「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」

病院に戻った私は同僚と一旦別れ、院長室に向かった。
深く頭を下げて謝罪を述べると院長は親切な笑みを浮かべ、「君が無事で良かったよ」と、そう言った。

「本当にすみませんでした」

「はたけ上忍から話は聞いたよ。まあ……男と女だからいろいろあるだろうが、ひとりで抱え込まずに相談してほしい」

「………?」

はたけ上忍から聞いてる?男と女だから?
言葉の意味を理解しかねて、思わず首を傾げてしまう。

「はたけ上忍から何も聞いてないのかね?」

「はい……とくには」

「そうか……」

院長はひとつ咳払いをして、私を来客用のソファに座るよう促してくれた。
あまり長居はしたくなかったけれど、話は少し長くなるのだろう。院長の言葉に甘え、私はソファに腰を下ろした。


私が出勤してこないことに気が付いたのは同僚だった。ただの遅刻かもしれない、もう少しだけ待ってみよう。そう言いながら過ごした時間は一時間。(ちなみに私の家から病院までは、20分とかからない)
なにかあったのかもしれない。そう言い出したのも同僚で、彼女は自ら私の家に足を運んだのだそうだ。もちろん家には誰もいない。私はそのころ、木ノ葉の里から離れた場所にいたのだ。
私の不在に焦りを覚えた同僚は、隣近所に「空野さんを見かけませんでしたか」と尋ねて回った。私が家を出た時、近所の住人とすれ違うことなどなかった。当然近所の人々は、「見かけていない」と答えた。「見かけてはいないけれど、ドアの開閉する音は聞いた」と、私の隣室で暮らしている女性が言ったそうだ。
家を出ていることの確証が取れ、同僚はさらに慌てる。急いで病院へ戻り、院長に私が出勤していないことを伝えたのが夕刻。
何か事件に巻き込まれているのかもしれない。病院の片隅に重たい空気が立ち込める。はたけカカシが病院に現れたのは、空気がすっかり重くなってしまった頃だった。
院長や同僚から、私が行方不明になったことを聞かされたはたけカカシ。何か心当たりはないかと、同僚がはたけカカシに尋ねる。はたけカカシは少し間を置いて、「ヒバリが消えたのはオレのせいです」と答えたそうだ。

『オレがヒバリを傷付けた。だからアイツは姿を消したんだと思います』

はたけカカシは落ち着いた声で「オレが見つけます」と言い、院長や同僚に背を向けた。


院長からことの詳細を聞き終えて、私はどこかぼんやりとしていた。
きっと、眠っていないせいだ。私は、休まなければいけない。
はたけカカシが私を庇うような発言をしたことも、彼への態度の取り方も、今後のことも。しっかり休んでからでないと、何も決めることができない気がした。





私が木ノ葉の里に戻ってから1ヵ月。日々は以前と同様に流れている。
病院で忙しない時間を過ごし、忍や同僚たちと関わりながら、誰にも心を開かないままの日常。
里を出る前に院長に告げた「はたけカカシとの交際を解消したい」という私の申し出は、いつのまにか何処かに追いやられてしまった。
「ふたりの間でどんなことがあったのか知らないが、はたけ上忍は君のことを大事に思っている。一時の感情に流されず、もう少し向き合ってみてはどうだろう」と、院長は私にそう話した。
行方不明という騒動を起こしてしまった手前、院長の言葉を無下にも出来ず、私は小さく頷いてしまった。

