいのいいの、わたしなんてどうせ暇だし」

花の入った桶に水を注ぎながら答えると、伯母は少しだけ眉を下げて笑った。

「そんなこと言って・・・。こっちには友達のお墓参りに来たんでしょ?もう行ったの?なんだったらこの花供えてらっしゃいよ」

そう言った伯母が差し出してくれたのは、眩しいくらいに白い花弁の菊だった。

「・・ありがとう。でもお墓にはこっちに来た日に行ったから」


わたしの頭には、数日前に目にしたミツバの墓がよみがえる。
供えられた色とりどりの花、研かれて艶々した真新しい墓石。そして、あの場所で顔を合わせた彼の姿形。なにもかもが、鮮明に浮かぶ。
ミツバの墓前であの人と合間見えるなんて当然の事なのに。それなのに、わたしの罪悪感は膨れ上がるばかりだった。

ごめん。
ごめんね、ミツバ。


これがはじまり


「道場破りィ?」

「いや、道場破りっていうより喧嘩師だよ、あれは」

皆が江戸へ向かうことになるだろうとは、思ってもみなかったあの頃。わたしは相も変わらず近藤さんの道場に入り浸っては、ミツバや勲ちゃんと何気ない話をしたり、総悟とくだらない言い争いばかりしていた。
そんなある日話題になったのは、近所の道場を片っ端から荒らして廻っているという男の話だった。

「勲ちゃんも気を付けなよー。道場破りなんていつここに来るかもわかんないし」

わたしがそう言うと、勲ちゃんは眉間に皺を寄せて難しい顔をした。

「勲ちゃんは大丈夫だとしてもさ、総悟なんかすぐ倒されちゃうよ」

「お前がやられちまえよ」

わたしと勲ちゃんのやり取りを横で聞いていた総悟が、すかさず口出しした。
わたしは総悟を一睨みした後、総悟の隣にいるミツバに視線を向ける。

「ミツバも気を付けてよね。道場破りがここへやってきたらすぐ逃げなよ?」

道場破りだか喧嘩師だか知らないが、そんな野蛮な奴が女子供には手出しをしないなんて武士道を持ち合わせてくれているとは限らない。もしミツバが道場にいる時にそんな奴と出くわしたりしたら、なにをされるかわかったもんじゃないのだから。
そんなわたしの心配を余所に、ミツバは「大丈夫よ」と言いながら、にっこりと微笑む。

そして、わたしがあの男に出会ったのは、それから数日後のことだった。



「勲ちゃん、これ、おにぎり。お父さんから差し入れだって」

「おぉ!ありがとうなぁなまえちゃん!おじさんにも宜しく言っといてくれ!」

「うん。・・・・それよりさ、勲ちゃん」

「どうした?」

「・・・あれ・・誰・・?」

その日わたしは父親からの差し入れを預かっていた。
ミツバの姿は無いかと辺りを見渡す。稽古場を背にして縁側に腰を下ろしていたのはミツバではなく、見知らぬ男だった。


「いや、実はな・・・・」

勲ちゃんが口にしたのは、縁側に腰を下ろす見ず知らずの男が最近話題の道場破りで、その男が他の道場の人達に袋叩きの如く伸されていたのを拾って帰ってきた、というものだった。
噂の道場破りがここにいる事にも、他の道場の人達がよってたかって1人を追い詰めた事にも驚き、呆れたけれど、それ以上に勲ちゃんの人の良さに恐れ入ってしまう。


「優しいね、勲ちゃんは」

ちょっと皮肉交じりに言ったわたしの台詞さえ勲ちゃんは素直に受け取り、照れた様に笑った。

わたしは再び縁側に座る男の背中を見た。濃紺の着流しに、長い髪を高い位置で結い上げている。
そんな男を気に食わなそうな目で見つめる総悟に気付いたけれど、取り敢えず放っておいた。

勲ちゃんと総悟に背中を向け、わたしは静かな足取りで縁側に向かった。
始終黙ったまま中庭を見つめる男の横に立ち、彼を見下ろすと、男は切れ長の目でわたしを睨み上げる。
けれど彼はまたすぐに中庭のどこかへと視線を戻した。


「・・・アンタが噂の道場破りなんだって?」

例え蛇だろうが道場破りだろうが、睨まれたくらいで臆するようなわたしではない。
男を見下ろしたままそう問うたけれど、男からの返答は無かった。

「それにしても酷い怪我だね。袋叩きにされたって?」

「・・・・・・」

わたしは男の隣に腰を下ろし、傷だらけの横顔を見つめた。
すっと通った鼻筋に、切れ長の目。歳はわたしとそう変わらないくらいだろう。

「わたしなまえ。アンタ名前は?」

「・・・・・・」

「歳は?」

「・・・・・・」

いくら質問しようとも、沈黙ばかりが返ってくる。どうやら相当な捻くれ者らしい。
答えの無い問答に飽きてしまったわたしは、小さく息を吐いた。

「これ、うちのお父さんからおにぎり。アンタも食べなよ」

言って、わたしは男の隣におにぎりを置いて、立ち上がった。

「そんな所に居ないで勲ちゃんたちと一緒に稽古したら?結構強いんでしょ?アンタ」

『この辺の道場を片っ端から潰してくくらいなんだから』
厭味を飲み込んで吐いたのは、わたしにしては相手のブライドをくすぐるようないい台詞だ。けれど男は相も変わらず中庭を見つめ、結局一度も視線を合わせることはなかった。


これがわたしと彼、土方十四郎との出会いだった。


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