―――ヒバリを傷付けた。
そう語った、はたけカカシ。彼も変わらず、何を考えているのかわからない存在だ。

私を傷付けたと思っているなら、関わらなければいい。私は彼との関わりを無くしてしまいたいと思っているし、はたけカカシ自身も充分承知のはずで。
これ以上、彼と関わらないようにしなければ。そう思ってはいても、さほど広くない里の中。顔を合わせてしまうのは致し方ないことだ。
不思議なのは、私について調べたという全ての事柄に、彼が一切触れてこないことだった。
この1ヵ月の間にはたけカカシと何度か顔を合わせたけれど、彼は微笑みを浮かべて「今日は天気がいいね」だとか、「仕事は大変?」だとか、とるに足らない言葉を掛けるだけだった。私はそれらの言葉に、「そうね」だとか、「今日は暇な方」だとか、適切だと思われる返答をする。
彼が調べたという‘私についての全て’に触れない理由はわからない。触れてほしくないという私の気持ちを汲み取っているつもりなのか、もう全て知っているからわざわざ触れる必要もないと思っているのか。
いずれにせよ、はたけカカシは私についての全てを知っている。私はその事実にもっと動揺してもいいはずなのに、心のなかは何故か落ち着いている。弱い部分をさらけ出しているような状況だというのに。



「それじゃあ、お先に失礼します」

「ええ、お疲れさま空野さん」

仕事を終えて病院を出る。まだ夕方だというのに太陽は見えない。空を厚い雲が覆っている。今にも雨が降りそうだ。
少し歩いたところで、向こうからやってくる人影に気付く。
黒一色の服は見慣れていない。だから、向こうからやってきた人物がはたけカカシだと気付くのに少々時間がかかってしまった。

「よ、仕事終わったところ?」

「ええ」

私は頷き、彼が纏っている服をもう一度見やる。
見慣れた忍服とは違う。上下とも黒で揃えられたそれは、誰かの喪に服しているのだろう。

「……任務中に死んだ忍の葬儀だったんだ」

私の視線に気付いたはたけカカシが言う。

「……そう……」

彼の声が弱々しい気がした。私は続く言葉を見付けられない。はたけカカシも黙ったままだ。

「……ありがとーね」

沈黙ののち、はたけカカシが言った。

「何がありがとうなの?」

「お前いま、悲しそうな顔したから」

「………」

悲しそうな顔?どうして私が悲しむことがあるのだろう。死んだという忍は、私とはなんの関係もないというのに。

「……あなたは……?悲しくないの?」

「どうかな……悲しいと言葉にするのは簡単だけどね」

「………」

「死んだ忍は里のため、仲間のために死んだ。忍としての立派な最後だった」

はたけカカシはどこか遠くを見ているようだった。

「今オレがすべきなのは悲しむことより、死んでいった仲間の気持ちを優先すること……かな」

「……里を守るために死ぬ……あなたもそうなの?」

「そうだね。それが忍だ」

はたけカカシは笑った。どこか力のない笑みで私を見る。
私は、問い掛けたかった。自分の里を守るために命を掛け、命を奪う。そこに矛盾のようなものは感じないのだろうか。
虚しさのようなものを感じないのだろうか。

「……どうした?」

黙ったまま俯く私に、はたけカカシが声を掛ける。
彼には私が考えていることを見抜かれている。そんな気がして、私はとても不安になる。

「……窮屈そうな生き方をするのね」

そう言葉にするのが精一杯だった。
はたけカカシはどう感じたのだろう。彼はじっと、私を見つめている。

「……そう思う?」

「ええ……」

「ならヒバリは」

「なに?」

「自分の生き方を窮屈だと思う?」

「……いいえ……思わない」

私は、自分の生き方を窮屈だと思ったことなど一度もない。窮屈さとは、どこかに閉じ込められたときに感じるものだ。私は常に自由だから、行く先は自分で選択できる。窮屈さとは無縁だ。
私の答えを聞き、はたけカカシは笑った。安心したような、穏やかな笑み。

「それならよかった」

笑いながらそう言った彼の言葉に、嘘はないように感じた。
はたけカカシが知っている、私について。彼がそれをどうとらえているのか、私にはわからない。あるいは、窮屈そうだと、そう捉えていたのだろうか。そんなの、勘違いも甚だしい。
私はずっと、自由に生きてきたのだ。閉じ込められることも、締め付けられることもない。
でも、本当に自由だったのだろうか。思い込んでいるだけで、実際の私は縛り付けられ、もがいているのではないだろうか。
私はひどく不安定な気持ちになる。答を求めて空を見上げてみたけれど、分厚い雲からは、今にも雨が滴り落ちてきそうなだけだった。


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